春と憂鬱

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春と憂鬱

 分厚いダウンジャケットで着ぶくれした僕は、満員の音楽フェス会場でもみくちゃにされていた。なんでこんなものに参加しているんだ?  服の下を汗がつーっと滴る。ムッとこもった熱に耐えられなくなり、横で飛び跳ねている太った男の人を思い切り手で払いのけた。  、、、 あれ、夢だったのか、、  男の人を払いのけたはずの腕はだらしなく頭上に伸び、羽毛布団は蹴落とされていた。変な夢を見たのはこいつのせいか。そろそろ布団も変える時期か。  起床時間12時20分。 春休みは昼に起きるのがデフォルトになってしまった。 一人暮らしを始めた一年前はもうすぐ始まる大学生活に期待と緊張がふくらみ、新学期が近づくにつれそわそわして、早く目が覚めていた。それから一年。成績も大学生活も中くらい、または中の下ほどの出来栄えで、つまりは僕の期待していたキャンパスライフではない。部屋はすっかり僕に馴染み、あの頃の真新しい空気の代わりに、けだるい雰囲気が落とし込まれている。  とりあえずカーテンを開け、冷たい水で顔を洗い、体を起こそうとした。汗をかいていたことを思い出して水道水を飲んだ。蹴とばした羽毛布団を持ち上げてまたベッドの上に戻した。布団を変えるのがめんどくさいんじゃない。僕は寒がりなんだ。そのままベッド前のローテーブルの前に座りスマホを開くと、担任から初回授業の連絡が来ていた。  『3組の皆さん、春休みはいかがお過ごしでしょうか?初回授業についてのお知らせです。4月10日 経営管理論 2限目 6-213教室 皆さんに会えるのを楽しみにしています!』  今日は4月6日。あと4日で春休みが終わってしまうではないか。ぎゅっと心臓をつかまれたような感覚がした。 なんだか落ち着かなくなってスマホを置いた。他にすることを探して、埃のかぶったギターケースが目についたがすぐ逸らした。1回生の春に買ったアコースティックギター。音楽へのあこがれから勢いで買ったものの、よく考えればマンションで弾けば音が迷惑なんじゃないかと思い、それから結局、ほとんど触っていない。    ふとお腹がすいていることに気づいた。 カップラーメンを食べようと思ったが、なんだか甘いものが食べたい気分だ。少し考えてから僕は着替えた。緑のスウェットに黒のボトムス。スウェットは街ゆく人だれもが着ている、ちょっと出歩くのにちょうどいい服。だと僕は思っている。鏡を見て髪が乱れていないかチェックしてから、スニーカーを履いてドアを開けた。  とたんにその温かさに驚いた。これはさすがに、寒がりの僕でも布団を蹴とばした訳だ。春は突然暖かくなったり肌寒くなったりするものだった。今日はここ最近で一番暖かいんじゃないか。 服を間違えたと一瞬後悔したが、まあいいかと歩き出した。マンションの階段を下りて外へ出ると、パッと明るい光が僕を包んだので、眩しくて目を細めた。 やわらかい太陽の光だ。干したての布団、あるいは自然のような、心地よい香りがする。そして、世界は少しだけ彩度を上げたように思える。 歩き出すと、寝起きのけだるさがすっと抜けて、おだやかで活動的な気持ちに変わっていった。そのまま坂道をのぼり、左に曲がったところで僕の気持ちはしゅんとしぼんだ。 広い駐車場にはたくさんの車が並んでいる。 こどものはしゃぐ声、お酒を飲んだ大人のカラッとした笑い声。 「はい、撮るよー。はい、ちーず」 公園の芝生の上にはレジャーシートが並んで、公園の真ん中でボールがはねて、大学生くらいのグループは愉快そうに話し、そして彼らの肩にゆれる影は、頭上を見上げれはそこに咲き誇る無数の桜。  僕は満開の桜に目をとられてしまった。広い公園を囲うようにずらっと並んだ桜の樹は、まるで何かを祝福するかのように、みな両手いっぱいひろげて爛漫と咲き誇っている。 淡いピンクの隙間に見えるみずいろの空。そのコントラストが僕には悲しかった。  今年も花見なんてできやしない。 特別さみしい人生を送ってきたわけではないが、僕の人生は決して日の目を見るような人生ではなかった。そしてこれからもきっとそう。 小さい男の子が桜の樹によじ登ろうとしていた。「だーめー!登らないの!」僕は家族を思い出した。今は家に帰ったってひとりぼっち。  桜を嫌いな人なんていない。  特に日本人はそうなんじゃないかと思う。天気予報と並んで桜の開花予想なんて放送するのは、よく考えれば笑けてくる。