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『サークルの仲間たちと花見してる。そっちはどう?』
そんなメッセージと共にチューハイの缶を持った写真が送られてきて、俺は呆れのため息を吐いた。
シュウは浪人も留年も休学もしていない正真正銘の現役大学一年生。つまり現時点では十九歳であり酒の飲める年齢ではないのだが、コイツにとってはそんなのは守る必要のない決まりごとであるらしい。
『俺は今から集中講義』
一先ずそう打ち込んでから、未成年飲酒を注意すべきかどうか悩んだ。酒を飲む大学一年生なんてそう珍しい光景ではないけれど、それでも違法は違法。もし飲んでいるシュウの写真を誰かがSNSにアップでもしたら、そしてそれが大学側に見つかりでもしたら、停学処分は免れないだろう。下手したら退学処分を下されるかもしれない。
『真中は土曜まで勉強か〜。真面目なのはいいけど、たまには息抜かないと潰れるぞ』
ぼんやりと画面を見ていると、そんな言葉と共に桜の写真が送られてきた。
『めっちゃ綺麗に咲いてたから、真中にもお裾分け』
ピンク色の花弁が枝の先まで彩るその景色は、確かに美しい。
その美しさは、一ヶ月前シュウのもとにだけ咲いた桜を思い出させる。だから、俺は結局未成年飲酒に対する注意の文言は送らずにメッセージアプリを閉じた。
そのまま退学にでもなってしまえばいいのに。そう思う自分がいることを、俺は否定できなかった。
小泉秀(こいずみ しゅう)と俺は、地元ではちょっとした有名人だった。小学校も中学校も高校も一つずつしかないような田舎で育った俺たちは、非凡な学力を持ち合わせていたことからだんだんと周りからの注目を集めるようになったのだ。
学校でレベルの高い授業をしてもらえるわけでもなく、塾だって駅前に一つしかないという圧倒的不利な状況。それでも俺たちは全国模試上位に名を連ね続けた。
シュウと一緒にいると楽しくて、シュウとならばどこまでだっていけるのだ、と。俺は本気でそう信じていたのである。だから、高校二年生の夏にシュウが「帝都大に行く」と宣言した時には直ぐさま俺もそれに倣った。
「秀が行くなら俺も行く」
「俺が行くならって……。真中は真中でやりたいことあるんじゃねえの?無理に俺に合わせる必要ねえよ」
シュウはそう言ったけれど、俺は特にやりたいことなんてなかった。強いて言えば、俺のやりたいことは今まで通りシュウと共に生活することだ。
「合わせてなんかない。第一、俺の学力を考えたら帝都大狙うのは別におかしいことじゃないだろ」
帝都大は日本で一番偏差値が高いと言われる大学だ。当然入試のレベルも受験者たちのレベルも高く、頭の良い人間でも落ちることはザラにある。いくら俺といえど、合格することは決して容易ではないだろう。それでも、狙うならここだ、と思った。日本一の大学でシュウと共にキャンパスライフを送る。それはとても魅力的なことであるように感じたのだ。
「一緒に行こう」
そう言うと、シュウは薄く笑みを浮かべた。
「……そうだな。じゃあ二人で合格して、二人で上京だ」
「……!ああ!」
その言葉に、俺はシュウとの上京生活を夢見た。
結局、それが叶うことはなかったのだけれど。
「あ、真中くんも花見どう?」
集中講義が終わり、もくもくとテキストをリュックに詰め込んでいるとそう言って男がこちらを見た。髪が痛みそうなほどギラギラした金髪にゴツいピアスをつけたこの男は、とてもではないが俺と話が合いそうには見えない。土曜に開講されている集中講義に参加しているのが不思議に思えるほど真面目とは程遠そうな男だった。
「俺はいい」
「えー、なんで?用事ある?」
「……勉強する」
そもそも、学生の本分は勉強なのだ。俺は今までだってそうやって生きてきた。山と田畑しかないような田舎町に生まれて、そんな中で全国模試上位を狙うためにはそうするしかなかった。努力して、努力して、努力して。そうして俺は誰からも認められるその地位を築いてきた。尤も、今思うとシュウは俺ほど根を詰めていなかったようだから、アイツは俺とは格の違う天才というやつだったのかもしれないけれど。
「土曜くらいパーっと遊べばいいのに。息抜きも大事だよ?」
男はそう言ってこちらを見るが、それに頷く気にはなれなかった。帝都大に落ちた今、俺にできることは勉強しかないからだ。勉強して、勉強して、勉強して──。そして、俺は四年後帝都大の大学院に入る。それ以外に、この屈辱を晴らすすべなどないような気がしていた。
「……とにかく、俺はもう帰る」
俺にはやるべきことがあるから。……それに何より、桜は嫌いだからだ。
あの日、俺のもとに桜は咲かなかった。対等だと信じて疑っていなかったシュウのもとにだけ桜は咲いて──そして、俺は今ここでシュウのいない生活を送っている。
俺はシュウのことが好きだった。好きだったから、シュウと同じ道を歩みたいと思った。けれど、今はどうだろうか。アイツに負けたことだけがぐるぐると頭の中を回って、俺はこんなにも苦しめられている。シュウは今頃花見を楽しんでいるだろうに、俺だけがこんなにも息苦しい。
だから、絶対に見返してやる、と思った。何を学びたいかとか、どう生きたいかとか、そんなものはもう関係ない。
桜を嫌いになったあの日から、俺の人生はずっとシュウに囚われている。
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