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エピソード1:見えざる矢が死を司る-2
「色々と事情があるんですよ。まず、ジュニアが認めんのだ、これが」
困ったもんだという風に嘆息するスペンサー刑事。彼は肩幅が広い方なのだが、このときばかりはすぼめて小さく見えた。
「遠隔操作魔法の痕跡が窓の近辺にあったことについて、奴はこんな言い訳をしている。『庭に回って父ビンスの部屋を覗くと、床に倒れている姿が見えた。傍らに愛飲するブランデー瓶が立ててあったが、酔っただけで身体が血まみれになりはしまい。ただごとではないと感じ、助けようとしたが窓にも鍵が掛かっている。遠隔操作で開けようと試みたが――魔法錠だから当然だが――うまく行かなかった』とね。一応、筋は通っている」
魔法はその効力を発揮できなくても、行使すれば魔法痕として波紋を残す。
「なるほど。確かに、裁判になってからそんな抗弁をされるとちょっと、いやかなり厄介でしょうね」
「二つ目に、ジュニアにはアリバイがある」
刑事は今度は腕を組み、首を傾げてから続けた。
「死亡時刻は、夜の七時前後と推定されてるんですが、ジュニアは同時刻、同僚達と店で食事をしていた。店員の証言もあるので、認めざるを得ない。だが、遠隔操作魔法を使ったのだとしたら、あまり意味がない」
「歯切れが悪いですね。アリバイが問題になるとは、つまり、遠隔操作だけでは解決できない点があるんでしょう?」
「相変わらず察しがいい」
「これくらい当たり前です。お世辞はいいから」
「ジュニアは物体を遠隔操作できても、遠隔操作を行うその空間を見通せる訳じゃない。先生もご存知かもしれませんが、魔法による手術だって、患者を近くから見ていないとできないんです」
記憶にあった通りなので、ウィングルは黙って首肯した。
「そんな遠隔操作なら、店にいながらにして犯行に及ぶとすればでたらめに凶器を振るうしかない。もしジュニアが犯人で、山勘に頼って凶器を動かしたんだとしたら、当然遺体は傷だらけになる。現場にあった家具や絨毯なんかも無傷では済まんでしょう。だが、現実の現場は違った。ビンス・マクローナルの遺体の刺し傷は、腹を真っ直ぐ、一回で深く突き抜いていた。よほど素早くやられたみたいで、被害者の手や腕に防御創が一切なかった。現場の部屋もきれいなもんだった」
防御創とは、襲われた人が抵抗することで付く傷跡を意味する。法医学について疎かった頃、ウィングルはスペンサーからよく教えてもらったものだ。
「ただ、傷口をすぐさま押さえた様子なんですよ。防御よりも出血を止めることに意識が向いたのかもしれませんな。あと、不可解なことに、マクローナルの指先――右手の親指と人差し指の腹に、小さな傷ができてましてね。古傷ではなく、新しいものが。新札の縁で切ったような些細な傷ですが、新聞紙ではああはならない。もちろん想定される凶器で付くような傷でもない」
「指先の傷に関しては、見てみないと意見を述べづらいですが、防御創がなかった件は、説明が付くのではありませんか。寝入ったところを襲われたとか」
「それはないでしょうな。マクローナルは床に倒れていた。仮に椅子から転げ落ちたのだとして、座った姿勢のまま眠っている人を刺すには、机が邪魔になる。被害者は、新聞を大きな机の上に広げていましたんでね」
「ふむ。即死だったんですか?」
「即死でないにしても、襲われてからさして間を置かずに息絶えただろう、という見解でしたね」
「そういえば、凶器そのものの話が出て来ませんね」
「それそれ。三つ目にして最大の疑問」
手を一つ叩き、ウィングルを指差すスペンサー刑事。
「凶器が未発見のままなんです。室内どころか家中探しても見付からず、現在、捜索範囲をどんどん広げている段階ですが、芳しい結果につながっていない」
「傷口から、ある程度の想像は付いているんでしょう?」
