173人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ
弾かれたように踵を返すと、千代は山辺問屋の屋敷を飛び出し、大神山へと一目散に駆けていく。歩きづらい山道を、足の大きさに合わない小さな草鞋で歩いていると、途端に鼻緒ずれを起こした足がずきずきと痛み出した。草鞋すらもろくに買い与えられなかった、哀れな自分を思い知る。
これまでの人生を振り返っても、幸せに笑ったことなど一度もない。ただ辛いだけだった。山に置き去りにされた時、迷ってそのまま果てるべきだったのだ。帰る家など、千代の居場所など、元よりどこにもなかったのだ。
だからこれからやり直す。あの時と同じ大神山に足を踏み入れて、辛い人生の終わりを受け入れる――。
「どうして……?」
虚ろな眼差しでひたすら山を登っていく千代の口から、ふと漏れ出る細い声。
「どうして私だけが、愛されなかったの……?」
その疑問に答える者は誰もいなかった。
最初のコメントを投稿しよう!