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立石の証言
中柴がおそるおそる扉を開けると、意外な人物が立っていたのに、ビクンと肩を跳ねさせる。そこには無表情の立石が立っていたのだ。手にはタッチパネルに充電池を引っかけて持っている。
「あ……」
思わず扉を閉めようとするが、すかさず立石が足で割り込むために、上手く閉めることができない。
「ど、して……なんで……」
「おかしいと思ったんだ。君は人見知りが激しいのに、早朝にわざわざ厨房にやってくるなんて。最初は誰の目にも付かずに食事をしたいのかとも考えたが……気になったから検索をかけてみたんだ」
「……?」
中柴は必死に立石を閉め出そうとするものの、彼の言葉に違和感を覚えた。
(ここ……ネットは使えないはずじゃ)
皆がスマホを確認したのと同じように、中柴だって家に連絡できないか何度も確認したが、やっぱり使えなかった。今日もスマホには【圏外】としか表示されていない。
しかし立石はタッチパネルでなにかを表示させると、淡々と読み上げる。
「【N市立南中学校食中毒事件】」
「…………っ」
「これの犯人は、君だね?」
「ち、違……だって、あれは」
「俺のタッチパネルには、過去三十年分の犯罪記録を保存して検索できるように設定してあるけれど、なんだったら概要を全部読み上げるか?」
彼の口調は淀みがない。
表情は相変わらずちっとも出ないが、今まで淡々と抑揚なくしゃべっていたのが、一転して饒舌に語り出す……世の中にはマニアと呼ばれる類が存在している。なんでもかんでもコレクションをするコレクター、なんでもかんでも考察をしたがる考察班がいる。
彼はあからさまに軽犯罪から重犯罪までの事件をファイリングする、犯罪プロファイラーだった。
立石は饒舌に語る。
「【生徒Aが給食室に忍び込んで下剤を入れた。料理がカレーだったために味だけでは発見に遅れ、被害は学校生徒の三割に昇った。ひとり重傷者がいる……】食中毒で重傷ってなんだろう?」
「……だから、違……」
「【教育委員会が出てきて謝罪会見が行われ、事件が終わったかに見えたが、生徒Aが警察に自主した……『自分が下剤を盛りました。PTA会長の息子の少年Bに言われて』。教育委員会だけだったら、そのまま終わっただろうが、少年Aの警察の自主により、この学校では長いこといじめが行われていたことが発覚……】」
「だから……! だから! 僕のせいじゃない……!!」
とうとう中柴は立石の言葉を遮った。
しかし立石は、メガネ越しに冷たい視線を向けている。
「君がやっていない。少年Aがやったことであり、まさか重傷者が出るとは思わなかった。しかしこれで警察が来て事情聴取が行われ、校内でいじめの騒動が露呈してしまった……君が学校に行けなくなったのは、それが原因だな?」
「だから……僕は悪くない、悪くない……」
「なら、この話は悪くないということにしよう。だが」
立石は手になにかを持っていた。それは液状の……有名製薬メーカーの下剤だった。
「俺がたまたま食堂に出ていなかった場合、厨房の調理器のいずれかに、これを仕込む気だったんじゃないか? ここにはコンシェルジュがいても、医者はいない。ここで下剤を盛ったらどうなると思っているんだ?」
「…………っ」
とうとう中柴はその場に座り込んでしまった。
立石の冷たい視線は変わらない。
「君は自分のやったことについて、きちんと向き合ったほうがいい。君のことを心配している人間もいるし……ここには普通に殺人を是とする人間もいる。それに『殺してもいい』と目を付けられない行動を取ったほうがいい」
言いたいことを言うだけ言って、立石はようやく足をどけると、静かに立ち去っていった。
中柴は戸締まりをしたあと、部屋の絨毯で膝を抱える。
「……好き勝手ばっかり言うなよ……」
中柴は、ちっとも自分の行いを反省なんてしていなかった。
****
中柴薰は誰でも聞いたことのある有名食品企業の部長の息子である。母は専業主婦ながら、社会活動に熱心であり、PTA会長として羽振りを利かせていた。
社内でも順風満帆な父、町内で誰も逆らうものがいない母。その息子の性根が歪むのは、当然と言えば当然だった。
「君のお父さん、うちのお父さんの会社の下請けなんだろう? 僕が言えば、君のお父さんの会社の仕事、ひとつくらい減らしても文句はないよなあ?」
「や、やめて……」
「だったらそのカード、僕にくれないかな?」
中柴は目を付けて欲しいものを取り上げる、恐喝する、逆らったら父や母の権力を使って学校でわめき立てて教師を動かす。心ある教師はどうにか彼の悪癖を咎めたが、PTA会長の母が校長にひと言申したらしく、辺境の学校に飛ばされてしまった。時には彼らの傍若無人さに耐えきれずに荷物をまとめて引っ越していく。あまりにも度が過ぎた行いだったが、誰もが見なかったことにしていた。
