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 曖昧な記憶が導く残酷な御伽話の結末を、そのまんま妹へ語る気に、達樹はなれなかった。  こういう時はレッツ・アレンジ!  シビアな要素を極力隠し、取り敢えず思いつくまま、ハッピーエンドをでっちあげてみる。 「あのね、お菓子の家を二人で食べ、お腹一杯になって、それで終わりだよ」 「え?」 「そして、ヘンゼルとグレーテルは、お菓子の家から輝く未来へ旅立っていった。二人の戦いはこれからだ! みたいな」 「え~っ!?」 「お兄ちゃんの話がいやなら、小学校へ上がってから、自分で本を探すが良いぞ、グレーテル」  早苗はお得意の上目遣いで兄を見た。放送半ばで打ち切りのアニメ風エンディングに不満そうな顔付きだが、 「あ、あれ! あのお店!」  少々古臭い地域密着型スーパーの看板が目に入った途端、表情が一変、早苗は店先へ勢い良く走り出す。  達樹も追いかけて走った。  入口付近の簡易棚に並べられた特売品はどれも売り切れのようだが、諦めるのはまだ早い。自動ドアから店内を覗き込み、「あった!」と叫ぶ妹の歓声で、彼はホッと胸を撫でおろした。  夕方になって追加されたらしい。レジ前に山盛りの菓子パンが聳えている。  限定版リンゴ・リングのサイズは通常品と同一。但し、シロップ代わりのチョコがぶ厚く塗られており、手に取った早苗は頬ずりしそうな勢いだ。  しかも値段はチラシの安値そのまんま。日々、エンゲル係数と闘う貧乏人には、まさに「お買い得」こそ正義!  但し、想定外のささやかな出費もある。  チョコ大盛りのパンを早苗に抱えさせたら、体温で表面が溶けちゃいそうなので、勿体ないけどビニールのレジ袋に3円払わざるを得ない。 「おにいちゃん、9円おつりだね」  包みを破って齧りつく寸前、素早くリンゴ・リングを取り上げ、レジ袋へ入れて渡してやると、早苗は達樹の掌にのったお小遣いの残りを覗き、満足げに微笑む。  時刻は何時しか午後四時を過ぎており、店を出ると、静かだった繁華街の方角にも開店準備の人影がチラホラ見えた。  急いで帰らなきゃな。  電柱に備え付けられた拡声器から子供の帰宅を促すチャイムが流れ、達樹と早苗はもと来た道を戻りかけたが、 「ねぇ、お兄ちゃん、あっちの方、何ンかキラキラしてるよ」  ちょい背伸びして繁華街を指さした早苗は、又、声を上げるのと全力ダッシュするのが殆ど一緒だ。  その向かう先を見た途端、達樹はギョッとした。  幼稚園児と小学生には全く場違いな光景……既に営業中のラブホテル街で、看板のLEDが光を点滅させている。    東京都の市町村で最多の人口を誇り、広さにおいても二番目の八王子市にはこういう悪所も存在するのを、達樹は子供なりに知っていた。  補導員が巡回しているかもしれないから慌てて早苗を追い、引き戻そうとする。でも、それほど急ぐ必要は無いようだ。  幹線道路の、横断歩道手前で早苗はポカンと口を開けたまま、佇んでいる。 「……早苗、どうかした?」 「お兄ちゃん、あれ」  早苗の小さな指が示した先で男女の二人連れが身を寄せ合い、歩いていた。  こちらへ背中を向けているから、達樹と早苗に気付いていないが、その女のコートに見覚えがある。  母が勤め先へ行く際、愛用しているコートと同じものだ。  体型も、身のこなしも良枝に似ていて、確かめたい衝動に達樹は駆られた。同時に得体のしれない恐怖も感じる。  一方、早苗は不思議そうに首を傾げ、目をまん丸くしたままで、 「あれ、お母さんかな?」 「違うよ、早苗。そんな筈ない」 「あのキラキラしたビル、お菓子の家みたいなとこへ入りそう」 「あれは、その……そんな夢のある建物じゃなく……」 「良いな。あの中、どんなかな?」  早苗はすっかり好奇心を刺激されてしまったらしい。達樹の手を引っ張って、しきりにあっちへ行こうとねだる。  具体的にどんな用途の建物なのか、それなりに彼は知っていた。クラスにませた奴がいて、尋ねてもいないのに色々教えてくれたのだ。  だから、これ以上質問される前に、 「……お前、ちょっと、ここで待ってろ」  そう言って、電柱の影に早苗を押し付け、一歩前へ出る。 「この交差点、渡っちゃダメ?」 「ああ」 「じゃあ、お兄ちゃんはどうするの?」 「僕、あの人がお母さんかどうか、確かめてくるから」  しぶしぶ頷く早苗を置いたまま、達樹は重い足取りで一人、横断歩道を渡っていく。  少し先を行く二人に気付かれぬ様、建物の影に隠れながら、そ~っと忍び足で距離を詰める。すると、女の横顔が歩道沿いにある電気屋のショーウィンドウへチラリと映り込むのが見えた。  それは間違いなく母だ。  でも、いつもと身に纏う空気が違う。  少女のように明るくはしゃぎ、隣にいる男へ媚びて、甘えた眼差しを向けている。少なくとも、達樹の知る母とは似ても似つかない『女』の顔だ。  淡い記憶がデジャブを伴い、不意に胸の奥から突き上げて激しい不安へ転じた。  そうだ。昔、家族を捨てる前の父もあんな空気を纏っていた気がする。  真意の知れない薄っぺらな笑み……胸に迫る強烈な違和感……    相手の男は四十代くらいだろうか?  背広姿で小太りで、その顔にも達樹は見覚えがある。  良枝が働くクリーニング店の集合写真に写っており、居間へ飾る際、母は「この人が店長さん」だと言っていた。  確か、年上の奥さんと、中学、高校の娘がいるんだっけ?  記憶を巡らす内、二人はストロベリー・ショートケーキを模した派手な装飾のホテルへと弾む足取りで入っていく。
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