手紙

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 翔馬は、3月1週目の阪神競馬場でJRA所属騎手としてのデビューを迎えた。ライバルの未来と共に。  当日は、桜花賞を目指す3歳馬のトライアルレース、チューリップ賞が行われる事もあり、競馬場には多数の観客が来場、パドックの周りには華やかな横断幕が間断なく飾られ、パドックを周回する競走馬にも力を与えているかのような、そんな雰囲気を醸し出していた。  ただ、この日は重賞レース目当ての観客ばかりではなかった。  先月、中山競馬場で行われた騎手候補生による競馬学校チャレンジシップ最終戦は、同着決着となった。その2人の真剣勝負は、スポーツ紙やニュース番組でも取り上げられ、その知名度はいやがおうにもアップした。まだデビュー前にもかかわらずだ。    今日の2人のデビューを見逃すまいと、ここ阪神競馬場には数多くのファンが訪れ、固唾を呑んで2人が騎乗するレースを待っていた。    ここまでのフィーバーぶりは、あの天才騎手のデビュー以来ではなかろうか。    大空へ駆け抜けろ!翔馬!    行け!ライジングサン!朝日未来!    地の果てまで、大空の彼方まで翔馬!    大志を抱く未来を照らせ!  2人を応援する横断幕の数が、そのフィーバー振りを物語っていた。  さて、当の本人達にはいささかの気負いもないように見てとれる。  2人にとって、これからは1戦1戦勝ち負けの世界。勝って驕らず、負けて腐らず。常にその馬のベストの能力を発揮させ、より1つでも上の着順を目指す。それが、騎手の仕事なのだから。  こうして2人の騎手生活1年目が始まった。 共に栗東所属の騎手であり、とにかく乗れるとの評判と互いの調教師の尽力もあり、新人騎手としては異例の騎乗依頼が舞い込んだ。  新人騎手は、デビュー当初は減量騎手として扱われ、レース条件によって他の騎手よりも負担重量が減となる。  勝ち星によって3キロ減、2キロ減、1キロ減となり(女性騎手はまた異なる)、通算31勝になった段階でG1レースへの騎乗が可能となり、通算101勝に到達した段階、またはデビュー6年目以降は減量特典が消滅し、ようやく騎手として認められたことになる。  しかしながら、ようやく一流騎手を目指すためのスタートラインに立ったに過ぎない。ここからが本当の勝負なのである。  翔馬と未来は、4月3週目までを阪神で騎乗、その後京都へと転戦、3歳牝馬の最高峰オークスが行われる週に関東初見参を果たした。  デビューから2ヶ月強で積み上げた勝ち星は、未来28勝、翔馬27勝であった。新人騎手がデビュー2ヶ月強で30勝近くの勝ち星を上げている事自体、まさに奇跡と言って良いだろう。  しかし、騎乗依頼が多ければ、勝ち星が増えるという甘い世界ではない。    俗に言う、馬7、人3という言葉。 レースにおいて、馬の能力が7割、人の力が3割という意味であるが、人の能力というものが、あくまで騎手の手綱さばき、乗り方と言う意味ならば、確かにそうなのかもしれない。    しかし、馬の能力を引き出すのは騎手だけではない。  その馬の個性や特徴を知り、日々体調を見極め、どのような調教を施すか、どのレースを選択するか、そこには調教師を始めとする厩舎関係者の力こそ、大いに関係してくるのである。  ある競馬解説者曰く、レースにおいては、 「馬5• 人5である」と、言い切っている。  それは、騎手だけではない、携わる全ての人々、チームとしての力があってこそ!という意味からなのだろう。  決して自らの腕だけではない。 オーナー、調教師、調教助手、厩務員、生産、育成牧場・・・その1頭に携わるすべての人たちの信頼を得て、なおかつベストの騎乗をすることで勝ち星を挙げる事が可能となるのだ。  その点、翔馬も未来もとにかく、人には恵まれていた。  本人達の資質を上回る、大いなる人との縁・・・いや、それさえも彼ら自らが呼び寄せたものなのであろう。本人達にその自覚があるのかどうかは分からないけれども。  数多くの人々の期待、託された想いを背負い、バネにして2人は競馬場を駆けて行く。  
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