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しばらくの後にアレイスター様との勉強会が再開され、彼はことの顛末をかいつまんで私に教えてくださった。
「西ヒスタリアは今大騒ぎだ。グロウリアのしでかしたことが大き過ぎるからね。ハネス公爵家の取り潰しだけでは済まないだろう」
「それはつまり…」
「これは私の推測でしかないけれど、もしかするとハネスは本心ではそれを望んでいたのかもしれない」
アレイスター様の言葉に、私は驚愕する。けれど同時に、ハネスの最期の顔が鮮明に脳裏に浮かんだ。
あれは、全てを手に入れた人間のする表情ではない。渇望し、懇願し、救われたいと願う悲しい瞳。
「彼の父親はアザゼルを時期団長に推挙しようとしていたから。あれだけ過酷な日々を耐え凌いだ代償がそれだった、その屈辱は耐え難いものがあったんだろう」
「…それでも決して侵してはならない禁忌があります」
「そうだね、君のいう通りだ。私もハネスに同情する気は微塵もない。魔術師団は解体されるだろうし、あの男の暴走を止められなかった西ヒスタリア皇帝もタダでは済まない」
これは全て、仕方のないことだ。レイリオを傷付け命を弄び、他者を蹴落とそうと画策した報い。
それでもやはり、あの瞬間に感じた思いは今もなお変わらない。
(来世ではどうか、幸せに)
「君にそんな顔をさせるつもりはなかったんだ、イザベラ」
申し訳なさげな声色に、はっとして顔を上げる。
「申し訳ございません。アレイスター様」
「謝ることは何ひとつないよ」
穏やかな濡羽色の瞳を見つめながら思う。私が想像だに出来ないほどのものが、この方の双肩にはかかっているのだろうと。
「アレイスター様がこうして知識をつけてくださったおかげで、私は大切な人達を守ることが出来ました」
「それは君自身が努力を重ねたからだ」
「それでも私は、心からアレイスター様を尊敬しております」
きっぱりと言い切ると、アレイスター様は見たこともない表情で破顔したのだった。
「あ、あのアザゼル様」
「んー?」
「距離がその…ち、近いです」
「知らね」
私が無茶をしたせいか、アザゼル様は最近とんとこの調子で、私の隣にべったりと張りついて離れない。
アレイスター様に勉強を教えていただいている時間だけは、開いたドアの向こうから見ているに留めているけれど。
湯浴みにまでついてこようとした時は、流石にロココさんが止めてくれた。
「あの、アザゼル様」
彼に触れられることは嬉しいが、いつまで経っても慣れない。熱を持つ頬をそのままに、私は彼に問いかけた。
「私ずっと前から、気になっていたことがあるのですけれど」
「あ?なんだよ」
「アザゼル様はどうしていつも、そんなにいい香りがするのですか?」
こうして隙間なく密着していると、ふと思ってしまう。半ば無意識にくんくんと鼻を動かすと、アザゼル様はまるで魔術でもかけられたかのように固まってしまう。
「…イザベラお前」
(これはなんだか、とっても嫌な予感)
「あっ、わ、私少し席を外して」
「ダメだ、許さない」
金色の瞳をすうっと細めたアザゼル様が、私の耳元に唇を寄せる。かかる吐息は熱を帯びていて、頭がどうにかなりそうだった。
「煽った責任、とれ」
その言葉と同時に耳たぶをかぷりと甘噛みされ、私の視界はぐらりと揺れた。
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