「細くて鋭いフェンシングの剣のようなイメージだと聞いています。刃渡りが判然としない有様でして、まあ、相当に長い得物だってことですな。それが消えてなくなるとは思えないんだが……まるで、死神の見えない矢のようですよ。人間の身体に突き刺さって、命を奪った後にすうっと消えてしまう……」
スペンサーは刑事らしからぬ構図を口にして、すぐに恥ずかしくなったのか「けっ、馬鹿らしい」と吐き捨て気味に言った。
ウィングルは微笑を隠し、改まって質問する。
「状況に分からない点がいくつかあるので、教えてください。事件当夜、被害者は自宅に一人だったのですか」
「その通り。夫婦二人暮らしだが、妻のシリルは婦人会主催の日帰り旅行に参加しており、不在だった。ビンスがいつも通りに行動したと仮定したなら、妻の用意してくれた夕食を、午後六時二十分には食べ終えたと思われる。この時季、日の入りが早いですからね。さっきも触れましたが、食後は自室に籠もり、酒を飲みながら新聞を丹念に読むのが常だったそうです」
「話を聞く限り、ジュニアが第一発見者のようですが、彼が遺体を発見し、通報するまでの経緯は分かっているのですか」
「大まかなところは。尤も、ジュニア犯人説を採る立場からすれば、どこまで真実なのやら……」
肩をすくめるスペンサー刑事に、ウィングルは早く話すようにと催促した。
「同僚との食事を終えたのが八時四十分頃。普段は病院近くの寮に戻るんだが、週末は両親の家に行って泊まるのが習慣になっていた。大病院の医者はやはり儲かるんですな、若いくせに自分の車を持っていましたよ。それも新車だ」
「僕が持っているのは中古車ですよ」
唇を尖らせるウィングルであったが、スペンサー刑事は軽く受け流す。
「ウィングル先生は個人店主で、しかも経営があんまりお上手でない。それはともかく――車を飛ばすこと一時間、九時四十分頃に到着し、先程述べたような次第だと証言していますな」
「両親宅の鍵を、ジュニアは持っていなかったんですか」
「ええ。たいてい在宅しているし、家にいなければ周囲の畑を探せば見付かる。留守なら留守で、無理に上がり込む必要もないとなると、鍵はいらんのでしょうね」
「動機の見当は付いているのでしょうか」
「いや。それもまた難問の一つでして。誰に聞いても、親子関係は良好だとしか出て来ない。ジュニアがまだ小さかった頃、農業を継ぐのは嫌だ、医者になりたいと言い出して一悶着あったようですが、ジュニアが学業で優秀さを示し続けて決着したとか。医者になって、近くの街の大病院勤務が決まったときなんざ、両親とも鼻高々だったらしい」
「ふむ……現場の状況や魔法痕はジュニアの犯行を示唆するも、他の様々な点でしっくり来ない、といった感じですね」
「まさしく、仰る通りの有様でして。あんな殺し方、他にやりようがないんだから、息子が犯人でまず間違いないとは思うのだが、どうもいけない」
「他に魔法痕は見付かっていない?」
「家人が日常的に使っている魔法を除けば、皆目ありゃしません。何千年も前ならいざ知らず、数時間前に使われた魔法が、痕跡を一切残していないなんて、あり得ない」
魔法の痕跡を消す魔法もあるにはある。が、そうすると今度は、“痕跡を消すために使った魔法”の痕跡が残る。堂々巡りである。
「念のために聞きますが、現場となった部屋の魔法錠に対する鍵は何本あって、それぞれどこで発見されたんでしょう」
「作られたのは一本のみ。被害者が肌身離さず身に着けていたそうで」
「被害者を殺す動機がありそうな人物は、見付かっていないんでしょうか。夫婦仲に亀裂が入っていたとか」
「夫婦仲は円満。共に健康で、どちらかがどちらかに負担を掛けるようなこともない。だが、外には敵が二人ほどいましてね」
「それを早く言ってくださいよ」
不満を露わにするウィングル。刑事はまあまあと宥めつつ、手帖のメモ書きで確認してから読み上げ始めた。
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