競馬学校

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競馬学校

 夜が明ける。 吐く息白し、馬と人達の群れ。鼓動は、命は既に目覚めている。  千葉県は白井市にあるJRA競馬学校。 彼らはここで寄宿し、馬に関する全てを学ぶ。いわゆる騎手、厩務員養成学校である。  1周約1000メートル強の芝ダートコースを備え、海外遠征をする、または遠征を終えた競走馬の検疫に備える厩舎や、海外馬がJRAのレースに参戦するの滞在先でもあり、レース前の調教等もこの学校で行われる。  日々、馬とのコミュニケーションを計り、騎乗技術の向上はもとより、特に一社会人としての人間形成に主眼を置いている。  翔馬が競馬学校に入学してから、既に1年半が経過していた。 一流ジョッキーや調教師の子息、また、彼のように馬には全く無縁だった者、環境も、年齢も様々な若者が9名・・・同じスタートラインに立ち、いつかは互いのライバルとなるために切磋琢磨し、デビューを目指す毎日を送っていた。  彼は確かに馬とは無縁であったはずなのだが、ひょんな事からサラブレッドの世界を知ってしまい、小学校の4年間は月に2回、苫小牧のホースパークで乗馬訓練をし、中学生になってからは、土曜日の訓練を終えた後、数時間パークの厩舎の掃除をさせてもらい一泊、翌日は早朝から馬に触れさせてもらうという、ある意味恵まれた環境で育ったとも言える。  幼少期の早い時期に、馬の鼓動、命の尊さを知ったというアドバンテージが彼にはあったのだ。  翔馬が騎手を目指して競馬学校に入学してからも、新たなヒーロー、ヒロイン達がこの世に舞い降りターフを駆け、競馬の歴史を積み重ねていった。  ジャスタウェイがドバイデューティーフリー(UAE・G1)を6馬身4分の1差で圧勝、レイティングで世界一の称号を獲得した。  ハープスターの桜花賞での殿一気に観客は衝撃を受け、翌春、圧倒的な末脚でクラシック二冠に輝いたドゥラメンテを人々は誇らしげに語り合い、同年、G1 2勝を含む圧巻の年間重賞6勝を達成し、正に無双状態だったラブリーデイ等、枚挙にいとまがないほどの競走馬たちが歴史を積み重ねていった。  ヒーローは、ヒロインはいつでも、彼らに希望を、勇気を与えるのだ。  そして始まる彼らの競馬談義。 「あの馬は本当に強い!」「なんて末脚なんだ!」 「やっぱり前半の位置どりが・・・」「やっぱり鞍上のペース配分やね」  かんかんがくがくの大論争・・・そこに、サラブレッドが存在する限り、彼らにとっては毎日が勉強なのだ。 言葉にはしない・・・誰もが心に秘めている思い。    いつかはあのような名馬に自分も!  それは一朝一夕では叶わない夢。 数多のG1ジョッキーが一つ一つ勝利を積み重ね、馬に、オーナーに、調教師に、調教助手に、厩務員に、生産者に、1頭の馬に携わる、すべての人たちの信頼を得て、その末に出会った名馬。  その名馬との出会いで、「人生が変わった。本当に馬が大好きになった!」と言うジョッキーも数多く存在する。その出会いがあったからこそ、自らを覚醒させることができたのだ・・・とも。 「人馬一体の夢かぁ」 「うーん。どんな夢なんだろう・・・」  キタサンブラックが菊花賞を勝ったその日の夜、入浴を終えた翔馬と未来は自室に戻り、ある夢について話をしていた。  未来は、関西を代表するジョッキーの子息である。             スタートのセンス、レースでの位置取り、追い出すタイミングの秀逸さ・・・どれをとっても文句なく、一頭地を抜く存在である。            翔馬は未来を追いかけると決めていた。  一方、未来も翔馬に光る天性の才というものを感じ取っていた。  馬に余計な負担をかけないであろうフォームは正に美しく、気が強い癖馬も、翔馬が馬の正面に立ち一言二言話しかけると落ち着きを取り戻し、難なく乗りこなしてしまう。まるで、馬と会話が出来るかのようであり、その技量は担当教官でさえ舌を巻くほどである。  未来もまた翔馬を追いかけると決めていた。  把手共行の友・・・果たしてこの2人がライバル関係に発展する事を、学校長、教官は見通していたのだろうか?いずれ楽しみな若者達である。 「そうだ未来、お父さんに聞いてみれば?」 「アホか?教えてくれる訳ないやろ!」即答で一蹴された。 「ま、頭で考えてもしょうがないよな。とにかく刻みつけるしかないんだ。体に」 「それにしてもキタサンブラック強かったな!誰だよ、母の父がサクラバクシンオーだから絶対に距離持たないって豪語した奴は?」 「俺じゃないぞ!」未来は即刻反論した。 「競走馬は確かに血に血を重ね続けるんだけどさ、俺達にはわからない、見えない能力というのも積み重ねられるんだろうね。実はバクシンオーがステイヤーだったとか?」 「いや、それは絶対にない!」翔馬も即刻反論する。2人が笑い合う。 「そうだな。けれどそれが血の、血統の不思議、競馬の面白さだよな」翔馬は頷いた。 「いつかお互いに、人馬一体の夢を見られるといいな」未来が呟く。 「ああ。そうだな」  ジャパンカップを翌週に控えた、とある月曜日の午後、講義室に一人の男性が現れた。