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境南高校の秘密兵器
先発の田端が2回に1点を先制されたが、境南高校は4回裏に3点を奪い逆転。田端は満塁のピンチを背負ったものの、5回を2失点に抑える好投を見せる。6回からマウンドに登った坂上は低めを丁寧に投げて8回まで1失点と、滅多打ちされた雪辱を果たした。7回裏に1点を追加した境南高校は、4対3のスコアで9回表のマウンドに碧が立った。
先頭バッターを外野フライに打ち取った所で異変が起こった。まだ3分も経っていないと言うのに、碧の変身が解けてしまったのだ。主審が確認の為にダッグアウトに引き上げる。碧も塁審に断りベンチに走ると、佐藤君の手を引いてロッカールームに向かった。
「一体どうしたんだ」
「判んない。緊張してたせいかも。兎に角ユニフォームがブカブカじゃ投げられないから着替えないと。どこにあるか判る?」
「そっか。小さいユニフォームなら一番奥のロッカーに吊るしてあるよ」
「有難う」
バタンッと扉を閉めて急いで着替え始めた碧。Sサイズのユニフォームにもちゃんと背番号「11」が縫い付けられていた。
着替え終わってシューズを履き替えると、佐藤君がずっと待っていてくれた。
「待っててくれたんだ」
「当たり前でしょ」
「......やっぱり、下田君に替わった方が良いかな?」
「なんで?」
「だって今のアタシじゃどう頑張っても120kmしか出せないから。打たれて負けちゃうよ」
「何言ってんの。ホラ、早く行くよ」
佐藤君が碧のほっぺたをムニッとやった。
碧がロッカーで着替えている間に審判団が境南高校ベンチに来た。主審が潤平の前に立つ。
「登録は確認できましたが、念のためお聞きします。佐藤部長、佐藤碧選手は男子部員で間違い無いですね?」
数秒間の沈黙。ベンチの全員が固唾を呑んで潤平の答えを待った。
「はい、3年C組の佐藤碧は、間違いなく境南高校野球部の男子部員です」
それを聞くと主審は「判りました。試合を再開します」と言い残して去って行った。
「嘘は.....言って無いよな?」
振り返った佐藤部長に、ベンチの全員が笑顔で「はい!」と返した。
小走りに戻りながら、一塁の塁審が
「主審、確か境南高校の佐藤部長には娘さんしか....」
と言った所で主審が遮った。
「佐藤碧が男子部員で選手登録されていて、責任者の野球部長も男子だと答えた。試合に出られるのは男子だけだが、途中で女子に変わった場合なんてルールブックに載って無いんだ。だから今回は私が判断するよ」
碧がベンチに姿を現すと、控えの選手達が拍手しながら「頑張って下さい!」と声を掛けて来た。真鍋監督と潤平も微笑む。
「さっき主審が試合続行だと言いに来た。みんなが待ってるぞ」
「でも....」
逆転負けの不安に表情を曇らせる碧。
すると潤平が諭すように言った。
「いいか碧。碧のユニフォームには背番号がある。その背番号は、これまで高校野球の歴史に沢山いた女子部員達が、どんなに憧れても手に出来なかったものだ。
形はどうあれ、碧はあのマウンドに立つ事が出来る。女子でも活躍出来ると碧が証明すれば、きっとこの先高校野球の未来が変わるだろう。だから堂々と胸を張ってあのマウンドに立て。すべての女子部員を代表して、精一杯の球を投げて来い!」
父親にポーンと背中を押されてグラウンドに飛び出した碧に、大観衆がどよめく。「リラックスして行けよ~」と真鍋監督のゆる~い声が聞こえる。
碧は青空を見上げ、「んー」と大きく両腕を伸ばした。そして意を決してポケットからラメ入りのゴム紐を出すと、長い髪を束ねながらマウンドに向かって走り出した。
「マジでオンナじゃん」
「おいおい、トンでもねーぞ」
観客の声が聞こえたが、既にスイッチの入った碧の耳はスルーした。キャッチャーの田中が駆け寄る。
「お待たせ♪」
「いやー、試合中に碧君から碧さんに変身するとは。ウチの守護神はやっぱ凄いね」
「そんなん良いから。それよりあと二人、どうやって抑えよっか」
「それなら大丈夫。監督がいつも通りに投げれば良いって言ってた。境南高校の秘密兵器の実力が判るってよ」
「!?」
スタンドで応援するダンス部のみんなが「アオイー!」と悲鳴の様な声をあげる。結衣は碧にずっと練習に付き合い続けた日々を思い出して泣いた。
コスメ店と雑貨店を回り、喫茶店やサイゼリヤに行く休日の王道コースが、ランニングと筋トレと野球用具店に行く王道コースになった。碧のお陰で投球術やライバル校の強打者にも詳しくなった。練習試合で痛打された後は夜遅くまで反省会をした。
まさか、いつもの碧の姿で決勝のマウンドに立つとは想像していなかった。涙が溢れて止まらなかった。
主審がマイクを握る。
「えー、佐藤選手が女子部員では無いかとの疑いがありましたので確認をしました。ルール上男子部員しか試合出場が出来ませんが、途中で女子に変わった場合の規定はありません。見た目は女子部員ですが、佐藤選手が男子部員として登録されていると確認が取れましたので、主審判断により、このまま試合続行と致します」
大観衆の大きな拍手と共に、決勝戦が再開されたのだった。
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