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エイルダイアンにやって来たばかりの頃は、真っ白な雪がちらちらと舞う寒い季節だった。それも今ではすっかり、足元には青々とした草花の生い茂る過ごしやすい気候となった。
ハネスの一件が終息し、私達は再び日常を取り戻した。相変わらずアレイスター様のお屋敷にお世話になっている。
あれから西ヒスタリア帝国はかなり窮地に立たされているらしく、なんと私を正式に迎えたいだのという手紙が届いた。アレイスター様の話では、国に聖女が存在しているというだけで箔がつくらしく、帝国は恥を晒してもなりふり構ってはいられない状態なのだと。
あの時のアレイスター様は、見たことのない表情をしていた。手の中の手紙は一瞬でチリと化し、彼は「後は全部私に任せて」と言ってにこりと微笑んでいた。
なぜかその笑みがとても恐ろしかったのを、今でも覚えている。
「アズ様、早くこちらへ来てください!」
真っ白なワンピースを身にまとい、銀髪を揺らめかせながら私は振り返る。イアンお手製のサンドイッチが入ったバスケットを持ったアザゼル様に、何度も手招きをした。
(バスケットとアズ様、似合わない)
それが妙に微笑ましく、くすくすと笑う。
私達は久し振りにアレイスター様のお屋敷を出て、ピクニックへとやって来た。後ろで一つに纏められた艶やかな黒髪は、陽に照らされまるでオニキスのように輝いている。
「ずっと憧れていたのです。冬を越したらこうしてアズ様とピクニックがしたいと」
今までにない経験に、胸が躍る。たったこれだけのことではしゃぐ私を、アザゼル様は嗜めることなく優しげな瞳で見つめていた。
「お前はすぐ、何にでも感動するな」
「だって、私にとっては全てが新鮮なのです」
「褒めてんだよ馬鹿」
唇を尖らせた私に、アザゼル様はそう言ってぽんと頭を撫でた。
私達は木の根元に並んで腰を下ろし、眼下に広がるエイルダイアンの街を眺める。アザゼル様は空間転移の魔術を使うと言ったけれど、私はそれを断った。
「草の上で飯食って何が楽しいんだか」
「あら。ではアズ様ではなく、レイリオを誘えば良かったですか?」
「アイツはダメだ。つか俺以外ダメに決まってんだろ」
「ふふっ」
眉間に寄ったシワが、不機嫌さを物語っている。相変わらずの天邪鬼に、私は思いきり笑った。
あえて敷物は敷かず、柔らかな芝生の感触を楽しむ。独特の青い匂いも、眩しいほどの日差しも、髪を弄ぶそよ風も、全てが愛おしい。
「幸せですね」
気が付けばぽつりと、そう溢していた。アザゼル様は私の頭に手を添えると、そっと自分の方に傾ける。彼の肩にもたれかかるかたちになり、私は静かに目を閉じた。
「お前と出会ってから、幸せじゃなかった日なんか一日もねぇよ」
「アズ様…」
「言っとくけど、鳥の姿の時からだからな」
思えばあの日、私が王城で金色の小鳥を見つけなければ、この幸せな未来はなかったかもしれない。そう思うと、悲しい過去も全て今へと繋がっているような気がする。
「あの時、オーロの姿のアズ様を助けることが出来て本当によかったです。だってあのままだったら、大変な事態になっていたかもしれませんから」
「ああ、あれな。あれはまぁ、多少の演技も入ってた」
「ええ!」
思わず頭を起こし、目を瞬かせながらアザゼル様を見つめた。
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