十二月十六日(金)

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 照之は翔に近づいて、その頭をぽんぽんと軽く叩いた。 「俺がお前をここに連れてきたのはわけがあるんだ」 「わけ?」  翔が問い返すと、照之はこっくりと頷く。 「ぬか喜びさせたくなかったから、本当はお前がこの学校を気に入るまでは黙ってようと思ったんだがな。ここは長命種が、長命種のために作った学校なんだ」 「……え?」  兄の言葉の意味が分からず、 翔はきょとんとして目を瞬く。 「言葉の通りだよ。ここはもともと、お前みたいな長命種の子供を教育するための場所として作られたんだ。まあ、そうは行っても、今は生徒の大半が地球人の子供だそうだがな」 「そんなところあるの?」 「ここがそうだ。お前、同胞の友人がほしいと言ってただろう」  翔は思わずこっくりとうなずいた。  長命種は、普段地球人の目を掻い潜るため、彼らの記憶にある程度干渉したり、周囲の事象をわずかに改変するような遺物を使用して、地球人の中に自分たちの記憶が残らないよう、細心の注意を払って暮らしている。そうしないと、いつまでも姿が変わらない彼らに違和感を抱く人々が絶対的に出てきてしまうからだ。  おそらく、この天星学園に住む人々もそうやって周りの目を誤魔化しているのだろうと思われた。でなければ、長命種という種族が、学校という人目に触れる場所で、地球人に気取られずに過ごすことなど不可能だからだ。  長命種は十年かけても地球人の一年ほどしか年をとらない。しかも、成人してしまえば、そこからは全く容姿が変わらなくなってしまうのだ。  だから長命種たちは、過去に存在したごくわずかの例外を除いて、基本的には地球人とは深く交わらない。地球人の中に親しい友ができたとしても、結局は二、三年から、長くても十年以内には、自分に関する相手の記憶や周辺に残る自らの痕跡を、全て消して立ち去る。その徹底ぶりはまるで、自分という存在など、最初からなかったかのようだ。  それはすなわち、長命種と地球人との間に、越えられない溝を築くことだったが、長命種という人々が、自らの種族全てを危機に陥れないためのルールであった。さらには、長命種から地球人たちへの無用な干渉を防ぐという意味もある。彼らが持つ遺物は、使い方を誤ったり、悪用したりすれば、地球人の生活を一瞬にして破滅させてしまうこともできる、恐るべきものでもあるからだ。  その環境と、長命種の子供が生まれにくいという特徴は、翔から友人を徹底的に奪う原因となった。だからこそ今回、照之は自らの人脈だけでなく、知り合いの伝手まで使って、この天星学園に住む人々にまで行き着いたのだ。 「だからだよ。さっき言った通り、ここももう、大半の生徒が地球人だがな、まだ少し長命種の生徒と教師がいる。  彼らは昔からここで暮らしてきたそうで、逆に外に出ることはあまりないんだそうだ。だから、ここに見学を申し込んだら、俺たちに会いたいということで冬休み前から終わりまでの長期滞在を許してくれた。  見学と交流のためってことだが、要するに、ちょうどいいから年越しを一緒に過ごしませんかとさ」  とはいえ、今回の学校見学は、翔に友人を作る機会を与えてやるためだけのものではない。彼の外見に合わせて、学生であるという事実を作り、地球人に対する目眩しとして使おうと照之は目論んでいるのだ。むろん無職でいるよりその方が、周りの目を引きにくいためである。長命種はこうした手法や遺物を用いて、昔から自身の存在を地球人の中に馴染ませてきたのだ。 「武田照之さんと翔さん、ですか?」  後ろから低い、よく通る声が掛けられて振り返ると、三つ揃いのスーツを一部の隙もなく着こなした、背の高い男が立っていた。 長身の照之よりも、さらに背が高い彼は、二人に向かって丁寧に頭を下げた。 「そうです。あなたは、岡崎先生ですか?」  彼の方に向き直って照之が答えると、相手は銀縁眼鏡の向こうの目を柔らかく細めてうなずいた。 「お待たせして申し訳ありません。天星学園の教頭と、高等部の数学の教師を務めております、岡崎慎一郎と申します。本日は招きに応じていただいて、ありがとうございます。遠路お疲れでしょう、ゆっくりなさっていってください」  会釈を返し、照之も慎一郎に笑顔を向けた。 「武田です。今回はお招きいただいてありがとうございます。翔、お前もご挨拶しなさい」  そう言って背中を軽く押す兄を少し見上げてから、翔は素直に頭を下げた。 「武田翔です。お世話になります」 「こちらこそよろしくお願いします。翔君」  目を細めて翔を見つめる慎一郎の表情に、翔は得も言われぬ安心感を覚える。少し考えて、翔はそれが父親に対して覚える感覚だということに気付いた。照之にもふとした瞬間に覚えるその感覚を、初対面の相手に対して 覚えるとは思わなかった。 「ではさっそく参りましょうか。車で来られたということですが、屋敷まで私も同乗させていただいてよろしいですか」 「もちろんです。助手席へどうぞ。翔は後ろでいいな?」 「うん!」  元気に返事をして車に乗り込む翔の横で、照之は慎一郎のために助手席のドアを開けた。 「ありがとうございます。……これが、例の探索に使われている車ですか」  感慨深そうに車を見上げる慎一郎に向けて、照之は頷く。照之は時折、祖先の残した遺物のうちのひとつである転移装置を使って、長命種の故郷である惑星の探索を行っている。それは彼の趣味が高じたライフワークであったが、それだけでなく、自らが何者であるのかを見失った長命種について調べるためでもある。  自らが何者であるのかもわからなくなった長命種たちは常に、今後自分たちがどうなっていくのかという不安を抱えて生きている。自然に死ぬこともなく、これから未来永劫生き続けることになるのか、今後果てしない時の果てに地球の環境が激変し、住めなくなったとしても、苦しみながら生きていくしかないのか。  そんなことを想像しながら生きていくのは、楽しいものとは到底言えないものだからだ。 「大きい車で押しかけるのはご迷惑かとも思いましたが、里見先生にもご了承いただけたので、これで来てしまいました」 「とんでもない。いや、実のところあなたの調査には興味がありましてね。いい機会なので、今までの調査の様子などを聞かせていただければ幸いです」  照之は苦笑して答える。 「今のところ、調査といえるほどの成果は上がっていませんが、それでも良ければ」 「ぜひ」  照之は頷くと、慎一郎をうながして自分も運転席へ乗り込んだ。 「敷地に入ってから最初にあったのが中等部の校舎で、高等部の校舎は、先ほど見ていただいた通りです。  この道はその校舎の脇をずっと通って、さらに奥まで続いているのですが、そこが教師と生徒の寮となります。ですが、お二人をご案内するのはその更に奥です」  車に乗り込んだ慎一郎は、手早く説明しながら、的確に照之を案内してゆく。それに従って、車は学園の敷地の奥へと進んでいき、最後に蔓薔薇の絡んだアーチを持つ、大きな門の前で停車した。学園の入り口からずっと続いていた道が、ここで途切れている。
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