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エピソード1:見えざる矢が死を司る-4
「マクローナルの遺体からは、アルコールが検出されとります。少量ですがね」
「ずっと引っ掛かっているんですが、瓶は床に立ててあったんでしたっけ。聞き間違いですかね?」
「いいえ、先生の耳は正常ですよ。床に立てて置いてありました。何か疑問でも?」
「よっぽど大きなサイズでない限り、瓶も机の上に置くんじゃないかと思いまして。新聞を読むのに邪魔なのかな」
「いや……あれは大きな机だったから、邪魔にはならない」
カップを持ったまま、上目遣いになり、しばらく考え込む様子の刑事。
「長年の習慣でできたのでしょう、机の角に、薄くですが、円形にすり減った跡がありました。そこに瓶を置いていたのだと思います」
ウィングルは帳面に目を走らせた。一つの想像が浮かび、新たな気懸かりが出て来る。
「瓶の栓は、金属製キャップですか」
「ええ」
「見付けたとき、キャップは開いていましたか、閉まっていましたか」
「閉まってました」
「留め金というんですかね、新品の物を開けたときに出る、細い部分はなかったですか」
「無論ですよ」
さすがに呆れたのか、この質問には苦笑いで返したスペンサー刑事。
「とうの昔に捨てたでしょうよ。溶かされて、今頃、別の製品の一部になってるんじゃないですかな」
「それもそうか……。魔法痕の検査には、結構な費用が掛かるんでしょうね」
「気になる物言いですな。事件解決につながるのなら、大丈夫ですよ」
「いや、一つでも根拠があればと思い、キャップについて尋ねたんですが、ないんじゃあ困った」
「あのですね、先生。分かるように仰ってください」
「この事件、実際は事故だと思えてきました」
「じ?」
口に運びかけていたカップを停め、口を開けたまま絶句する刑事。ウィングルは真顔で続けた。
「そのための傍証を得るには、ブランデー瓶の魔法痕を再検査してみなくちゃいけない。修復魔法の痕跡は、遺体周辺で使われたとしか分かっていないですよね?」
「まあ、そうですが。瓶の魔法痕を調べると事故かどうか分かるとは、信じられませんな。第一、どんな事故が起きたら、あんな死に様になるのやら。しかも、現場は密室状態で、凶器は残されていないと来た」
「僕が事故だと考えるに至った過程を、順を追って話します」
鉛筆を置き、再度、帳面の内容を確認してから、ウィングルは話を始めた。
「きっかけは、マクローナルの指先に残っていたという小さな傷です。まず、その傷は、ガラスの破片で切ったものではないか、と考えました。現場の部屋にあったガラス製の物となると、真っ先に酒瓶とグラスが思い浮かんだんですが、間違ってないでしょうか」
「うん? ああ、そうですね。他にガラス製の物は鏡があったくらいかな」
スペンサーの補足に、ウィングルは我が意を得たと頷いた。
「どうも。――マクローナルの指先の傷がガラスによるものだとすると、おかしなことがある。スペンサー刑事の話には、ガラスが割れていたようなくだりは一切出て来なかった。これを矛盾なく結び付けるのは、マクローナル自身の魔法です」
「というと修復魔法ですか。ガラスが割れたが、それをマクローナルは直したと?」
「同じことを思いました。酒瓶かグラス、あるいは鏡や窓ガラスの線もあり得ますが、グラスに酒で湿った感じがなかったことから、瓶だと結論づけました」
「グラスが乾いていたら、何で割れたのが酒瓶てことになるんです?」
「すぐには説明しにくいので、少し後回しにさせてください。ともかくマクローナルは、少し酒を口にした直後、何かの拍子に酒瓶を割ってしまった。最初、それを片付けようと手を伸ばすも、破片で指先を切ってしまう。面倒臭さ、酔いもあったのでしょう。酒をぶちまけ、だめにしたいらいらもあったかもしれない。そこで修復魔法の使用を思い付く。『そうだ、修復魔法を使えば、瓶だけでなく、こぼれた酒も元通りになるはずだ』と」
