因果は巡る

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因果は巡る

 美羽は泣く泣く傷んでしまった大正風のワンピースをダストボックスに捨て、新しいワンピースに袖を通す。制服に触ってみたが、まだ濡れているようだった。下のランドリーを使うべきかどうかも考えたが、ひとりでランドリーで待っていて、榛と一対一になるおそれを考えたら、怖くて仕方がないからやめておいた。 (制服が乾いてくれたらいいんだけどなあ……)  とりあえず、腹を減らしている中柴も心配だが、ずっと脱出路を探している立石を一旦手伝いに行こうと考えていた。  二日間館内を歩き回って見取り図を完成させた立石と、ふたりで脱出路を探すのだ。石坂を誘うかどうかは迷ったが、首を振った。 (榛になにをやっているのか知られたくないし……ひとりでこっそりと言ったほうがよさそう。それに)  榛の耳障りな笑い声を思い返して、少しだけぞっとしていた。 (……あの人をどう刺激したら殺人衝動出るのかわからないから、はっきり言って怖い。もしあたしが気に入った人がいたら、その人を面白がって殺すかもしれないんだから、悟られたくない)  中柴について狙われるんじゃとも危惧したが、彼も面白がって部屋のドアを蹴破って殺しにかかるみたいなことはしていないのだから、部屋に篭もっている限りは安全だろうと信じるしかない。  美羽はスカートをふわりとさせながら、出かけて行った。 「立石さん……?」  榛に限らず、紅に会っても面倒だなとは思っていたが、幸い会うことはなかった。立石はタッチパネルに充電池をぶら下げながら、二階の宿泊施設付近の階段を調べているようだった。  美羽の声に、立石は少し振り返る。 「……明空さんか。あれ、服……」 「あー……中柴くんにご飯を持っていったらひっくり返されちゃいまして。着替えました。服だけは毎日ファッションショーできるくらいに、ここにあるみたいですよ」  そう言いながらクルクルとスカートをなびかせた。大正風アンティークデザインのワンピースは、センスがいい上に、不思議とこの館内の装飾ともマッチしていた。ここではネット回線が一切使えない、強制的にサツバツとした思いをしている以上は、これくらいの潤いは欲しかった。  立石はそれをチラリと見た。 「制服よりは汚れが目立つと思う」 (どんな感想だ)  翔太であったら真っ先に「似合う似合う」と言ってただろうし、石坂にも「よく似合います」と言われているため、あまりに気の利かない立石の発言に少しだけ美羽はがっかりしたが、立石は淡々としながら言う。 「……脱出路がどんな道かはわからないが、もしかすると狭いところを通るかもしれないから、早めに制服を乾かしたほうがいい。汚れが目立ったら悲しいと思う」 「……はあ、ありがとうございます」  美羽はむっとした気持ちを少しだけ変えた。 (この人、無茶苦茶遠回しな言動するだけで、気遣いなのかな)  立石はいまいち顔に表情が全く出ない上に、三日も経っていてもなお、いい人なのか悪い人なのかさっぱり把握できなかった。多分いい人なんだろうと信じるしかないというのが、現状の彼の意見である。  とりあえず、美羽は立石に「なにを手伝えばいいですか?」と尋ねた。 「昨日までに見取り図をつくり終えることができたから、今日はそれを見ながら脱出路を探していきたいと思っている。とにかく少しずつでいいから、触って手がかりを探してみてくれないか?」 「はあ……しかし、一階の正面エントランスみたいに、電流が流れたりはしてませんでしょうね……脱出路は……」  美羽からしてみれば、翔太が自分のために感電死してしまったのだから、もし脱出路を探すことそのものが罠だったら困る。コンシェルジュは聞かれないことには答えない主義なのだから。  