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1話:来訪
「ハッ、ハッ、ハァ、ハ………。」
僕は今、数年ぶりに“全力疾走”なるものをしている。
「ハ、ハ、ハ、くそっ、なんで、こんな運動をしなきゃ、いけないん、だっ。」
走る毎に背中で跳ねるリュックが煩わしい。重い参考書が何冊も入っているので跳ねる度に肩に食い込む。服も靴も運動に適したものではない。汗でシャツが張り付いて不快だった。
僕———古生白亜は、情けなくゼェゼェ言いながら通学路を家に向かって走っていた。
空は、曇天だ。重苦しい灰色の雲が見上げた視界いっぱいに広がっている。予報だと数分後には水が落ちてくるらしい。それ故に僕は走っていた。今日というに限って、ベランダに布団を干していたからだ。
くそ。完全に甘かった。まだ乾いている道路を走りながら後悔する。今朝が稀にみる晴天だったから、せっかくだからと布団を干したのだ。午後の天気予報も見ずに。
日中にスマホで午後の天気予報を見て愕然としたのだが、不幸中の幸いとして今日は大学の授業が半ドンだった。そのため、講義が終わると同時に講義棟を飛び出し、空の機嫌が悪くなる前にアパートに着くために駆け出した。全力疾走だ。
焦る。昔はそれなりに走れていたのだが、大学生になってから全く運動をしていなかったので、体力も筋力もかなり落ちている。明日の筋肉痛をもう憂いながら、僕は帰路を急いだ。
「は、は、はァ………着いた………。」
アパートにたどり着く。ノンストップで走ったからすぐには息ができない。ギリギリ、空が泣き出す前に帰宅できたようだ。ここまで来るのに何度肩からずり落ちそうになるリュックの紐を直したか分からない。外付けの階段で二階に上がり、急ぎながら乱暴に鍵を開ける。室内は暗い。太陽光が分厚い雲に遮られているし、カーテンも閉めているからだ。とりあえずリュックをそこらへんに放り、手遅れになる前にとっとと布団を取り込んでしまおうと、肩で息をしながらベランダに駆け寄る。
カーテンを開き、窓を開ける。果たしてあったのは、ベランダの柵にかけられた布団———だけではなかった。
「□▲▽★………///。」
「………………………………………は?」
布団の上に、謎の影。
子供(に、見える生物)が、柵にかけた布団に覆いかぶさって眠っていた。
*
意想外の光景に、一瞬思考がストップする。
(なんだこいつ………近所のガキとかか?)
どこから入り込んだのか。玄関の鍵は閉めていたから、屋外から来たのだろうか。ここ二階だぞ。どうやって来た?いやそれ以前に、人ん家に勝手に入って布団で寝ている時点でこいつは問題ありだ。
子供は気持ちよさそうに布団の上で寝ている。布団はベランダの柵にかかっており、それにさらに子供がかかっている形だ。いったいどういう経緯でここで惰眠しているのか………?というか、かなりバランスが悪いのによくずり落ちないな。外側に落ちたら地面まで真っ逆さまだというのに、よく呑気に眠っていられる———
———ぽつ
しげしげと珍客を眺めていると、白亜の鼻頭に水が落ちてきた。
「ってやばい!早く取り込まねぇと!」
僕は布団に覆いかぶさっている子供を引っぺがす。
「★△☆@◇□●◆!!!?!!???!」
「うるせぇ!僕の布団だぞ!どけ!」
窓を閉めた途端、外は大雨になった。暗かった空が一層暗くなる。
「ふぅ………ギリギリセーフ………。ホントに危なかった………。で。」
僕は部屋に鎮座ましましている侵入者を見やる。雨も降って来たし、勢いで部屋に上げてしまったが………。
侵入者は困った顔をしてきょろきょろしている。僕の部屋にそんなに見るべきものはないぞ。
何者だろう。こいつは。直観的に、日本人ではないようだ。黒い短髪だが、瞳は宝石がはめ込まれたかのように鮮やかな青だ。肌も白すぎるほどに白い。顔の彫りが深く、目鼻立ちがくっきりとしている。総じて中性的な外見であるため、性別は読み取れない。
「………………………(困った顔)。」
「キミ、誰?」
「………………………………………………(もっと困った顔)。」
「………喋れねぇのか?」
「〇☆◆□△▲▲!(ぶんぶんと両手を振っている)」
意思疎通の意欲はあるようだが、こいつは何語を話しているんだ?僕は日本語・英語・ロシア語くらいなら聞き分けられるが、そのどれにも該当しないようだ。まずいな。言語が違うなら対話が一気に困難になる。
どうしたものかと思案していると、不意に侵入者が口を開く。
「▲▽★………a, ei, h, hello? I’m from….」
「うわびっくりした!英語!?英語なら話せるのか?」
「□@〇…please wait a little….」
「………?」待てと言われたので待つが。
「………a, a, アー。言語同期、言語同期、こんにちは。見知らぬあなた。」
「お、おう、こんにちは。」
侵入者が急に日本語を話せるようになった。言語同期?こいつ、何をしたんだ?
