その花をオレは好きにはなれないとしても

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「綺麗だなぁ、この道」 「……そうだな」  どこまでも続きそうな錯覚を覚える桜並木。  普通の人なら抱くだろう感想を口にしながら、前をちょっと親しくなりつつある八尋(やひろ)が歩いていく。  俺はと言えば見上げる事を一切せずに、俯いたままだった。 「なんだよ真咲(まさき)ぃ、ノリ悪いな」 「それ以上絡んでも無駄だよ、やっちゃん」  オレが不機嫌になっていくのを分かったのか、幼馴染の善弥(ぜんや)が会話に入ってきた。  事情を聞かれるのも説明するのもうんざりしていたし、元々人と喋るのも得意じゃない。  こういう時、善弥がお喋りなのは助かる。 「何でだよ?」 「真咲は桜嫌いだもん」 「……マジで?」 「マジで」  驚いて立ち止まる八尋を置いて、俺はさっさと歩きながら小さく答えた。  流石にそこまで無神経ではなかったのか、善弥に小声で聞いているのが聞こえた。 「……何か、深い事情があんのか?」 「実は真咲の身体は桜に弱くて……」 「えっ?」 「善弥」  言動の割には妙な所が素直なのが分かってきていた八尋が信じそうなので、それは阻止しておく。 「ご、ごめん!エイプリルフールは過ぎてたね!」 「なんだよ、嘘かよ」 「人を傷つけない嘘にしろよ。ネタにして良いことと悪いことがあるだろ」 「ごめんなさい」 「よろしい」  俺が納得して前を向くと、後ろでまた声を小さくして二人が会話を始める。  いっそもう少し小さくして、聞こえないぐらいにしてくれたらいいのに。 「で、じゃあ一体なんだってんだよ善弥?」 「ああ、うん。真咲の実家にさ、大きい桜の木が合ってさ」 「へぇ? 良いな、毎年花見できそうで」 「そう、すごく綺麗なんだけどさ」 「けど?」 「隣近所の側溝にすごい花びらが詰まるらしくて、掃除が大変らしいんだよね」 「へ、え……? それで?」 「その掃除を手伝ってる時に、蜂に刺されて」 「うわ、痛そう……」 「うん。ただでさえあんまり近寄りたくないはずなんだけど、でも毎年やらないわけにも行かなくて。真咲の家アクティブな人が多いって言うか……今はあんまり人が居なくて、若い真咲が毎年やらなくちゃいけなくて」 「ああー……そら、嫌な思い出になるな」 「うん。それで、昔はそうでもなかったけど、今は関係ない桜見るだけでも掃除思い出して憂鬱になるんだって」 「大変だな」  全部説明してくれて助かる。  そんなことで、とか見れるんだからいいじゃないか、だとか言われるのが面倒でたまらない。  嫌いなものは嫌いだし、好きになろうと思っても一度嫌な感情を抱いてしまっているのだから難しい。  八尋もそちら側の、「桜が好きじゃないなんて損してる」とか言い出す人間かと勝手に思っていたが、そうじゃなかったのでちょっとだけホッとした。 「……なぁ真咲ー」 「なんだよ」 「今年も掃除すんの、側溝」 「やっちゃん! 僕の話聞いてた!? 思い出すだけで憂鬱なんだって……!」  堂々と嫌な話題を投げかけてくるのか、と振り返ると善弥が間に入ろうとしてくれていた。  こういう所は良いヤツなんだよな、たまに身勝手でうるさいとか思ったりするけど。 「聞いてたよ。だから聞いてんの」 「……する。だから何」 「もう咲いてる?」 「ああ」 「じゃあオレも手伝っていい?」 「は……?」  音は聞こえているが、言われている意味が理解出来ずに聞き返す。 「なんだ、聞こえなかったか? 『オレも手伝って良いか』って言ったの」 「いや、さっきのはそういう意味じゃ……なんで?」 「一人でやるから余計に憂鬱なんじゃねぇかなーと思ってさ。んじゃ皆で片づけてパーッと花見をだな」 「僕分かった! 花見したいだけだねやっちゃん!」 