PTA会長を敵に回したい主婦はおらず、取引をひとつ潰したらいったい何人のクビも一緒に飛ぶかわからないと考えるサラリーマンは多く、結果として彼の増長は親どころか町内会ぐるみでも止めることができず、中柴は増長したまま中学校に進学してしまったのだ。
転機が訪れたのは給食のときであった。
「なあ、給食室に行って、下剤盛ってこいよ」
なにかを盛るというのは、それだけで犯罪である。
クラスメイトの林田は首を振って断ったが、中柴は嘲笑うだけだった。
「僕に逆らえるとでも? 家に毎日ピザが届くようにするか? それとも匿名サイトに君のプロフィールを紹介しようか? 可愛い彼女や可愛いおっさんができるかもしれないぞ?」
「アハハハハハハ……!!」
中柴は友達は全くいなかったものの、彼に逆らうとろくなことにならないと判断した太鼓持ちは多数いた。彼らの笑いが、林田を追い詰めたのだ。
彼らは下剤入りの給食を食べる気は当然なく、「すみません、保健室に行きます」と言って、保健室に篭もってしまった。これで救急車が呼んで大騒ぎになれば、林田は皆から責め立てられるのだろう。そう思って笑いながら見ていたが。
天はいい加減この増長した少年を止めたほうがいいと判断したらしい。
「ひとり、重傷者が! すぐに薬を!」
どうにも様子がおかしかった。
下剤を盛られてしまった生徒の中に、服薬中の生徒がいたのである。それと下剤の相性がよくなく、結果としてその生徒は長期入院することとなってしまった。
その後給食場は浄化作業に当たり、保健所やら教育委員会やらの監査が行われるようになった。一時は騒然となったものの、それはすぐ終わる……そう思っていたが。
林田が学校を休んだと思っていたら、今度は警察が捜査をはじめたのである。そしてとうとうニュースに載ってしまった。
【N市立南中学校食中毒事件】
ただの食中毒事件だけではここまで騒がれなかっただろうが、犯人がいじめられた当事者であり、自主をしたということで、義憤に駆られた人々が、徹底的にネットを駆使して情報を集め、それらを各SNSに投げ込みはじめたのである。
学校名は既に割れているため、いじめの当事者たちの名前が挙がるのも時間の問題だったし、それに加えて中柴一家に恨みつらみのある人間まで匿名で情報を流しはじめたので、一気に風向きが変わってしまったのだ。
結果として。
中柴が今まで下に見ていた人々が、掌を返して彼をいじめ、糾弾しはじめた。人間、相手を責める理由を与えてしまえば、いくらでも残酷になれる。
下剤の被害者が出ただけでなく、入院して帰ってこられない生徒がいるというのが、決定的であった。
林田は中柴を訴えた英雄として讃えられはじめ、逆に中柴は人間として尊重されなくなっていった。
家に帰れば、あれだけ仲のよかったはずの両親が喧嘩をするようになってしまった。
「いったいどんな教育をしていたんだ!? うちの事業で食中毒なんて、風評被害もいいところだろうが!!」
「あなたこそ、それくらい揉み消せる力はあるでしょう!? ネットの誹謗中傷なんて、全部訴えれば終わるはずなのに、それもしないで!!」
「できるか! 本当のことなんて訴えても揚げ足取りされて終わるだろうが! いったいどれだけ調子に乗っていたんだ!」
「あなたがそれを言いますか!?」
食品企業の人間の息子が食中毒を引き起こしたというのは、企業カラーにダメージを与えても仕方がなく、地方に左遷が決まってしまったのだ。母はPTA会長の辞退をするように、暗に責め立てられるようになっていった。
中柴の安寧の場所は、こうして自室だけになってしまったのである。
そんな彼が外に出たのは、はっきり言って不運であった。
両親がいないとき以外は自室から出られない中柴は、洗濯すらもひとりでこっそりとやっていた。自分の洗濯物を洗い、それをベランダに干す。
その中で洗濯物が風になぶられて、洗濯ばさみで押さえる前に飛ばされてしまったのだ。
「あ……」
飛ばされたのは、気に入っていたタオルであった。もし他のものだったら、仕方ないと諦めてなかったことにしていただろうが。
外に出れば、中柴を睨む視線が怖かった。家の中だけは平穏なのは、マンションのオートロックで守られているからだ。もしアパートや一戸建てだったら、もっと被害は大きかっただろう。
中柴は本当に久しぶりにタオルを求めて外に出た。
外に出たら、体から脂汗と冷や汗が同時に出て、ガタガタと震えが止まらなくなる。だが、今は主婦は家事の時間帯、社会人や学生はそれぞれの場所にいるため、人気がないのだ。
中柴は久々の解放感を得て、タオルを求めてさまよっているところで……例の車に見つかったのだった。
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