エピローグ

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エピローグ

 ウィリアム・ヨハン・シャルレーが死んだ。三十七という若さで、急死した。大怪我の後遺症とうまく付き合えていると誰もが思っていた。だが、急性多臓器不全に陥って意識をなくすと、そのまま目覚めなかった。  葬儀は家族のみでひっそりと行われたが、SNSやメディアでは悼む声が絶えない。退役し、姿を隠した後もウィリアムは慕われていた。  ウィリアムの死後、一人の老人がウィリアムのブログに新しい記事を掲載した。老人の名はアーノルド・シャルレー。ウィリアムの父であり、数年前に退役した中将である。  息子、ウィリアム・ヨハン・シャルレーの急逝の報は多くの方に衝撃を与えたことでしょう。父である私にとっても大きな衝撃で妻と共に悲嘆にくれる毎日です。エレナもすっかり元気をなくしてしまい、毎日墓へ行っては泣いているようです。  息子の死去に当たり、私は懺悔をしなければならないことがあります。赦されたいから懺悔をするわけではありません。ただただ戦争のもたらした悲しみと私がした決断とを知り、平和への思いを強くしていただきたいと思うのです。  時を遡ること十二年。ハウレリーの奇跡、その数日前のことです。我々エルドレア陸軍機密参謀部はベルエルの最終特別攻撃が来ることをすでに察知していました。撤退するべきだという意見が多くあったことをよく覚えています。  すでにウィリアムしか佐官が残っておらず、本部を包囲されるという絶望的な状況だったからです。それでも持ちこたえていたことはすでに奇跡といっていいほどでした。その時点で決断していれば多くの兵士が無事に帰ったでしょう。  けれど、そこで引いたら停戦がなったとしても、再度攻められることは確実。土地を奪われるということは故郷を奪われるのと同義。私はハウレリーから撤退すべきではないと明言しました。息子を見殺しにするのかと、そこまで冷血になったのかと、非難の声は大きかった。  すでに多くの戦死者を出し、どうして我が子の命だけを惜しめるでしょうか? 司令部の椅子に座り、砲弾の当たらない場所にいてどうして我が子の命請いができるでしょう。  一時陥落後であれば隙ができる。そう、確信していました。だから、撤退させなかった。大規模な援軍をもっと早く送り込めば助けられたのではないか。そういった批判が多くあったのも知っています。ですが、油断なくしてエルドレアの勝利はなかったでしょう。  例え死んだとしてもウィリアムはわかってくれると信じていました。  私がウィリアムを死地に追いやったのはこれが一度目です。集中治療室で辛うじて息をしている姿を見て、心は千々に乱れ、己の行いを呪いました。  けれども、私はさらに二度、ウィリアムを死地に送りました。それは初めての記者会見の日と、ベルエルへの派遣です。それがウィリアムのためにならないことも、心の病を悪化させる懸念があったこともわかっていて追い立てたのです。  それはすべて平和のため。未来の子供たちのため。そう信じて進み続けました。  ウィリアムは皆さんもご存知の通り、私の期待以上の働きをしました。片目片足を失ってなお前を向いて歩く息子の姿に自身を、国の未来を重ねた方も多かったでしょう。  エレナのことも知っていて許しました。それが我が国のためになると瞬時に理解したからです。  私はあの日からずっとウィリアムを死へと追いやり続けました。表向きは笑顔でいたウィリアムのプライベートは惨憺たるものでした。大量の薬を飲んでいても生きているのがやっと。死にたいと頻繁にこぼし、発作に苦しむ日もありました。  それでも国民のためと笑顔を絶やさなかった。そんな息子の姿を見て、苦悩することもありました。後悔し、己の決断を呪ったことは一度ではありません。  我が子を犠牲にしても私は平和が、強固な平和が欲しかったのです。未来のために。  元気に駆け回る子供たちこそが未来。その未来たちが安心して暮らせる世界を作るためなら犠牲を厭ってはいられなかったのです。  こんなにも早くウィリアムを失うことになったのは私の咎に因るのでしょう。  こんな思いをするものは私を最後にしてほしい。もう一度、平和の尊さを思い出してください。ウィリアムが祈り、求め続けた変わらない平和な明日を手に入れるために。  追記  ウィリアムを愛していなかったのかとのコメントだけは看過できませんでした。  愛していましたとも。愛さないはずがない。  ウィリアムは末っ子で上の子たちに比べ大人しくやさしい子でした。最愛の妻に面差しも心ばえもよく似ていました。幼い頃は人見知りをされ、泣かれたこともありました。軟弱な子だと思うこともあったのは否定できません。  けれど、手がかかる子ほどかわいいものです。ウィリアムは特別賢くもありました。相手の喜ぶことがわかる、本当にやさしい子でした。私が落ち込んでいると黙って隣に座っていたり、好きなところを教えてくれたり、そんな子でした。  どうして愛しまずにいられるでしょう。  私の罪を知った後も、許すと、大好きだと言ってくれた我が子を愛していないわけがない。  最後に握った手が冷えて行ったとき、なぜそこに横たわっているのが自分ではないのかと思うほどに……  愛していたから失ったことを罰だと思うのです。それがエゴだともわかっています。ウィリアムは天国へ、私は地獄へ行くでしょう。そうでなければいけない。  話がそれてしまいました。これで終わりにします。  もうこのブログが更新されることはありません。  アーノルドの記事は大きな波紋を呼んだ。  平和は得難く、特別なもの。手に入れるため大切な我が子を差し出したアーノルド。彼の行動は称えられるべきなのか、非難されるべきなのか。誰にもそれを断じることはできなかった。
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