十二月十六日(金)

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十二月十六日(金)

「すごい山奥だね。ほんとにここに学校なんてあるの?」  照之の愛車であるキャンピングカーの窓から外を見て、しばらく前から驚くことしきりの翔である。 「大丈夫だ。俺も来るのは初めてだが、一応カーナビもあるし、迷ってはいないはずだ」  と言う間に車が軽くバウンドする。 「まあ、大分山奥まで入ってきたのは確かだな」  そう言う照之の横で、翔がもぞもぞ動いて体の位置を直している。小柄で体重が軽いので、シートベルトをしていても、車が跳ねるたびに体がずれてしまうのだ。  今走っているのは舗装道路ではあるが、周囲の森に押されてそうなってしまったような細い道だ。おまけに元々が山道なので、ところどころでならしきれなかった凹凸が目立つ。 「うん。だってもう一時間近く山の中にいる気がするもん。どうしてこんなところに学校なんて作ったのかな?」 「最初は学校じゃなくて、長命種が地球人から隠れて住むために見つけた土地だったんだろうな。俺たちは地球人の目を欺く方法をいくつか持っているが、それでも気を遣わなきゃならない存在が近くにいないところでゆっくり暮らしたいっていうのは自然な人情だろう」 「……確かに」  二人は、見た目こそ普通の人間だが、自らを「長命種」と呼び習わす種族の末裔である。 「長命種」というだけあって、彼らは地球人よりも遥かに長く生きる。それどころか、自然死が彼らにあるのかどうかすらはっきりとしていない。それほど長い間、彼らは同胞が自然に死ぬ様を見ていないからだ。  そんな、地球人類とはかけ離れた彼らは、元々地球の民ではない。  地球から数百光年離れた深宇宙にある、地球人には存在も知られていない小さな星が彼らの故郷だ。そこには、かつて照之たち長命種の祖先が惑星中に散らばって暮らしていた。  彼らは、その素朴な暮らしぶりには似合わないほどの科学技術を有する民であり、彼らが遺した遺物の数々は、現在の地球人類でも再現が不可能なものばかりである。  しかしそんな彼らも故郷の星で、ある病が蔓延した数万年前、地球に移住したごくわずかの民を残して皆死んだ。現在地球に暮らしている長命種たちはすべて、このとき感染を免れて生き残った者たちの子孫である。  そんなルーツを持つ彼らだが、現在は移住当初よりもはるかにその数を減らし、祖先たちの作り出した遺物の力を使って地球人に紛れ、細々と生きている。  そして地球への移住後、彼らには子供もあまり産まれなかった。かつての叡智も今は失われ、一族は衰退の道を辿りつつある。そんな状況の中に置かれた今の彼らには、もはや自分たちが何者なのかすら、はっきりとはわからなくなっていた。 「あれだな」  照之の言葉で、翔は窓の外を見た。道は行く手に向かって緩いカーブを描き、更に少し上っていた。そのうえ周囲に鬱蒼と茂る木々に遮られてよく見えないが、煉瓦造りの壁のようなものが見えている。  それは見る間に近づいてきて、やがて二人の前に、学園の校章である星の意匠がその中心にあしらわれた、巨大な門扉が現れた。 ここが今回の目的地である、全寮制の中高一貫校、天星学園だった。  玄関前のインターホンで呼び出した人物は、すぐに門を開けてくれた。見た目に反して電動の門だったらしく、開ける者もないままひとりでに開く門を潜り、二人は車に乗ったまま敷地の中に乗り入れた。  きれいに整備された石畳の道を走っていくと、やがて道は左手の森のような中に続く道と、緩やかな坂道を登りつつまっすぐ続く道の二手に分かれている。照之はまっすぐ続く方の道をたどり、坂を登りきったところで再び現れた同じような別れ道を、今度は森の中へと続く道を辿った。  鬱蒼とした森の中の細い道をしばらく走ると、急に木々が途切れ、視界が開けた。  そこは、広大な庭園のような場所だった。  中央にシンプルな噴水と、そこが憩いの場であることを示すベンチがいくつか置かれている。 その庭園の周囲をぐるりと囲むように、今二人がいるところから続く道が走っていて、そのさらに外側には、庭園全体を囲むようにいくつかの建物が配置されていた。  恐らくは校舎であろうそれらの建物の中で、照之は、森を出てから一番近い場所にあった建物の横にある駐車場に車を止めた。  着いたぞ、と助手席の翔に声を掛けながらサイドブレーキを引く。ついでシートベルトを外し、ドアを開けて、地面に降り立った。 分厚い冬用のジャケットと、カーゴパンツ風のツイードのズボンに包まれた長身を、腰に手を当てて捻ってから、精一杯体を伸ばしている。  数時間のドライブで凝り固まった筋肉をほぐす兄の姿を横目に見ながら降りた翔は、小鹿のように細い体をぶるっと震わせた。街中で車に乗った時より、明らかに低い気温に驚く。  冬を迎えたせいもあるだろうが、山の中なのも寒さに拍車をかけているのだろう。翔は慌てて車の中に置いていたハーフコートを取り出してセーターの上に着込み、ボタンをきっちりととめたのだった。    照之が高等部への来客用に備えられた玄関ロビーで職員を呼び出す間、翔は辺りを見回しながら歩き回ってみた。  瀟洒な石造りの建物である。中は薄暗く、静謐だ。  翔がこれまで通ってきた学校とは、どこもかしこもまるで違っていた。例えば階上へ向かう階段ひとつ取っても、端が丸い形に加工されていて、下に行くにつれて同心円状に広がっている。それだけでも洒落ている感じがするし、木製でシンプルな意匠の手すりの一番下には、下部が手すりと一体になった、ガス灯を模した一対の灯りが備えられている  そろそろ授業も終わりの時間だろうが、建物の内部は喧騒とは無縁だった。おそらくここは、生徒たちが授業で使う建物ではなく、主に職員たちが業務を行うための場所なのだろう。 「翔、行くぞ」  物思いに沈みながら辺りを見ている間に、いつの間にか兄の話は済んだらしい。後ろから飛んできたその声に翔ははあい、と返事をしながら走り出した。  校舎前の短い階段を降りながら、出てきた建物を振り返る。  上部はクリーム色の壁で、下の部分だけ煉瓦造りになっている。二階部分には装飾のためと思しいテラスがあり、その上にクローバー形の小窓が設けられていた。  素人の翔が見ても、少なくとも普通の学校に使われるような建物でないことは分かる。この学校を作り上げた人物が、細部にまでこだわり抜いたのであろうことも。 「立派な学校だね」  翔は兄に続いて歩きながらそう言った。照之も頷く。 「そうだな。俺も詳しいことは知らんが、スパニッシュミッションスタイルと言うらしい」 「なにそれ?」 「スペインからアメリカに伝わった、修道院なんかに使われている建築洋式なんだそうだ。クリーム色の外壁と、赤っぽい瓦が特色らしい。と、もらったパンフレットに書いてあった」  照之がそう言って振り返ると、後ろで翔がしょげた顔をしている。 「ね、兄さん。俺ほんとにこんなすごい学校に来ていいの?」 「なんだ、まだ気にしてたのか」 「するよ! 俺ただでだえ兄さんに迷惑かけてるのに、こんなお金かかりそうなところ……」
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