「部屋にいれてくれてありがとう。おかげで濡れずにすんだ。あなたの名前は?」
侵入者は吸い込まれそうな青い双眸でこちらを見据えてくる。急にフルーエントになるじゃんこいつ。
「僕の名前は古生白亜だ。“古生代”の“古生”に、“白亜紀”の白亜。」
「はじめましてハクア。ヨの名は………えーっと………言語検索、言語検索………。」
「?」
侵入者が訳の分からないことを口にして黙ってしまう。
「すまない、この国の言葉には、ヨの名前に該当する音がないようだ。何と名乗ればよいか………。」
名無しの侵入者が考え込んでしまう。つーか、一人称が“余”かよ。アニメキャラかなんかかよ。
「検索結果、取得………。よしハクア、ヨのことは“ジュラ”と呼ぶがよいぞ。」
「ジュラ。」
「うむ。ジュラである。検索の結果、これがヨに適している語のようだ。良い響きであるな。」
一人満足げにうなずいている侵入者、改めジュラ。
「そうか、ジュラ。ならお前には聞かなきゃなんねーことがある。」
「うむ?なんでも聞くがよいぞ?」
「お前、どこから来た何だ?なんで俺の布団の上で寝てたんだ?」
確かに名前は大事だよ。でもな、他にも聞くべきことが山積している。こいつは何者だ?
僕の直観はすでに危険信号をビンビンに発していた。ジュラと名乗ったこいつが、あまりにも異質だと分かるからだ。さっきから繰り返し口にする特徴的な語彙、世間離れした容姿、鍵のかかった二階の部屋のベランダにどうやって侵入したのか?総じて、只者ではないことは誰にでも分かる。最早近所のガキかもしれないという説は完全に無視だ。
こいつの言動を総合して、僕の脳は突拍子も無い仮説をはじき出す。こいつ、もしかして、
「お前、もしかして宇「うむ、ヨはな、宙から来たのだ。」
「ちゅうじんなんじゃ………ねぇの………。マジ!!??」
先に言われた!しかし、やはりだ。こいつ………!
「ソラといっても数百メートルのものではないぞ?光でさえ簡単にたどり着けない距離からはるばる来たのだ、この星まで。」
「………………!」何も言えなくなる。
「うむうむ。驚くのも無理はないな。ヨが調べたところ、この惑星には公的に外部の惑星からコンタクトがとられた記録は無いからな。」
「マ………ジ………か………よ………。」
急に、目の前の存在が恐ろしく感じる。僕はこっそり、背後のリュックを背面に手繰り寄せた。もしこいつが何か危険なことをしでかそうものなら、僕が持っている中で一番重い参考書(900 頁)の角でぶん殴ってでも止めるつもりだ。
「ヨの住む星は多分、この星の者どもにまだ発見されていない。だから、ヨのことはくれぐれも内密に頼むぞ?ハクア。」
「お、おう………。」
口の中が乾いてくる。動悸も加速する。とんでもない物に出くわしてしまった。参考書を握る手に力が入る。
「いやはや、屋根のある所を見つけられて良かった。野宿する羽目にならないかと心配だったのだ。」
宇宙人ジュラはこちらの驚愕を気にも留めずにケラケラ笑う。姿だけ見れば本当に子供だが………。
「じゃ、じゃあ、目的はなんだ?そんな遠くから、何のために地球に来たんだ!」
「………」
ジュラがピタッと止まる。笑みも消える。なんだ………なにかヤバい地雷でも踏んだか?参考書をいつでも振るえるように構える。
「う………む………。当然の疑問である………。用もなくこんな辺境には来ないものな………。」
「………。」辺境なんだ。地球って。
ジュラはまた困った顔をして考え込む。今度は言語の同期やら検索やらではないようだ。
「………。」
「………。」
「………あっそうだ。ヨはな、その、し、視察にきたのだ!この星にな!うむうむ。宇宙広しと言えど、文明が栄えている星はそうないものな!どの程度の社会が形成されているかを見に来たのだ!」
「………ふーん、視察ねぇ………。」
