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4.

 帰りのあいさつが終わった途端、僕はすぐさま学校を飛び出した。先生の叱る声が聞こえたけれど、そんなのはどうでもよかった。僕は今好奇心のなかにいる。  一昨日僕を庇ってくれた苔石にたえさんの話をしたら、見つからないようにと注意を促してくれた。というのも、学校付近の道に不審者が現れたと通報があったから。その不審者は夜に歌を歌って、人でも物でも構わず話しかけるらしい。僕が貰ったプリントは教科書やノートに潰されてもうクシャクシャだろうけれど。    ランドセルをガシャガシャと音を立て、昨日いた公園でブランコに乗っている見慣れた人影を見つける。僕はもうクタクタだった。  それに気付いた人影はゆっくりと僕の方に現れて、いつもの声で僕を呼んだ。 「スイミー。はやく来てくれたの? 水飲んでから行こうか」  僕は答えることもできず、息を整えながら縦に首を振った。  ザワザワと葉のこすれる音がする。たえさんはそんな桜の木に夢中になってじっと観察していた。僕は公園の水飲み場で水をたっぷり口に含むと少しずつ胃に水を流し込んだ。 「おまたせ、たえさん」  僕がそう言うとたえさんはほんのりと頬を染めた。薄桃色。 「覚えててくれてたんだ。……久々に名前呼ばれたよ」  たえさんはそのまま嬉しそうに「手でもつなぐ?」と提案してきたので、僕は少しためらいながらも手をつないで歩き出した。  *  僕が行ったことのない通りに、白妙は咲いていた。いつも見ている桜の二倍くらいの量の花びらをつけて、まあるく大きく咲いていた。まだ小さいものもいくつかあった。 「たえさんみたい」  そう言うとたえさんは「私は大きいのじゃないの?」と返してきた。  今日のたえさんの服はベタベタした透明のものが貼り付いた跡があった。生卵の白身みたいな。それが桜の透けた部分に似ていて、汚いのにきれいだった。  たえさんは赤ちゃんだから、とはさすがに言わなかった。「小さい方がきれいでかわいいから」と言ってあげた。  たえさんはまた上機嫌になって今度は鼻歌を歌い出す。聴いたことのないトンチンカンなメロディー。酔っ払った人が踊り出しそうな、へんちくりんな調子。  すると、ガサッと音がした。たえさんが忘れてた、とビニール袋からヨーグルトを取り出す。 「私の『すき』を知ってもらうために持ってきたんだ」  はい、と僕の手にプラスチックのスプーンも乗せて渡してきた。それに甘んじて受け取る。プレーン味。無糖のやつだ。 「これだけ変に酸っぱくて、美味しくないからすきなの」 「ふふっ、美味しくないのにすきなの?」 「そう。美味しくないからすきなの」  自慢げに語るたえさんが妙に面白くて、僕は思わず突っ込んでしまった。 「美味しくないのはすすめちゃダメだよ」  それから僕たちは花見を楽しんだ。たえさんは僕が水を飲んでいる間に桜蕊をたくさん拾っていたようで、これで冠を作るんだと意気込んでいたけれど、すぐにできないことに気付いて僕に「あげる」と押し付けた。指輪くらいだったらできるかもしれないと思った僕はたえさんの自由な行動に呆れながらも、話しながら編み始めた。 「たえさんは普段何してるの?」 「スイミーと一緒にいるときと変わんないよ。家のことしたりするくらい」 「服にごはんこぼしちゃうのはなんで?」 「んー……お箸使い慣れてないからかな。いつもフォークとスプーンで食べてたから、今練習してるの」 「お金持ちなの?」 「んー、ほかの家よりはお金持ちかもしんない。でもほとんどひとりでごはん食べてたから楽しくはなかった」  スイミーはみんなでごはん食べれてる?  そんな質問をされて、僕は嫌なことを訊いてしまったと後悔した。「うん」とだけ答えて、僕はまた編むのに集中した。   「私の親はね、全然私にかまってくれなかったの。必要最低限の会話以外は放置みたいな。おかげで世間のことを何も知らないまま育っちゃって、こんな人になっちゃったんだよ」  僕は黙って話を聞いていた。 「あーでも、人のせいにするのはよくないよね。人のせいにするのは弱い人だって、昔先生に教えてもらった気がするな。まぁ……だから、一人で頑張ってみようと奮闘してる結果が、これなの」  たえさんのへらっとした笑顔が胸に刺さった。僕は「ごめんなさい」と小声で呟いて、話を逸らすようにできあがった指輪を、変わらず絆創膏だらけの右手薬指にはめてあげた。 「できたよ。……どうかな」  たえさんは嬉しそうに指輪を見て「すっごくかわいい」と言ってくれた。そのとき。 「すみません。ちょっといいかな」  たえさんの肩を叩いて冷たい微笑みを返してきたお巡りさん。その周りにはお母さんとよく話していた友達のお母さんや近所の人が、またひそひそ話をしていた。
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