紙の桜

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「先生、受かりました!!」  午前10時を過ぎた途端、教務ルームに電話が鳴り響く。窓ガラスから覗かせる桜の枝には蕾が膨らみ始め、もうすぐ春だと告げているのを見ながら受話器を上げる。  担当生徒の声が弾ける。こちらはもう満開だ。 「おめでとう、よく頑張ったね」 「ありがとうございます、あとですぐ校舎行きます!」  明るく澄んだ声音は受験から解放されたのが伝わる。合格発表前の昨日まで覆っていた分厚い雲が晴れたのだ、汗を流しながら講習に通う夏の日も、学校行事と両立しながら通った長い秋も、凍える手で赤本を捲った冬も、どんな日の顔も覚えている。  予備校で受験生を見守り続けてきたことを、こんなにも誇りに思える瞬間はない。  合格報告した生徒の到着を待つまで、パソコンに生徒の氏名と合格大学のデータを受け込み、テンプレートの桜マークを飾った。合格掲示をプリントアウトし、合格速報を外から一目で分かるように校舎エントランスじゅうに張り出し、ピンク色の紙をラミネートした桜で覆う。  紙の桜がコンクリートの校内に咲き誇る。 「……先生」  ピンクに染まる校舎に自画自賛した時、エントランスから控えめに声が掛かった。先程の電話をしてきたのとは別の生徒、無表情でゆっくりと歩いてくる。  手のひらの薄っぺらな桜をそっと背中に隠す。――どちらだろう、と思いあぐねていると生徒は力無く笑った。  声にならない報告。  私は紙の桜をくしゃりと握り潰し、ポケットにしまった。  まだ合格した生徒はやって来ない。  良かった。  面談室のイスへと生徒を座らせ、私は窓の外を見上げる。本物の桜はまだ蕾のまま、咲いていない。  🌸
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