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桜の植え替えの手続きには、しばらく時間がかかるようだった。今度の桜は文化財らしく、条例やら、法律やらで、とにかく書類が必要だった。彼が、実際に穴を掘る作業に取り掛かれたのは、落葉が積もり始める秋のことである。
8年前もこんなことをやった記憶があるな、と彼は懐かしく思い出していた。そして、遅くとも冬までには植え替えの作業は完了させなければいけなかった。
「本当は秋に植え替えを完了するのが一番いいんだけどな」
と造園業のプロの社長は言っていた。
「春はダメだ、開花の季節に植え替えはできない。遅くとも冬中には植え替えを終わらせないと」
木枯らしの吹く中、桜の落ち葉を踏みしめて、彼女は喫茶店にやって来た。えんじ色のマフラーをつけた彼女は、本当に彼女によく似ていた。
「今年、お姉ちゃんと同じ年になったんです」
と、彼女は言う。
「私たち、年の離れた姉妹だったから。お姉ちゃんがいなくなったとき、私は10歳だったんです。8年後の私は、本当に当時の姉と似ているみたいで」
「それは、周囲の人間が驚くんじゃないですか」
と彼が尋ねると、彼女は頷く。
「ええ、特に両親が、本当に私のことを過保護にするんです。8年前に失踪した姉のように、私もいなくなってしまうんじゃないかって。……だから私、解決するんです。」
と彼女が立ち上がった。
「私の顔は、当時の姉にそっくりなんですから。聞き込みできるのは今しかありません。実際、私の顔を見て、昔を思い出した人だっているんです」
店主は心配そうな表情をみせた。
「あまり危険なことをしてはいけませんよ」
彼女は笑った。
「大丈夫です。姉みたいに突然いなくなるなることは、絶対にしませんから!
街ではちょっとした話題になっていた。8年前の幽霊が、そのまま姿を現したのだという人もいた。警察が行方不明者の情報を、写真を見せて聞き込みすることがあるが、彼女はその写真そのものだった。彼女の亡霊が、彼女自身の行方を捜していた。
「やれやれ、変なのが出てきたな」
と社長は頭を抱えている。8年前、彼女が失踪した際に疑われたのは造園業を営む彼であった。なぜなら彼女は、かの会社の経理を務めていたからである。
田舎の小さな会社にはよくあることだが、彼の会社あまり「ちゃんとした」会社ではなかった。従業員の出身や経歴にはあまり気が払われていないので、行方にも気が払われていなかった。突然会社に来なくなる人間もたくさんいた。帳簿はややいいかげんにつけられていた。
そんな中、彼女は一人だけ生真面目に、黙々と自分の業務をこなしていた。8年前若者だった店主は、そんな彼女の姿が好きだった。
彼女の失踪後、やってきた警察の質問に、彼はのらりくらりとかわした。いくつかの労働法の問題が明るみに出たものの、社長や会社が彼女の失踪に関わっていないのは明白だった。
事実、小さな造園業を営む会社にとって、彼女の損失は大きかった。彼にとって、彼女の失踪はあまり良い思い出ではなかった。
社長は言った。
「そんな話、今頃蒸し返されてもな」
と喫茶店を訪れている社長が言う。
「おおかた、男が出来て、別の都会に駆け落ちでもしてるんだろう」
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