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――その週の金曜日。
先輩と会うために、あたしは以前先輩と行ったカフェにいた。
夏休み中だということもあって、店内は以前と変わらず賑わっている。その中でひとり先輩を待ちながら、ソワソワしていた。
なんて伝えよう。
昨日の夜からそればかり考えていた。
「久しぶり、木綿子ちゃん」
悶々としている間に、先輩が目の前の席に腰を掛けた。
「お久しぶりです。先輩」
「その後、お母さん大丈夫?」
「あ、は…い」
先輩は相変わらずとても清潔な表情であたしに微笑み返す。その笑顔を見ていると、自分はとんでもなく汚い女のように思えて俯いてしまった。
あの時の小さな嘘が、今となっては尾を引くほどに残酷な現実を生んでしまったことを思うと、あたしはあの時、選択を間違えたのだと思えてならなかった。
「……先輩。ごめんなさい」
口をついて出たのは謝罪だった。
きっと秋生先輩は何のことかわかってはいないだろうけど、あたしは謝らずにいられなかった。
「……それは何に対する謝罪?」
少しの間を置いて、先輩は静かに問いかけた。
「あたし……、先輩とは付き合えません」
声を喉の奥から絞り出すみたいに、やっとのことで返事を返すと、先輩はやっぱり押し黙った。
会話もそこそこに、唐突に返事を返すあたしは、先輩の眼にはどんな風に見えているのだろう。そう思ったけど、あたしは顔を上げることができなかった。
「……先輩に好きだって言って貰えて、嬉しかったです。でも……、お付き合いはできません」
きっと、嵐士とのことがなかったとしても、あたしはこの選択をしていたかもしれない。だって、あたしはあまりにも汚れている。
「そっか…。うん、ありがとう」
先輩の声があまりにも優しくて、目頭が熱くなっていく。でも、あたしが泣くのは違うと思って、ぐっとこらえる。
「実を言うとさ、わかってたんだよね。こうなることは」
「え…」
顔を上げた先に見えたのは、どこか晴れ晴れとした先輩の表情だった。
「……木綿子ちゃんには、ちゃんと言葉にしないと伝わらないと思ったから。でも、やっぱり嵐士くんには勝てないって思ってたよ」
先輩は苦笑いを浮かべながらも、嵐士の名前を出した。
嵐士は関係ない、とは言えなくて押し黙っていると、先輩は小さく笑った。
「……でも、言わずにはいられなかったんだ。一瞬だけでも、僕のことを見て欲しかったから」
先輩は、何か知っているのだろうか。
少しだけ怖くなったけど、先輩は優しい目でこちらを見つめる。
「ごめんね。僕の自己満足に付き合わせて。でも、諦めるために僕には必要なことだったんだ」
――あの子たちも同じだったのかな……。
先輩の言葉に連想された、これまで見て来た白昼堂々の告白。
あれは、彼女たちにとって”恋を終わらせるため”に必要なことだったのかもしれない。
その日の帰り際。
先輩は「送るよ」と言ってくれたけど、ひとりで考えたいことがあるから、と丁重に断った。
夕焼け色に染まった駅で電車を待ちながら、あたしはひとつ溜息をついた。
――諦めるために僕には必要なことだったんだ。
やけに耳に残るあの言葉に、あたしは目を閉じた。
あたしだったら、そんな覚悟ができるんだろうか、そう思った。
人を好きになったことがないわけではないのだから、自分の気持ちなんて本当はわかっていたのに。あたしはそれに蓋をしてきた。
友達として一緒に居られるなら、それがいいと逃げて来た。
唯一の女友達、なんて言葉に甘えて、自分の気持ちにすら目を背けてきた。
『女として見られていないだけじゃない?』
夢で聞いたあの言葉は、きっとあたし自身の言葉だ。
現に、こうなってしまった今ですら、嵐士に流されるだけで「友人」の皮を被って、傍に居ようとしているじゃないか。
元彼と別れた時だってそうだ。
信用されていない、ってことに腹を立てていたことは嘘ではなかったけれど、逆の立場だったら心配になっていただろうし、きっと同じように「本当に何もないの?」って詰っていたに違いない。
――結局、ずるいのはあたしの方だ。
”あの時”だって、逃げようと思えば逃げられた。嵐士のせいにして、受け入れたのはあたし自身じゃないか。
自分の醜さに蓋をして、気付かないフリしてきた。今のこの状況は自分への紛れもない罰だ――。
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