「ああ、酒が元通りになるということは、グラスの内側に付着した分も、元通りになるってことですか。それで乾いた状態になる」
「はい。冴えていますね、スペンサー刑事。僕も喋りやすくて助かります」
ウィングルに誉められ、刑事はむずがゆそうに唇を曲げた。湯気の立たなくなった紅茶を呷り、座り直すと、「早く全部説明してくれませんかな」と催促した。
「マクローナルは机を離れ、床に跪いたと思います。そして割れた瓶を見据えて、魔法をかける。ですが、彼は肝心なことを失念していた。酔っ払っていたせいでしょうか、それとも端から思いも寄らなかったのか。――自分が飲んだばかりの酒もまた、瓶の中に戻ろうとすることを」
「え?」
「吸収・分解される前なら、飲んだブランデーも元通りになる。それが修復魔法というものです。もしもマクローナルが、瓶だけの修復を明瞭に意識していたなら、酒はそのままでしょうけどね。こぼれた酒を惜しいと思ったのなら、新品のブランデーを思い描いたに違いありません。結果的に、その小さな欲が命取りになった。胃袋に収まったばかりのブランデーは、修復魔法の影響を受け、恐らく矢のような形になって胃を破り、さらにはマクローナルの腹を突き破って身体の外に出、瓶の中に収まったのです」
「……何という……」
「彼は肉体の外から刺されたのではなく、言ってみれば内側から刺されたことになります。そんな例はこれまでになく、また常識外れであるため見落とされたようですが、遺体の傷口を子細に調べることで、内から外に向かって刺されたのだと判定できるかもしれません」
「分かりました。ほかならぬウィングル先生の意見だ。早速、手配しますよ。遺体と瓶、それぞれの再検査を」
決断した刑事は口元を手の甲で拭うと、カップの底を見せるようにして、残りの紅茶を飲み干した。多分、数滴しか残っていなかったのであろう。スペンサー刑事は唇を嘗めてから、ウィングル魔法医院の黒光りする電話を借りた。
「まあ、そんなことがありましたの」
スペンサー刑事とほぼ入れ違いに帰って来たニッキー・フェイドは、ウィングルから留守中の話を聞いて、ひどく残念がった。ウィングルにしばし、遠慮のない非難の視線を向けている。ウィングルは肩を小さくすくめ、苦笑いを浮かべた。
彼女は推理小説をジャンルにかかわらず満遍なく愛読するだけあって、実際の事件にも興味惹かれるものがあるらしい。ウィングルがスペンサーに協力するのを楽しみにしている節がある。そうと知っているからこそ、メモを取っておき、聞かせてあげたのに、恨まれてはたまらない。
「それでついさっき掛かってきた電話が報告の一部なんだよ。ブランデー瓶には、確かに修復魔法が施された痕跡があったそうだ。誰がいつやったか等の詳細は、もう少し先にならないと分からないが」
「先生の推理通りで、きっと正解ですわ」
「遺体の再検査の方は、手続きを踏む必要があるので、真相が判明して最終的な結論となるのはまだ先になりそうだが、無理矢理にマクローナル・ジュニアを犯人に仕立てようとするよりは、僕の解釈の方が理にかなっている気はする」
「――ねえ、先生」
買ってきた物の内、食料品を次から次へと仕舞っていたフェイドが、棚の陰からひょこっと顔を覗かせた。手には飲みさしのブランデー瓶を掲げ持っている。
「何だい?」
「大事に飲まれていますね。もしも私がこの瓶を割ってしまったら、先生はどうします?」
「僕は修復魔法が使えないし、大人しくあきらめて、新しいのを買うとするよ」
「修復魔法が使えたとしたら?」
「うーん」
予想外の問い掛けに、ウィングルは思わず唸った。だが、答を得るまでに、たいした時間は要さなかった。
「やっぱり、新しいのを買うとしよう。一度こぼれたお酒を飲むのは、気分的にね。直せばいいってものじゃない。気持ちが肝心だよ」
――エピソード1.終
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