「あ、言うなよ善弥」  そういうことか、と何度も言われた言葉を思い出す。  お前んちで花見したい、なんて人の気も知らないでそういうことを言うやつは一杯いた。  けど、掃除してからっていうのは初めてだった。 「……本当に手伝うのか?」 「そりゃな。花見が迷惑ってんならやらないし。写真一枚ぐらい撮らせてくれると嬉しいかな。ネットとかにあげないし。オレ好きなんだよ、桜」 「掃除しなくても写真は撮らせてくれるよ、真咲は。ね?」 「それはお前相手だからだ善弥。でも、そのぐらいは手伝ってくれるなら」 「お、やった。んじゃ今日この後でいいか?」 「……マジかよ」 「やれるときにやっときゃ嘘にはならないし、桜は散るのも早いしな!」  ニッと笑った八尋と、後ろで楽しそうにする善弥が本当についてきて手伝ってくれた。  ――それが、もう随分と前。  少し呼吸が苦しくて、俺がマスクをずらすと一気に花粉が存在感を出してきた。  あの頃は無かった花粉症の症状が、あまりにも酷くて不機嫌に俺は吐き捨てた。 「っくしゅ、クソッ……春なんか嫌いだ」 「嫌いの規模が広がってんなぁ、真咲」  楽しげに笑う八尋を前に、俺は鼻をすする。 「いい思い出があんまないんだよ」 「なくはないだろ」 「なんだよ?」 「毎年やってるだろ、俺達と側溝掃除と花見」 「え、それを良い思い出だと本気で思ってるのか」 「思ってないのか!?」  八尋が俺の冗談を信じそうなところで、トートバックを掲げた善弥が駆けてきた。 「追加の飲み物とご飯とお菓子買ってきましたー!」 「おかえりー! ありがとな善弥!」 「来るの遅れちゃったからね、これぐらいはしないとね。あと真咲には頼まれてたのど飴」 「ありがと、これめっちゃ鼻が通るんだけどネットで評判なせいか通販じゃ全然売ってなくて……助かる」 「お前もうちょっと外出をってそうか。花粉症だからか、今度見かけたら買ってきてやるよ」 「……マジで助かる」 「大変だなぁ」  なんだかんだ言って、無神経かと思ったらそうでもないのがこいつらのよく似ているところな気がしている。  ずび、と鼻をすすりながら買ってきてもらったのど飴の袋を開けて口に放り込みながら桜を見上げる。  多少整えて貰ったりしても二人と出会った頃よりも桜はさらに少し大きくなっていた。  太陽の光が程よく差し込み、その中を舞う淡い花びらを見つめながら目を細めて呟いた。 「でも、前ほど嫌いじゃなくなったかもな」 「ん? 何が?」 「桜」 「あ、そうなんだ! 綺麗だよね、真咲んちのは手が行き届いてるし」 「そうそう、掃除してる分より気持よく堂々と見れるしな」 「……お前らのおかげかもな」  ぽつり、と零して花粉のせいか、春の陽気なのか。  一人で瞳を閉じてぼんやりしていると、相手の反応が無い。  目を開けて二人の方を見たら驚いた顔をしてこちらを見ていた。 「なんだよ?」 「……いや、素直でびっくりしたというか」 「うん。僕ら結構騒がしいし、迷惑かなって思う事もあるし、実際迷惑かけることもあるし。……おそるべし花粉パワー」  なんとなく失礼なことを言われているような気はするが、言い返す気力もないのでそのまま受け流すことにした。  口の中でのど飴を転がしていると、善弥が飲み物を並べながら言った。 「来年もやろうね」 「おう。真咲んち広いし、桜でかくて掃除するとこ多いから大変だしな」 「……勝手に決めんな」 「えぇ、嫌なの?」 「俺達はやる気満々だぜ真咲ィ」  不服そうにする二人に、ふぅ、とため息をつく。  丁度目の前に落ちてきた桜の花びらを手の平で受け止めながら俺が口を開くと、二人は嬉しそうに笑った。 「……また次、綺麗に咲いた頃に呼ぶ」
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