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――いい匂いがする。
露が降りたようにみずみずしいのにすっきりとしていて、それでいて深みのある甘さがあって。好きなのにいつまで経っても名前を覚えられない、あの香り。
――ああ、嵐士の匂いだ。
あたしはふと目を覚ました。
視界の先にあった時計は22時を少し回った頃を指している。
そうだ。嵐士からLINE来て、それで看病しに部屋に来たんだっけ。
いつの間に寝てしまったんだろう。そう思って体を起こそうとした時、ふいに上から影が落ちてきた。
「あ、起きた?」
視線を上げると、暗がりで嵐士がこちらを見ていた。
「おはよ、木綿子」
「おはよ…う」
ふと自分がベッドに横になっていることに気づく。まさか病人のベッドに入り込むとは、自分の睡眠に対しての欲というものに驚く。
「ごめん…、ベッド」
起き上がろうとして異変に気付く。
自力で動けない。というか腕の自由が利かない。
驚いて自分の腕を見ると、手首が肘のあたりで重ねられ、ガムテープが幾重にも巻かれている。
「え…、なにこれ!?」
段々と意識が眠気から現実に引き戻されると、思わず声を上がり、それを見てケタケタと嵐士が笑っている。
「あはは、驚いた?」
「お前の仕業か、嵐士…」
ぐるぐる巻きにされたテープの粘着が強固なのか、見た目はそれほど頑丈には見えないのだけど全く解くことが出来ない。
じたばたと芋虫のように暴れているあたしを見て、嵐士はやっぱりおかしそうに笑っている。
ーー人が寝てる間になんて悪戯をするんだ!この男は!!
「ていうか、あんた熱は?」
「ん~、下がったみたい!木綿子のおかげだね」
嵐士はニコニコ笑いながら、指でガムテープを回している。
どうやら持っているそれであたしの腕を縛り上げたらしいことは容易に想像つく。
――ほう? そう思ってのこの仕打ちですか。
「心配して損した…」
「だって、木綿子しかこの部屋入れたことないし、他に頼れる人いなかったんだも〜ん。ちょっとは心配してよ〜」
飄々と嘘ばっかり連ねやがって…!
少しでも心配して駆けつけてしまった自分を殴りたくなる。
「一度寝たらなかなか起きないのに、男の部屋で眠りこけるなんて、木綿子ってほんと無防備だよね」
どうにか腕を抜こうと試みるも、やっぱりびくともしない。
「元気になったんならよかったけど、とりあえずこれ外してくれない?」
「え~、どうしよっかな~」
身体を捩っても簡単には逃げられない体勢に少しだけ焦りは滲む。いつも通りの嵐士のはずなのに、どこか雰囲気が違うような、そんな気がして体に力が入る。
「それより、木綿子がワンピース姿なんて珍しいね」
「そりゃ、先輩とデート中だったんだから、オシャレくらいするでしょ」
どうにも虫の居所が悪くなって、ちょっと嫌味っぽくそう伝えてみると、嵐士は少し表情を曇らせた。ほんの一瞬で空気感が変わった気がして、あたしは思わず身を震わせた。
「ねぇ、木綿子」
指で遊んでいたガムテープを放り投げ、怪しく微笑みながらあたしの上に跨る。これでは逃げ場がない。
「……俺とセックスしよっか」
綺麗な顔をした嵐士が、まるで悪魔の囁きのような言葉を零した。
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