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少し日が傾きかけた頃、私達は美佳ちゃんから受け取った枝を持って玉依大社へやってきた。池の前まで来ると、女の子が池の中央まで滑るように飛んで行った。
「では、池の中にそれを入れておくれ」
女の子にいわれるまま池の中にそっと枝を入れる。女の子は目をつむり、祓詞だろう文言を唱え始めた。朗々と淀みなく歌うように紡ぐその姿は、夢でも見ているように美しい。私は瞬きもせず見つめていた。
「さて、これで呪いは解けた。その童の姿も戻ったかの」
いつの間にか唱え終わっていた女の子の言葉にはっとして、お兄ちゃんを見るとバックから飛び出したところだった。うさぎであったその姿は、地面につくころにはいつもの人の姿に戻っていた。
確かめるように何度か手を握ったりしていたお兄ちゃんに、私も安堵の息をついた。
「桜の化身。お前のおかげで、元に戻ることが出来た。ありがと、う……」
お兄ちゃんが女の子に向けて言っていたお礼の言葉が途中で途切れる。不思議に思った私は、その視線の先を見て息を飲んだ。
池の上には天女が立っていた。夕日が後光のように差していて、意志の強そうな目がこちらを優しげに見つめていた。
「言うたであろう? これが妾の本来の姿じゃ」
声は少し低くなったが、間違いなくあの女の子だ。妖精から天女になった彼女に思わず感嘆のため息が漏れた。
「な、なんで……」
「お兄ちゃん?」
震える声に怪訝に思い隣を見る。お兄ちゃんは顔を真っ赤にしたかと思えば、力が抜けたようにへたり込んだ。
「そんな……人間じゃなかったなんて……」
頭を抱えてぶつぶつと項垂れているお兄ちゃんを、私と同じようにまじまじと見ていた女性が「おぉ!」と何かに気づいたように手を打った。
「お前あの時の童か! しばらく見ないうちにずいぶん大きくなったものだ」
「えっと、お兄ちゃんのこと前から知ってたんですか?」
「うむ。妾のことを見える人の子などそうおらぬからよく覚えておる。妾に求婚した童だから特にな」
「へぇ~。お兄ちゃんが求婚を……って求婚!?」
びっくりして叫ぶと彼女は頷いた。
「うむ。桜の花びらを差し出して、大人になったら結婚して欲しいとずいぶんと愛らしことを言うておった」
「違う! 俺は人だと思って! それに次に会った時に答えるって言って、あれから一度だって姿を見せたことなかったじゃないか」
「すまぬすまぬ。うたた寝のつもりであったがちょっと長かったらしいの」
「十年はちょっとじゃない!」
必死に抗議している兄ちゃんにお母さんが言っていたことを思い出した。子供のころ突然お兄ちゃんがここの桜が嫌いになった理由も察する。
「彼女に振られたと思ったからなのね……」
それにあの言い分だと、大人にいいようにあしらわれたと思ったからなのだろう。
自覚があるかは分からないが、今も未練がある言動で詰め寄っているお兄ちゃんに、私は今日一日の疑問もどうでもよくなり早く帰りたいな、と遠い目をした。
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