12人が本棚に入れています
本棚に追加
平等の命
「ワシはな、絶対に勝ちたかった。この馬をここまで育ててくれた親友の為にも。その妻のお腹の中に宿っている命の為にも。スタート直後はな、冷静だったんだ。生涯一とも言える状態の良さで、とにかく手応え抜群。最終コーナー入り口でもう勝ちは確信したようなものだ。後続には8馬身以上差をつけて、息遣いも乱れは全くなかった。このまま無理をしなくても大丈夫だ。
残り300メートル。
ところが、だ・・・ワシはフランスダービー史に刻まれるであろう彼のその強さを、人々の記憶に残したいと思った。ワシは・・・目一杯ステッキを入れた。もっと差を広げるんだ!その思いで。けれど・・・残り100メートルで異変が起こったんだ。
突然ワシは空に放り出された。世界が暗転した。ああ・・・なんて事だ。ワシは何とか立ち上がった。勿論レースはまだ続いていた。後続の馬が次々とワシの馬を追い抜いていく」
ロッシがエリーの髪の毛を優しく撫でながら言った。
「ワシはな・・・泣いた。時間を戻してくれ・・・と。ワシが泣いているのを感じたんだろうな。その馬がな、ワシの方へ向かって来ようとしてるんだ。一生懸命にな。でもな・・・無理なんだ。両前脚が折れているのがはっきりと分かったから。それでもな、頑張るんだ。
ワシは・・・走った。走って抱き締めた。そして、ごめんな、ごめんなって。痛いはずなのにな、ワシの顔を舐めるんだ。もう泣くな!って言ったのかな。
それがな・・・彼の最後だった・・・」
皆・・・泣いた。翔馬も・・・。
「それでな、ワシは騎手を辞めたんだ。馬に乗るのが怖くなって辞めたのかもしれない。けれどな、本当は違うんだカケル君」
翔馬は涙を拭いて顔を上げた。
「確かにあの事件がきっかけになったのは間違いない。その1ヶ月後かな、ワシが昔乗っていた馬が乗馬になっているという話を聞いて、ぜひ会いたいと思い、その牧場へ顔を出したんだ。するとな・・・ワシは見てしまったんだ。クラブの代表者らし者がな、その馬をネグレクトしていたんだ。見てもいられない程の姿になっていた。きっと餌もろくに与えられず、雨の日も厩舎に入れてもらっていないのだろう・・・歯もボロボロになり、背中一面が鱗状の疱瘡に覆われていたんだ。
ワシは・・・我を忘れた。クラブのスタッフが出てきてワシを止めたが、代表はその場に倒れていた。幸いにもワシが手を出した事で倒れた訳ではなかった。持病があって、ワシが怒鳴ったショックで倒れたという事であった。
その後、彼はそのクラブを閉めた。
悲しい姿になった馬達がな、他にも何頭もいたんだ。警察が介入してな、事件になったから」
彼はワイングラスを手に持ち、グラスをゆっくりと回しながら、やがてテーブルに戻し話を続けた。
「ワシはその馬を引き取った。それでな・・・親友にお願いしたんだ。この馬を預かってくれと。大切な馬を壊したワシのお願いをな、親友は笑顔で引き受けてくれた。それで、ワシは騎手を辞めると決めた。
ロッシはエリーの涙をハンカチで優しく拭いてあげた。
「次のワシの夢はな、大金持ちになることだ。大金持ちになって馬主になると決めた。そして、たくさんの馬達の親になってその馬が天寿を全うするまで安心して過ごさせてあげようと決めた。
優秀な成績を残した名馬も、人々の記憶に残らないような名も無き馬であってもな。生まれてきた以上、命は平等なのだから」
翔馬はロッシをひたと見つめた。
命は平等・・・。生産者が愛情を、魂を込めて育てあげた命。
「カケル君には、サラブレッドの命は長いようで、短いという現実を知った上で、本物のジョッキーとして輝いて欲しい。目を背けないで欲しい。いつか、君が騎手を引退した時に、君が関わったすべての馬達の平安を、魂を守ってあげて欲しい・・・」
翔馬はすべてのものに感謝をした。
この場所に導いてくれたことに、たくさんの出会いに、そして今生かされていることに。
翔馬は力強く頷いた。
「エリーごめんな。せっかくのハッピーバースデイなのにな・・・」
ロッシがエリーの髪の毛を優しく撫でていると、エリーは真剣な眼差しで言った。
「ムールーがね、フェニックスを産んだ時に私泣いたの。ムールーがお骨になった時も泣いた。パパがね、思い出が魂なんだよって教えてくれたの。タカラモノなんだよって。だから、おじさんの話絶対に忘れない。おじさんの話もタカラモノだもん」
エリーはロッシの膝の上から降りて、自分の席に戻った。
「パパ、ママ、出会ってくれてありがとう。そして、エリーを産んでくれてありがとう」
ウッドと陽子は目を合わせ、泣き笑いの表情で言った
「どういたしまして‼︎」
PS・・・次回配信は7月12日水曜日午前8時になります。第1章最終話となります。その後、皆様にご報告がありますので、お目にして頂ければ幸いであります。
AKIRARIKA
最初のコメントを投稿しよう!