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(許せない、許せない、こんなこと…っ)
今までに感じたことのない、腹の底がふるふると震えるような怒り。スティラトールに居た頃、どんなに虐げられようとこんな感情に支配されることはなかった。
人を人とも思わぬ、命を弄ぶ支配。ハネスという人物は私が思っていた以上に、性根の腐った人間だった。
「こいつら全員、俺みたいに実験されたのか…」
レイリオが、肩を震わせる。彼の心情を思うと、涙が溢れそうだった。
「団員だけではありませんね。軍服を着た人間も混ざっています」
「こんなことをして、皇帝も流石に黙認はできないんじゃないのかしら」
「アザゼル様を殺し聖女と獣人を手に入れれば、あとはどうにでもなるという算段でしょう」
「なんという浅はかな…」
感傷にばかり浸ってもいられない。彼らは躊躇なく、私達に襲いかかる。異形と成り果ててしまった人達は、己の意思関係なくその鎌のような手や獣のような尾を振りかざす。
「ごめんなさい…っ」
こうなってしまっては、もうどうすることも出来ない。私は一度目を瞑り、自身の中に宿る聖女の力に祈る。
(どうかこの方々に、安らかな眠りを)
「…いきましょう、みんな」
そっと瞳を開く。全身に纏う淡い光が一層眩く光り、私は掌に神経を集中させた。
「はい、イザベラ様」
「ここを抜けて、あのくそ野郎を締め上げてやるわ!」
「俺も絶対に、許さない!」
仲間の顔を見ていると、心に巣食っていた怒りが不思議と落ち着いていく。自分は決して、ハネスのように感情に支配されたりはしないと固く心に誓い、強く地面を蹴り前へと飛び出した。
「はぁ…っ、はぁ…っ、ぐ…ぅ…っ」
「アザゼル様!」
最上階での闘いも終盤だった。私達が駆けつけた頃には、ハネスは地に片膝をつき苦しげに胸を押さえていた。
アザゼル様の金色の瞳は一切濁ることなく、堂々と輝きを放っている。
「イザベラ」
「アザゼル様、よかった…っ」
爆風や残骸の飛び散りで多少の傷を負ってはいるものの、彼の優勢は一目瞭然だ。むしろ人成らざるものの体液に塗れた私達三人の方が、余程酷い格好をしている。
「寄るな、最期まで俺がカタをつける」
固い表情のまま、アザゼル様はハネスを睨めつけている。
彼にとってグロウリア・ハネスは、腹違いとはいえ血を分けた弟。そんな存在を手にかけなければならないその心情は、きっと私には分からない。
けれどこの男は、命を乞うにはあまりにも犠牲を出し過ぎてしまったのだ。
「もう、この城には魔術師団の者は貴方以外には居ない。息のあるものは逃げ出し、そうでないものは瓦礫の下。貴方が無惨にも異形に変えてしまったもの達も全て、イザベラ様の力で無へと還しました」
淡々としたイアンの言葉に、ハネスがぎょろりを向ける。ステイプ伯爵家で初めて対峙した時のような面影は、もうどこにも残っていなかった。
金色の瞳は濁り、呼吸すらままならないように見える。
それでもハネスからは、肌を突き刺すような殺気が溢れていた。
「おかしい、こんなものは絶対に間違っている。魔術師もどきのお前と、高潔なる僕では格の違いは明らかだというのに。何故、こんな男に付き従う意味がある…!」
(やっぱり、可哀想な人だわ)
あの夜感じた、ハネスの強い孤独。この男は誰よりも力を欲し、その一方では別のものに憧れを抱いていたのかもしれないと思う。
間違いを間違いだと、正してくれる存在がいたならば。もしかすれば違う未来が見えていたかもしれないのに、と。
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