絶対嘘だろ。「あっそうだ」って言ってただろうが。今考えたな。
僕が疑いの目を向けると、ジュラはやはり目を逸らす。
「………そういうことにしておいてはくれまいか。いずれは、具体的には 500 時間後くらいには真実を伝えられると思うが………。この星に者どもを傷つけることだけは絶対に無いとだけは約束するから、どうか。」
苦しそうな顔をしながらもジュラは弁明する。不法侵入宇宙人の咄嗟の言い訳なんて信じるのは危険な気がするが、こいつ、宇宙人の癖してなかなかどうして表情豊かだ。懇願するような目つきに免じて、今はまだこの点は追及しないでおこう。他にも聞くことはまだまだあるのだから。
「じゃあさ、ジュラ、まだ質問があるんだけど。」
「なんだ?」
「ここは日本だ。地球の中でも小さい島国だ。そしてここはその島国の中でもさらに小さな街だ。」
「そうだな。」
「どうして“この街”の“僕の家”に降りてきたんだ?」
よくよく考えてみれば謎である。この広い星の中でピンポイントに僕の家(しかも布団の上)に来たことには理由があるのだろうか。日本のことを知りたければ首相官邸にでも行けば良い。
「それはな、なんというか、上からそう言われたからとしか言えん。あ、確認してなかったが、ここは〇〇県で合っているな?」
「そうだな。〇〇県□□市△△町××1-53 メアリーハイツ 201 号室だ。」
「うむ。ここに来るよう言われた以上の理由は無い。」
「じゃあ、なんで僕の家?202 号室の人の所でも良かったんじゃないのか?」できることなら隣人になすりつけてしまいたい。
「実はそれには理由があるのだが………。」
ジュラはまたきょろきょろと部屋を見回す。さっきも見回していたが、何が気になるのだろうか。
「この部屋からは、何かを感じるのだ。他の場所よりも………。特別な気配というか、匂いというか………?」
ジュラはとうとう立ち上がって棚を物色し始める。人の棚を勝手に漁るな。
「む、ハクア、これはなんだ?」
ジュラが棚から透明なプラスチックのケースを手に取る。中には鈍い金色の、飴のような結晶が収められている。
「それは琥珀ってんだ。なんか大昔の樹液とかが固まったものらしい。去年、教授のフィールドワークのバイトをしたときに貰ったんだ。それがどうかしたか?」
僕の通う大学には、生徒から“化石教授”と渾名されている教授がいる。なんでも界隈では超有名な研究者らしく、大学では授業の一環で化石採掘体験などを行う。僕は単位さえ貰えれば何でも良いので、その体験にも参加したのだ。その結果、報酬としてバイト代と小さな琥珀を貰った。別に授業内容に興味は無かったが、琥珀は綺麗なので飾っておいたのだ。
「ほほう………。開けても良いか?」
「いいぞ。」
ジュラはケースを開け、琥珀をつまむ。よく見るとジュラは指が四本しかないようだ。
「ほう、これは………。なんともキレイだ。そしてこれからは何やら興味深い匂いがする………。」
ジュラは顔に接するほど琥珀を近づけてまじまじと眺める。そして———
ぺろ
「む。うまい………。」
舐めた。琥珀を。
「ッ馬鹿!何やってんだ!貴重品だぞ!!!」
ジュラは次いで牙を閃かせ琥珀を齧ろうとし、僕は咄嗟に琥珀を奪い取る。
信じられねぇ、食おうと思うか普通!いや、宇宙人に常識を説いても無駄か………。
「えー一口くらい良いであろう?」ジュラは不服そうに口を尖らせている。
「駄目だ!誰もが持ってるもんじゃないんだぞ!」
僕は猛烈な勢いで琥珀を拭く。くそ。よだれがついてる。こいつのよだれ手で触って大丈夫なのか?毒とかだったらどうしよう。
さっき、500 時間くらい滞在するって言ってなかったか?こんな奴と三週間も一緒に暮らせというのか。僕は拭きつつ溜息も吐いた。
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