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産卵
翌日の夕方、姫野は赤星家へやってきた。
「昨夜はどうでしたか?」
玄関先でニコニコ顔の姫野に、赤星夫妻は気まずそうに顔を見合わせる。
「どうもなにも……」
夜通し何事か奇声を発しながらゲームをしてる我が子に慣れているとはいえ、何一つ進捗も変化もない現状に、どうコメントして良いモノやら解らない。
ですよねー、と苦笑いを返した姫野は、廊下の奥へふと視線を投げた。
「ところで、当会が差し入れたタピオカドリンクは気に入っていただけたでしょうか?」
「ああ……それは……1本だけ無くなっていたようですが……」
「ふむふむ」
姫野は機嫌よく頷くと、靴を脱いで上がった。
「親御さんのお金で豪勢に課金しているだけあって、篤史さん、なかなかいい装備でしたねぇ」
褒めているのか皮肉なのか解らない事を言いながら階段の方へずんずん歩いていく。
「一晩じっくりお付き合いして大分打ち解けられましたので、今日はきっとお話を聞かせてくださるはずですよ」
迷わず階段を上がり子ども部屋の扉の前に立った姫野は、合板の扉を強めにノックした。
「『蒼きアギト』さぁーん! 昨夜はお世話になりました、『スピア姫』です!」
今日は、部屋の奥でガサゴソと音がした。ついてきた赤星夫妻が目を丸くして顔を見合わせる。
「……スピア……ひめ? ほんと……に?」
扉のむこうからくぐもった声がする。
姫野はにっこりと微笑んだ。
「はい。スピア姫の中の人です。昨夜の蒼きアギトさん、メチャクチャいい動きしてましたね。ギルドの他の面子と感心してたんですよ。今夜も是非レイドバトル行きましょう!」
「……はい」
扉のむこうからの声は、そこまでだった。だが、久しぶりに聞く我が子の会話に、赤星夫婦は目を潤ませている。
「……すごい。ありがとうございます。あの子が……普通に、言葉のキャッチボールが出来ている……なんて」
1階に降りた赤星の妻は声を詰まらせた。
姫野はニコリと笑みを作って、その手を取る。
「篤史さんが案外と擦れてないプレイヤーだったから、上手くいったんですよ。これが変にプライドが高かったり、いわゆる『女たたき厨』だったら別のアプローチが必要になるところでした。これで次のステップに行けそうですね」
「次のステップ……ですか?」
赤星はまだ不安そうだ。
姫野は赤星に向いて微笑んでみせた。
「はい、そうです。篤史さんは我々に付き合うために、資金を欲しがると思います。制限せずに与えてください。掛かった課金の金額は契約金から差し引きますから赤星さんには余計な支払いが発生しないと思います」
「えっ? それでは……そちらにお支払いする分が、大分減額になってしまうかも……」
「大丈夫ですよ。こちらは金額ではない見返りを、ちゃんといただきますから」
篤史とコミュニケーションが取れた。ほんの細やかな出来事だったが、それだけでも一歩前に進んだのかもという光をもたらす成果だ。金額ではない見返りというのが何のことだか不安ではあったが、このまま任せて見るしかないという思いが赤星の背中を押した。
「では、……引き続きよろしくお願いします」
赤星は自分より遥かに年下の姫野に、深々と頭を下げた。
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