僕の部屋にはテレビなんてないので、そんなものは知らないが。 桜に浮かれた人間の声を無視して、それ以上に風に揺れる花びらの音を無視して、一生頭上を見上げないつもりでコンビニへ向かった。  コンビニの菓子パンコーナーに行くと、そこには「桜ホイップコッペパン 」「桜の葉を練りこんだあまじょっぱメロンパン」「桜餅風味あんぱん(餅入り!)」などが並んでいた。僕は桜味が嫌いだ。甘いのかしょっぱいのか分からないし、変に草のような香りがすることもあるし、そもそも開発者は本当の桜の味を知っているのだろうか? 僕は生イチゴサンドを買った。桜味が好きじゃないだけ。僕だって「春の甘党フェア」に乗っかっておきたいんだって。  コンビニを出ると花見客らしき若い集団に出会って、なんとなく気まずくなった。また満開の桜の下を歩いて帰らないといけないと思うと気が重かった。  例の道にさしかかった時、突然足元に毛深いものが触れてぎょっとした。 「うわ!」思わず声が出た。 「こらペコ!」 振り返ると、同い年くらいの女の子が必至でリードを引いていた。それをたどると、僕の足元にコーギーが、下を出してご機嫌そうにこちらを見ていた。 「す、すみません、、ほらいくよ!」 女の子は焦りと気まずさが混じったような顔でこちらを見て、生イチゴサンドの袋を名残惜しそうに見るコーギーを引っ張って、はや足で行ってしまった。 満開の桜と、コーギーを散歩する女の子はお似合いだった。  その後、僕は部屋で生イチゴサンドを食べた。 コーギーの件があってから帰りはそれほど憂鬱にはならなかったが、それでも景色を楽しむことはしなかった。それから女の子の表情を思い出して、気の利いたことを言えなかったことに後悔した。 イチゴサンドを食べるような小さな幸せでいい。花見など僕には似合わない。  気づけば眩しいオレンジ色の光がローテーブルに落ちていた。 静かであたたかい。僕は春の日暮れが好きだ。 イチゴサンドの包みを捨てた時、ゴミ箱がいっぱいだったことを思い出して、ゴミを出そうと思いのっそり立ち上がった。 ゴミ袋を縛るとき中から空気が押し出されて、インスタント麺、バナナ、納豆、いろんなにおいがして臭かった。 ゴミ袋を持ち上げて、よっこらせとドアを開けた時、知っているシルエットが見えた気がして顔を上げた。すると向こうも気が付いていたのか、ばっちり目が合ってしまった。 「あっ」 一瞬気まずい空気が流れて、僕は何を言おうか言葉を探そうとした。 「あっ、さっきの方、、ですよね、?さっきはうちの犬がすみません!」 「、、いえ!全然大丈夫です」 またしても気の利いた言葉なんて言えず、相手のリードに無難に答えるのみだった。 「ここに住んでらっしゃったんですか、、?」 気まずさを取り払おうと、なんとか自分からも話しかける。すると、相手は少し頬を緩めた。 「この春から大学生になるんです。それで一人暮らしです!今日は最後の荷物を運びこんで、しばらく会えなくなるので、さっきは愛犬と散歩を、、、」 女の子は誇らしそうに一気に喋ってから、愛犬のくだりで眉を下げてほほ笑んだ。 「僕も犬飼ってるんで全然平気ですよ。久しぶりに帰ったら歓迎が凄いので、楽しみにしててください」 最後のほほえみは僕に対して申し訳ない気持ちがよみがえったせいなのか、愛犬との別れを惜しんでの微笑みだったのか分からなかったので、どちらもフォローしておいた。 すると女の子は緊張が解けたように肩を落として、さっきよりも明るい声で話しだした。 「ここの桜、きれいですねー。私もお花見したくなりました」 「わ、わかります」 不意を突いて本音を曝されてしまったようで、きまりが悪くなった。それが表情に出てしまっていたのか、女の子は少し考えてからまた話し出した。 「部屋ここなんですね!私は307号室です」 僕の部屋は305号室なので、なんと二つ隣ということじゃないか。 そこで気づいたが、女の子はなにか黒いものを背負っていて、よく見るとギターケースのように見えた。ここはマンションだというのに、どこで弾く気なんだろうか。 「もしかして大学生ですか?ご近所同士なので、よろしくお願いします。」 女の子がそう言って律儀に下げた頭の上に、一枚の花びらが乗っていた。 去ってゆく頭に乗ったパステルカラーを見ながら、僕は桜もさほど悪くないような気がした。
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