天使と英雄

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 大怪我から六週間が過ぎ、痛み止めの点滴が外された。まだ痛みは残っているが、内服薬で対応できる程度になったからだ。耐え切れない痛みがあるときのみ注射を打つことになっているが、そういったことは起きずにリハビリへと移行した。少しずつ、着実に退院が近付いている。  リハビリも始まった。一か月半もの間、寝付いていた身体はやせ細り、ただ起き上がるだけでも重労働だ。座っているだけでもリハビリになるとは想像もしていなかった。  そんな頃、顔の包帯を外すことになった。右目を中心に潰れてしまい、見るも無残な状態だからと鏡も見せてもらえていなかった。すでに二度の整形手術が行われたが、まだ義眼を入れられる状態ではない。 「そろそろ鏡を見せてもらってもいいですか?」  医師は迷った様子を見せたが、鏡を伏せて差し出した。 「いいですか、以前の顔とは全く違っています。心の準備をしてから見てください」 「はい」  ウィリアムはふと息を吐いて鏡を見る。そこに映っているのがとても自分とは思えなかった。顔の半分近くが青紫の治りかけの傷に覆われ、頬はやつれてこけている。左目は落ちくぼんでぎょろっとしているし、真っ黒だったはずの髪が真っ白になっていた。 「これが、俺、なんですか……?」  思わずエルドレア語が漏れた。医師は気遣わしげにウィリアムの手から鏡を取る。 「損傷が激しかったので、これでもかなり良くなったんです。ショックでしょうが、受け止めて行くしかないかと」 「そう、ですよね……」  心も体もぼろぼろだ。医師は体重が戻り、あと数回の整形手術の後、義眼を入れればもう少し見た目が改善されると慰めてくれた。だが、ウィリアムはショックを隠せなかった。  ベッドに戻してもらい、彼は頭まで布団をかぶる。こんな無残な姿をさらしていたことが辛くてたまらない。もう以前の自分の面影はどこにもなかった。涙さえ出てこない。家族でさえ、この姿では気付いてくれないだろう。 「ウィリアム?」  呼ぶ声が聞こえた。エレナが来たことに気付いたが、ウィリアムは顔を出せなかった。 「かくれんぼ?」 「違うよ。エレナは俺の顔が怖くないのか?」  ホラーゲームのゾンビの方がまだマシと思えるほどだった。隠れるように包帯を巻き直してもらったが、それでも気持ちは波立ったままだ。 「ウィリアムはウィリアムだもん。怖くない。ウィリアムが隠れているほうがわたし怖い」  ウィリアムはすぐに布団を出て、エレナを抱きしめる。 「怖がらせてごめんね……大丈夫、俺はちゃんとここに居るよ」 「よかった」  エレナはほっとしたように笑う。 「お顔ね、わたし嫌いじゃないわ。わたしを守って負った傷だもの。もう少し太った方がいいって思うけど」  生意気な言葉にウィリアムはふと笑う。少しだけ、気持ちが軽くなった。 「ありがとう、エレナ。太れるように頑張るよ」  多くの内臓を損傷した関係で食べられる量がかなり減っていた。回数を増やして対応するよう、おやつも多く出されているのだが、残してばかりだ。できるだけ食べるように毎回指導されている。 「あのね、ウィリアム、わたし、退院することになったの」 「よかったね。おめでとう」  エレナの怪我はとっくに治っていたのだが、孤児になったことや外国人であることが障壁になり行き先が決まっていなかった。そのため退院もできずに空きベッドを転々としていたのだ。やっと決着がついたということだろう。いいニュースに彼の気持ちはまた軽くなった。 「でもね、隣の孤児院に行くだけだから明日も来るの」 「孤児院で友達ができるんじゃないかな?」  寂しくも思うが、同年代の友達も必要だ。 「わたしはウィリアムがいいの」  彼はくすりと笑う。彼の病気や怪我に関しては医師がわかりやすくエレナに説明してくれた。そのせいで会えない日があることも理解してくれている。それでも会いたいと来るのだから、ずいぶんと懐かれたものだ。  翼があり、走り回るのが得意ではないから友達を作りにくい可能性も否定できないが。言葉に関してはほとんどザイア語で話せるようになったから、その点は心配いらないだろう。 「ウィリアム、大好きよ」 「ああ、俺も大好きだよ、エレナ」  額をくっつけてすりすりされた。愛おしさで胸がいっぱいになる。まだそういった感情を持てることにウィリアムは安堵した。心は完全に壊れてしまったわけではない。 「少しだけ、散歩をしようか?」 「できるの?」 「車椅子の使い方を覚えるように言われていてね。付き合ってくれるかな?」 「うん」  エレナはうれしそうに頷いて車椅子を持ってきてくれた。ウィリアムは慎重に車椅子に移動する。たったそれだけのことさえ難しい。少しずつ体力を戻して、車椅子から松葉杖、義足へと移行していけば以前ほどではないにしろ、今よりは状況がよくなるだろう。 「孤児院は見える場所にあるの?」 「あっちの廊下から見えるの」  エレナについて行くと病院に併設された孤児院が見えた。教会もある。元々教会に併設されていたものが、どんどん膨れ上がった施設なのかもしれない。ライオンは聖ヒエロニムスの逸話に基づくものであるのだろう。 「本当にすぐそこだね」 「うん。いつでも来ていいってシスターが言っていたの」 「そっか。待ってるよ」  エレナはうれしそうに笑った。彼の入院生活はまだ続く。
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