そう考えていたが、立石が「ああ」と頷いた。 「だから、念のため探してきた」  そう言いながら美羽に差し出したのは、ゴム手袋だった。 「ゴム手袋……」 「倉庫を漁ってきたら見つけた。さすがに人が感電死するレベルのものだったら、あまり意味がないかもしれない。でも、ゴムが溶けたり変な匂いがするようだったら、そこに仕掛けがあるとわかるし、感電死自体は避けられると思う」 「ありがとうございます……」  ひとまず、ふたり揃ってゴム手袋を嵌めながら、壁を叩いたり床を叩きはじめた。天井まではさすがに手が届かないため、倉庫から探してきたというモップで天井を突いたりもしたが、やはりなにもないようだった。 「なかなか見つかりませんね……」 「まだ四日ある。その内に捜し出せたら俺たちの勝ちだ」 「そうなったら、ここにいる人たち全員脱出できますかね」 「どうだろうな」  立石は淡々と言う。 「……榛以外の妨害系の指令内容がわからない」 「それは……榛の指令があまりに大袈裟過ぎるっていうんじゃ?」 「本当にそう思うか?」  美羽の言葉に対しても、立石はメガネ越しにじぃーっとこちらを見つめるばかりだった。 「口ではいくらでもいいことは言える。でも行動が伴ってなかったら、意味がない。君は中柴くんを助けに行ったり、他の面々となんとか話をしようとしたり、きちんと行動を伴っている。でも、口でいいことを言っていても、行動が、中身が伴ってない場合は、それを本当に信用できるのか? 俺は君のことは信じられるが、それ以外は未だにわからないとしか言えない」 「……あたし、そこまで大したことは」 「謙遜は聞こえがいいが、あまり口にしないほうがいい。それをやり過ぎると逆に嫌味になる」  美羽はそれに「ありがとうございます……」と頷きながら、再び作業に没頭することとした。  せめてひとつ。せめてひとつくらい、前に進みたかった。美羽もまた、主催側の人間を捜し出さないといけなかったが、話を聞く限り、だんだん紅以外にいなくないか? と思えてきたが、彼が主催側だという決定的な証拠もないため、黙るしかできなかったのだから。 ****  美羽と立石が脱出路を探すべく、二階の左端から確認をしている中、こっそりと中柴は扉を開けると、音を立てぬように閉めて、一階へと駆け下りて行った。 (あのホストはやる気がない……多分指令内容が大きくないんだろう。逆にあの大学生は動きが大きいのは、七日間のうちでやり切るには大きいんだ。だから、あの大学生がいない間に、けりをつけないと……)  中柴からしてみれば、あの無表情な男にメガネ越しにじぃーっと見つめられると、胸中を覗き見されているようで気まずい。  しかし彼以外はお人よしか頭が足りないようだから、その間に一気に出し抜ければ助かる。  そう思いながら、貯水槽まで辿り着いた。中柴は学ランの中に忍ばせていた下剤を取り出す。 (これで……僕の独り勝ちだ……!)  そう思って蓋をしようとしたとき。  手首を掴まれた。ひどく冷たい手で、体温が通っているのかどうかすら怪しい。 「あぁー、見ぃーつけた」  ニタァーリ……と笑った顔をして、榛が中柴を覗き見ていたのだ。 「な、ん、です、か……」  榛の声色は、中柴を縮こませた。  元々底意地が悪い両親に育てられ、金も権力も振り回して好き勝手に過ごしていた上に、食中毒の一件で人の悪意にはさんざんさらされ、もうなにも怖くないと中柴は思い込んでいた。  だが、彼は圧倒的な暴力というものだけは、未だに浴びたことがなかった。  榛は独特の声色で「アハハ」と笑う。 「ミナトがねぇ、言ってたんだよぉ。多分水槽に下剤を盛ろうとする奴が出てくるから、しばらく見とけってさあ。まさかちっさいのがやってくるとは思ってなかったけどさぁ……勘弁してくんね?」 「な……な……」  ミシミシミシッと音がする。