関東を代表する騎手であり、数多のG1レースを制している、候補生にとっては憧れの存在である。  現役のJRAジョッキーの講義を受ける度に、そのオーラに圧倒され緊張するものの、やはり興味を抑える事はできない。 「ゲートが出た瞬間、どのようなレース展開に持ち込もうと考えましたか?」 「あの場面でインを突こうとしたことに迷いはありませんでしたか?」 「G1で一番人気の馬に騎乗した時の心境  は・・・」  彼は懇切丁寧に一つ一つの質問に答え、彼らはスター騎手の本音を自らに吸収させるかのように、ひたむきな姿勢で学んでいる。 「乗り手は、馬のリズムを会得して、初めて馬に乗ったと言えます。馬は人間と一緒で、一頭一頭性格も違います。調教師は彼らの、彼女らの個性特性や状態を見極めて調教を施し、レースの選択をします。乗り手は馬の命をも預かっている。生産者が魂を、愛情を込めて育てた命を。馬の安全を、そして、自らの命をも確保しなければなりません。君達はたくさん馬に触れ、馬と会話をし、心の目を養ってください。いつの日か、同じレースで騎乗しましょう」  一分の濁りも無い、澄み切った彼らの瞳。 こうして彼らは日々成長していくのだ。やがて、翼を広げる日のために。  今日一日の学びを胸に、彼らは眠りに就く。朝は、早い。  元気でやっているか?俺も相変わらず馬中心の生活を送っている。授業が終われば、クラブの馬房に直行して彼女のご機嫌をとっているよ。牝馬は特に嫉妬深いからな気を付けろよ!  学校はどうだ?学ぶことが色々あって大変そうだなぁ。  そうか、凄い奴がいるのか!2世ジョッキーだろうが、調教師の息子だろうが負けるなよ!お前だって、小さい頃からの馬乗りだ。案外、そいつもお前の事ライバルだと思ってるんじゃないか?  それにしても、モーリス覚醒しすぎだろ! 史上最強マイラーが中距離も制圧か!彼自身は晩成の大器だけど、種牡馬になったら案外お前の言うように、産駒は早い時期から走るかもな?楽しみだよ。  ジャパンカップのキタサンブラックは、さすがの鞍上だよ!そして、サトノダイヤモンドが、まさかキタサンブラックに勝つとは・・・。あの叩き合いは本当にしびれたよ。  実はさ・・・夏休みに2週間、新ひだか町の牧場に泊まり込んだんだ。たくさん仕事をさせてもらったよ。馬房の掃除、飼葉の調合、ブラッシングに引き運動もさせてもらった。あと、漢字の勉強もした。牛飲馬食とか立馬寝牛とか。わかるか?  休業中の現役競走馬にも乗せてもらった。 あ、そうだ!メイヴっていう繁殖牝馬がいるんだ!5勝もした名牝だよ!  お父さんが、イギリスのダービー馬男だぜ! で、春にオルフェーブルの子供を産んだんだ。めっちゃこんまいけど、可愛いんだ。瞳がくりくりして、大きくなったら絶対に走るってみんな言ってるから楽しみだよ!  牧場長さんにさ、「君は騎手にならないのかい?」と聞かれたんだ。俺はこう答えた。 「親友が今、競馬学校で夢を追っているんです」驚いていたよ。 「彼の名前は?」と、聞かれたから答えておいたぜ!感謝しろよ!    ちなみに、この手紙の消印を見てみろよ! そう、この冬休みも働かせてもらってる。 スタッフのみんなが、もうここで働けよ!社長に直談判するから!って言ってくれてる。  G1馬を輩出している牧場に就職なんて、恐れ多い気もするけどなぁ。  175超えたのか?大変だなぁ・・・ お互い成長期だけど、お前の場合はな。 俺もさぁ、53キロは超えないように気をつけている。別にお前に気を使っている訳じゃないぜ。 牧場で働く以上、太るわけにはいかないし、先輩達が言うには、馬は太っている人を避けるらしいぞ笑  そういえばさ、この前恐ろしい夢を見たんだ。  360度海に囲まれた高台の大地で、何故か俺一人馬に乗ってた。その馬がさ、断崖絶壁に向かって走っていく。いくら手綱を抑えても制御が効かない。馬が空を飛べるはずはないんだから。  力の限り、手綱を引っ張った。あと数完登で大地の終わりだ。もうダメだ。ああ・・・俺は馬と一緒に死んでしまうのか・・・。  そして、馬が空を飛んだ瞬間目が覚めたんだ。 正確には、飛んだのか落ちていったのかわからないけど。  お前がG1に乗る前に死ななくてよかったよ。 あんな怖い夢は二度と御免だね!  年が明けたら、いよいよだな模擬レース! 負けるなよ!テレビで見るの楽しみにしてる。 落馬しないようにな‼︎  お互い飛躍の年にしようぜ!じゃあな!       2016・12・26 蒼井 翼   翔馬はジャケットを羽織り、寮の建物の外に出た。北の大地ほどではないものの、やはり年末の寒さは身に染みる。  澄んだ夜空には、数多の星が瞬いている。 「ゴ〜ン」鐘が鳴り響いた。 翔馬は鐘の音の余韻を確かめるように、じっと耳を澄ませた。 「ゴ〜ン」 鐘の音の数だけ、未来が近づいてくる 何度も、何度もその鐘の音を聞いた。 翔馬は祈った。  新しい年の、未来の始まりだった。  497ed90f-e7a2-4c70-b0e2-1a7d788e7ed6
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