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「千代っ! どういうことなの!?」  バシッと鈍い音と共に、頬に鋭い痛みが走る。千代は赤くなった頬に手のひらを当ててうつむいた。 「私達が起きてくる前に、水汲みを済ませておけって言ったでしょう! たったこれだけの水で足りると思ったのかしら」 「ごめんなさい、さよ姉さん」  千代の台詞を聞いた瞬間、千代の実の姉であるはずのさよは眉を釣り上げた。 「姉さんなんて呼ばないで、汚らわしい」 「っ、はい……」  千代が小さくなった時、ギシギシと木の床を軋ませながら、機嫌の悪い顔をした恰幅の良い女性が姿を現した。 「なんだい、朝から騒々しい」  その声を聞いた瞬間、千代の顔色が変わる。 「お(かか)様……」  そう呟いて、千代はまじまじと、恰幅の良い女性――母親のつねを見つめた。縋るような眼差しに、畏怖が入り混じった複雑な表情の千代。そんな顔を一瞥し、つねは疲れたようにため息をつく。 「千代、おまえは本当に使えないね。そこの飾棚の上、塵が積もってたよ。掃除ひとつ満足にできないのかい?」 「……すぐに掃除し直します。すみませんでした」  千代は綺麗に正座し、畳の上に手をついた。さよは腰に手を当て、苛々と千代を睨む。 「あんたの料理、毎日不味いったらないわ。千代、あんたは掃除と料理を勉強なさい。ただでさえ、この山辺問屋の面汚しなんだから。もっと私達の役に立つように努力するのよ」 「はい、さよ姉さ……きゃっ!」  さよは手桶の水を、千代に思い切りぶちまけた。 「何度言わせるのかしら。姉さんと呼ばないで」  千代は唖然としながら、髪から水を滴らせる。さよはせいせいしたとばかり、ふんと鼻で笑った。 「おい、何の騒ぎだ!」  遅れて起床してきた男性二人が、座り込む千代と濡れた畳の惨状を見るなり目を剥いた。二人のうち年配の男性が、再び怒った顔で声を上げる。 「水浸しじゃねえか。誰の家だと思ってるんだ!」 「千代が手桶を倒したのよ、おとっつぁん」  すかさず口を挟んださよの声に、おとっつぁんと呼ばれた男性――父の彦一の鋭い視線は千代に向けられた。 「千代、おまえどういうつもりだ!」  千代はビクッとしただけで何も言えない。若い男性――兄の一郎は、千代を薄笑いで小馬鹿にしている。 「千代はいつもこれだ。役立たずはこの家にいらないよ」 (お(とと)様、一郎兄さん……)  目に涙を溜めて、男性二人を見つめる千代。目の前にいるのは全員血を分けた家族のはずなのに、昔からどうしたことか千代だけが冷たく当たられてきた。扱いも家族とは程遠い、下女そのもの。  仕立ての良い着物をとっかえひっかえのさよとつねとは対照的に、千代は毎日同じくたびれた着物に姉さん被り、たすき掛け、尻からげと酷い格好だ。 「()()()、そのまま帰ってこなければよかったのに」  さよの口から出たお決まりの台詞に、千代の心が暗く沈む。あの時、とは、千代がまだ幼い頃、兄姉と屋敷の裏手の大神(おおかみ)山で山遊びした時のことだ。一人置き去りにされた千代は山で迷ったが、運よく一人で家まで帰り着いた。  奇跡の生還を遂げた千代を待っていたのは歓迎ではなく、「なぜ帰ってきたのか」という非難の声だったが。それ以来、こうして「帰ってこなくてよかった」と事あるごとに言われている。  つねは雑巾を千代に投げつけながら、いつものごとく冷たい目をして短く命じる。 「掃除したらさっさと水を汲んでおいで。何事も手を抜くんじゃないよ」 「……はい」
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