しばらく体育の授業も受けておらず、そもそも腕力自体は強くない中柴では、榛の腕を振りほどくことができなかった。 「な……んで……」  中柴からしてみると、信じられない想いだった。 (あのメガネ……僕がここに来るって読んで……! しかも……聞いてない! こんな男がこの館にいるなんて、聞いてない!)  なんとか腕を振りほどこうとするものの、榛は楽し気に鼻歌を歌うばかりで、振りほどくことができないでいる。 「頑張って頑張ってぇ、頑張って抵抗してぇ。オレねえ。面白い奴はなるべくリアクションを見てたいから、後で殺すために取っとく主義なのぉ」 「……ぼ、くを……殺しても、面白くは」 「うんとねえ、面白くねえ奴はツマンネェから、さっさと殺しておく主義ぃ。そのほうがコスパよくね? 見どころねえし」 「いったい……!」 「頑張れー、頑張れー。あのねえ、みゅみゅは面白いよぉ。人死ぬとき全部違うリアクションするから。だいたいは皆、人死んだときは呆然として表情消えるか、恐怖を覚えないように叫んで気持ちを誤魔化すの。二極化してつっまんねえからさあ。はい、リアクションリアクション」  榛の言っていることは脈絡がない上に、支離滅裂だった。ミシミシと鳴っている音は、だんだんとピシピシという音と共に痛みが伴ってくる。中柴は顔を引きつらせる。 「ほんと、やめ……」  痛さのせいで、だんだん口の端からよだれがとめどなく流れてくるが、拭うことができない。目尻から涙が溢れてくるが、止めることもできない。  それを見て、榛はアヒャアヒャと笑う。 「なんかねえ、アンタ逆にすごいね? こんだけ痛いのにさあ『やめて』ばっかり。ここでいっちども謝罪の言葉出てこないの。すっごいねえ? きっと皆に力振り回してきて、逆に悪くもねえのに謝らせてばっかだったんじゃねえの?」 「……っっ!!」  ビシビシビシッと亀裂の入る音と、パキンッという緩やかな音が響いた。とうとう、中柴の右手首が砕けた。 「いっだあああああああ……!!」  中柴は本当に久々の喉の奥から出る悲鳴を漏らした。それでもなお、榛は笑う。 「少しでも弱い部類に入ってるとねえ、蹴ったり殴ったりすると、謝ってくるんだよねぇ。でもねえ、強い部類に入ってたら、ゼッテエ謝んねえの。だって自分が人に頭を下げる必要なんてねえんだもん。アンタもそうだったんじゃねえの? みーじめみじめぇ」 「な、んで……」 「だってさあ、面白い死に見んのに命かけてんのにさあ、面白い死に様しねえんだったら、生きてても意味ね?」  言っていることが滅茶苦茶だった。  ただ、もう中柴は痛みのせいで、思考をすっかりと削られてしまっている。  榛はひとりでしゃべりながら、ポイッと中柴を床に放り投げた。背中を思いっきり殴打したが、骨が砕ける痛みよりも、不思議と軽いような気がした。  その中、榛は乱暴に中柴を踏みはじめた。バキンッ、ボキンッ、バキンッ、ボキンッ。  聞こえてはいけない音が、ずっと聞こえてくる。 「がーんばれー、がーんばれー、リアクションを取れ、めーざせー」 「ダッ、アァ、ダァアア、アァ」  もう中柴は「痛い」「痛い」「痛い」「痛い」以外に考えることができなくなっていた。  中柴は、いじめの主犯格であった。親の権力を使えば全て揉み消せるために、それを悪いことと思うことは、一度もなかった。  だが。彼は人を下に見る癖のせいで、知らなかったのである。  理不尽な暴力には、理不尽な暴力以外では誰も太刀打ちできないということを。  それについて、とっくの昔に警告を受けていたというのに、それすら馬鹿にして無視していたということを。  彼が下に見ていた真心は、当たり前のものではないということを、彼は死ぬまで気付かなかった。
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