八重の桜が咲くころに

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月の光に照らされた八重桜を愛でつつ、深草帝と小町が談笑している。 『八重の桜は小町の様だのう。そうじゃ、これから小町を桜華と呼ぼう。八重の桜の如く濃い紅色がよく似合う』 『花の命は短こうございますよ。桜は春の長雨にあえばその美しさも空しく色褪せます。それでもわらわを桜華とお呼びになりますか』 『それでもそなたの美しさを表すのに八重の桜の他思い浮かばぬ。確かに花の命は短いが時を巡りまた同じように美しく花開くであろう。そなたも時を重ねた美しさが宿るというもの。麻呂の想いと同じじゃ。色褪せることなどありはしない、永久(とわ)に桜華を愛しむ』 『お上、明日は皇后様の元へ御出で下さいませ。桜華の願いにございます。わらわは生涯をお上に捧げております。それは皇后様もおなじこと。どうか、明日は皇后様の元へ』 『お上はわらわの願いをお聞き届け下さった。次の夜、皇后様の元へ御出ましになり・・・・身罷られた』 深草帝は41歳で落飾入道後に病死したとされている。 藤原氏による捏造だった。 一夫多妻が当たり前の平安貴族の時代であっても独占欲から生まれる嫉妬心は防ぎようがない。 望んだ事や物が全て手に入る環境で育った藤原氏の娘だからこそ、己の意のままにならない深草帝に憎しみを募らせていったのだろう。 『わらわがお上の崩御を知ったのは二月(ふたつき)後だった。直ぐに髪を落とし、小野の里に引きこもった。皇子を仏門に入れ、お上が深草陵に葬られた後、自らお上と同じ毒を飲んで自死した。これが真相じゃ』 八重桜の花びらが風に舞った。
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