僕たちの足下には死体が埋まっている

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 僕がツボミと初めて話したのは、幼稚園の時に住んでいた団地の玄関の前だった。その光景を僕は今でもありありと思い出すことができる。  ツボミはあの時、緑のワンピースに花柄の髪留めを付けていた。絵本に出てくるお姫様みたいな真っ白な肌をしていて、血色の悪そうな団地の廊下の薄暗いライトがスポットライトのようにツボミの艶々とした髪の毛を照らしていた。 「……となりに、ひっこしてきました。つぼみ、です。……よろしくおねがいします」  ツボミは小さな身体をもじもじと動かしながら言った。なぜだか、顔は耳までだんだん真っ赤に染まっていった。 「えっと、あなたのなまえはなんていうの?」  その時僕は彼女の吸い込まれるような瞳を見つめるのに夢中で彼女の質問は耳には入っていなかった。ぼうっとしている僕の背中をお父さんに押されたあと、ようやく口を開くことができた。 「……こ、コウ」  上ずったような変な声で自分の名前を言う頃には、僕の顔も真っ赤になっていた。そのことをお父さんにからかわれ、二つの家族は声を上げて笑った。  僕たちはすぐに打ち解けて仲良くなることができた。  それは当時の僕がツボミに抱いていた気持ちの正体がなんなのかを知らなかったからだと思う。多分、もっと年齢を重ねていたときにツボミと出会っていたら僕はきっと彼女には話しかけれもしなかったに違いない。だからこの時にツボミと出会うことができて、僕は本当にラッキーだった。  小学校に上がると、周りの男子達は女子と一緒にいるのを気にしだす年齢になった。思春期というやつだ。男子と女子が二人で歩いているだけではやしし立てられ、教室の黒板に相合い傘を描かれ祭り上げられる。  僕の通っていた学校では男子と女子との間に高くそびえ立った壁が形成されつつあり、人目を気にせず二人で遊ぶのは難しい状況になっていた。  そこで僕らは学校が終わると、ある場所で待ち合わせをするようになった。そこは河原の土手沿いをずっと歩いた先にある古びた広場だった。  この広場を待ち合わせ場所にした理由は、偏に全く人が来ないからだった。熱心にジョギングをするおじいさんが来ないし、近所に住むおばあさん達が井戸端会議も開くこともない。隔離されたような静かな空間。  その代わり、ここには退屈を潰せる道具なんてものは一切なかった。ブランコもジャングルジムもなければ、トイレもないし、水飲み場もない。  あるのは広場を囲むように鬱蒼と生えた樹木達と、もう何十年も使われていない砂や泥を被った重機が黄色いテープに囲まれて放置してあるだけだ。  僕らはそんな世界の端っこのような場所で駆け回って遊んだり、肩を寄せ合ったりして過ごした。  誰にも邪魔されることのない幸せな時間だった。この場所で過ごす時間は僕らを縛らなかったし、ツボミとならこんな何もない場所でも何時間でも過ごせる気がした。 「ねえ、コウはさ、大人になったらなりたいものとかってあるの?」  静まりかえった空間の中で、ツボミは内緒話をするような小さな声で僕に尋ねる。 「どうしてそんなこときくの?」 「んー? なんとなく」 「なんとなくかぁ」  僕は電車の運転手と答えた。他になりたいものも思いつかなかった。 「ツボミはなにかなりたいものがあるの?」 「わたしはねぇ……」  その時、いたずらな風が音をたてて僕たちのすぐ横を通り過ぎていった。だから僕は肝心なところを聞き逃してしまった。 「え? 聞こえなかった。もう一回言って」 「えー。仕方ないなぁ」  ツボミは近づいてくると、僕の耳元に口を寄せる。彼女の温かい吐息がくすぐったかった。 「……もうおしえてあげないよ」  ツボミは僕から距離を取って、からかうような笑みを作る。僕はこの世界の重大な秘密を聞き逃してしまったような気がして、ツボミを追いかけまわし何度も言い直しをお願いしたが結局ツボミは逃げ続けるだけで何も言わなかった。 「またこんど、教えてあげるからー」  明日はなんとしてでも聞き出してやろう、と僕は思った。どうしても言わないのなら、ツボミが苦手なくすぐりをするしかない。笑いながら僕に向かって降参をしているツボミの姿を想像するだけで、明日が来るのが楽しみだった。
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