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種明かし
野球用具を肩に担ぎ家路へと歩きながら、野島は真鍋監督との話を思い出していた。
「碧の姿が元に戻った時にはホント焦りましたよ」
「いやいや、逆だ。あのまま元に戻らなかったら、多分負けていたよ」
監督の意外な答えに驚きを隠せない。
「1アウトを取ったとは言え、結構外野の奥までフライを飛ばされた。あの姿の碧はストレートしか投げないし、相手が豪速球を打つ練習を積んでいるのは判った。
もっとも、この暑さじゃすぐに碧が元の姿に戻ると思ってたからね」
「どうしてですか?」
「だって何かの毒素なんだろ?碧には朝から水を沢山飲ませてたし、あれだけ暑くて汗を大量にかけば、デトックスで毒素もすぐに抜けるでしょ。男子の姿じゃないと登板出来ないけど、計算通りにマウンドの上で変身してくれたしね。そうなりゃ主審判断で続投になると踏んでたんだよね」
誰もがアクシデントだと思っていたが、真鍋監督は最初から元の姿の碧に最終回を任せるつもりで、だからSサイズの背番号付きユニフォームも用意されてあった。
「最初に碧の投球を見た時に、みんなは豪速球に目を奪われた。だけど僕は変身する前の投球に惚れたんだよ。ストレートが120km弱でスローカーブが70km以下だ。球速差が50kmはえげつない。それにストレートもカーブもフォームが同じで、制球力も抜群と来た。こりゃ並みの高校生では打てないなと思ったよ」
真鍋監督の言う通り、最後の打者も長打を狙って力んだ末のボテボテのサードゴロだった。それだけの逸材なら即戦力で使いたくなるが、真鍋監督は碧を長い間公式戦に出さなかった。それには理由があった。
ただ野球が上手いだけでレギュラーにすれば、他の選手が認めない。だから3年生になるまで碧が地道なトレーニングや雑用を黙々とやれるのかを確かめた。野球に対して真摯に取り組み、学業も疎かにせず、周りからも仲間と認められているのを見て、始めて登板させた。それは教育者としての真鍋監督の流儀だった。
変身した碧が登板する時に、ストレート以外の変化球を禁じたのは勝負師としての理由からだった。下手に変化球を投げれば故障のリスクが増える。豪速球がどの程度身体の負担になるのかが読めず、元の姿のフォームを崩す恐れもあった。
ストレートしか投げない単調な投球では、痛打を浴びる試合もある。その悔しさをバネにもっと成長してくれれば良かった。
公式戦には男子部員しか出場が出来ない。だから変身した姿で投げさせて試合勘を保ちながら、上手く勝ち進めば決勝戦の最終回と言う大事な場面で、元の姿に戻す.....それが真鍋監督の立てた作戦だった。
仮に豪腕投手のまま甲子園に行けたとしても、相手に研究されて10分近く粘られたら降板するしかなくなる。それよりも、県大会のうちに正体を明かして、碧が元の姿で本大会を投げられるようにした方が得策だった。
「秘密兵器を上手く隠せたね♪」
そう言って笑う真鍋監督に、野島は「この監督、案外策士かも?」と思った。
野茂英雄、伊良部秀輝、松坂大輔と言った豪速球投手が活躍した1990~2000年代。120km台のストレートと70kmのスローカーブを武器に、エースとして君臨した投手がいた。通算176勝、2041奪三振の名投手・星野伸之。
ある選手は最も速かった投手として星野の名前を挙げ、元大リーガーは余りにも打てないのでバットを逆さまに持って打席に立った。
ボクシングのライト級世界王者・畑山隆則も、ライト級最強と称されていた坂本博之との試合前にインタビューでこう言った。
「僕は彼よりも顎が弱い。僕は彼よりもパンチが無い。だから勝てるんです」
顎が弱いからしっかり守り、パンチが弱いから手数で勝る。結果は壮絶な死闘の末、畑山選手の10回TKO勝利に終わった。
渾身の力でも遅い球しか投げられないなら、遅い球を極めれば良い。体格に恵まれていないなら、技術を磨きあげれば良い。
どんな分野でも同じ事だ。素質に優れた者だけが価値がある訳では無い。弱いなら弱いで、ダメならダメで、価値がある。
自分が才能に恵まれていないと嘆くのではなく、逆に上手く活かせば良いのだ。
つくづく、人生は奥が深い。
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