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ふわふわと体が軽く、頭は妙にすっきりとしている。先程までの轟音が嘘のように、辺りはしんと静まり返っていた。
自身の小さな呼吸音一つさえ、響いてしまいそうなほどに。
(ああ私は、死んでしまったのかしら)
もしそうであるならば、とても悲しいと思う。だって今の私には、詩を悼んでくれる存在がいるから。
今までならば、こんな感情が浮かぶことはなかった。聖女の力を利用できなくなるという落胆はあっても、イザベラという一人の人間が居なくなったところで、誰も気にすることはない。
聖女であること以外には価値がないと、ずっとそうして生きてきたから。
アザゼル様に出会い、全てが変わった。
イザベラとして生きることを選択したその瞬間から、私の世界は色付いた。例えそれが、赤や黄色の鮮やかなものばかりではなかったとしても。
(ここはどこかしら…)
今自分が立っているのか座っているのか、はたまた横たわっているのか。それすらもよく分からなかった。
グロウリア・ハネスは灰となって消えた。私の手の中であの男の体は確かに、無となって散ったのだ。
それがどうしてなのかは、私にも分からない。ハネスが発した瘴気に似た力を、聖女の力が相殺したのか。魔力の限界を超えたあの男は、最早肉体すら保てない状態にあったのか。
どうしてそこまで、追い詰められてしまったのだろう。地位、権力、金、賞賛、それらがグロウリア・ハネスという存在を狂わせたのか。
──また会えますね、父上。
体が灰となり砕け散る直前、あの男は私の耳元で確かにそう呟いた。それが、最期の言葉だった。
可愛らしい顔立ちに、甘い笑顔。それらに狂気を孕ませてしまったのは、一体何なのだろうか。もしもハネスがアザゼル様と同じような人生を歩んでいたとしたら、心から笑うことが出来たのだろうか。
それはもう永遠に、分かることはない。
「アザゼル様…」
きっと、嘆いているだろう。己のせいだと、自分を責めているだろう。私を心から愛してくれる、たった一人の大切な人。
死にたくないと、身体が震える。もう既に死んでいるのならば、それには何の意味もないけれど。
(私は、生きていたい)
やりたいと思うことも、一緒に居たいと思う人も、たくさんあって、たくさん居る。
大切な人を大切に思い、そして自分自身のことももっと考えたい。
聖女としてイザベラとして、決して幸せばかりではないこの世界で、まだ足掻いてみたい。
「スティラトールの女神様、どうか…」
胸の前で両手を組み、天を仰ぐ。今自分が見ている空が何色なのか、よく分からない。
そう。分からないことはまだ目の前に、たくさん広がっているのだから。
「あれは…」
そうして必死に祈りを捧げている時、不意に何かが視界に映る。それはふわふわと、けれど確実にそこにあった。
掴もうと手を伸ばし、そしてゆっくりと胸に抱く。金色に輝くそれはとても温かく、私の目尻からは一筋の涙が溢れて落ちた。
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