殺人鬼の誘惑と拒絶

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殺人鬼の誘惑と拒絶

 榛はフラリと「飽きたぁ」と言って、エントランスから立ち去ってしまった。  翔太の遺体は、彼氏のものだったから怖がらずに触れることができたものの、ほとんどしゃべったことのない浜松のものでは、美羽は触ることができなかった。  立石は手を合わせた末に、スーツに手をかけ、スーツの内ポケットなどを探った。鍵やら財布やらが出てきた中、電圧のせいで焦げて黒くなった封筒が出てきた。  癒着してしまったそれを、無理矢理破いて中身を検める。 「……【指令書一枚の破棄】か」  その内容で、美羽は内心ほっとした。 (もし主催側の人間が特定前に死んでいたら、こちらだって困ったもの……)  ほっとしたものの、同時に嫌悪感がじわじわと昇って来る。  ニュースで猟奇殺人事件や理不尽な事故で亡くなった人を見て、「可哀想だ」と同情していたというのに、今目の前で死んだ人の死を悼めなくなっている。 (こんなの慣れたら……人間性が終わる)  美羽がそう思っている間に、「失礼します。もうよろしいでしょうか?」と立石はコンシェルジュに声をかけられた。  立石が頷くと、コンシェルジュは持ってきたカートに浜松を荷物のように転げて載せ、そのまま運んで行ってしまった。立石はしばらくそれを見守ってから、ボソリと美羽に声をかけてくる。 「……榛さんをどうこうしようとは、思わないほうがいい」  それに内心美羽はギクリとした。立石は相変わらずの無表情で、運ばれて行った浜松に対しても顔色ひとつ変えていない。榛ほどあからさまに怪しいとわかればいいが、彼に関しては美羽もいまいちわからなかった。  立石は続ける。 「今は自分の指令内容と向き合ったほうがいい」  それだけ言って、立石は出かけて行った。どうも彼は、コンシェルジュが通る道を重点的に、館内をずっとうろうろしている上に、タッチパネルを見てなにやらしているようだった。 (タッチパネル……ここってネットは使えないはずだよね?)  これは彼の知的好奇心の成せる技なのか、指令内容によるものなのかは、いまいちわからなかった。 (信用できそうだったら、手伝ったほうがいいのかな……)  榛のような、とてもじゃないが手伝うことのできない指令内容でなければ、という条件はつくが。  昼食の頃、さっさと立石と石坂は食事を済ませてしまったため、美羽は食べるスピードを上げていた。  その場に残っているのが、美羽と榛だけだったからだ。 (やめて、これと一緒にいたくない……!)  どういう理由で浜松が殺されたのかはわからないが、榛の癇に障って殺されるのだけは勘弁願いたかった。  そう思いながら一生懸命食べていると、朝に全く音沙汰のなかった紅がひょっこりと食堂に顔を出した。 「あらぁ、美羽ちゃん? ありがと、朝ごはん」 「いえ……」 「仕事が夜だからさあ、僕朝は寝てんだよねえ。持ってきてくれたのにごめんねえ」 「はあ……」  それでも食事は平らげられていたため、やけに綺麗な顔つきの紅も、存外に健啖家らしかった。  食事をしつつ、美羽は紅の話を黙って聞く。 「どう? 美羽ちゃん。ここに閉じ込められてさあ、怖いことない?」 「いえ……」 「でも誰が人殺すかって、もう決まってるじゃん。一緒にいるっていうのはどう?」  美羽は紅のペラペラとしゃべるのに、なんとも言えない気分になる。 (ホストって……女子を楽しませるものだと思っていたけど、もしかしてこの人、私を仲間に引き入れようとしている……?)  榛という快楽殺人鬼がいる手前、それ以外の男は軒並みマシには見えてしまっているだけで、翔太ほどまともで優しい男とも思えなかった。  なによりも口先から生まれたような、やけに耳障りのいい言葉は、薄っぺらく聞こえてしまって気味が悪い。  美羽はどうやって彼から距離を取ろうかと考えあぐねている中、「アハハ」と紅とは違う方向で耳障りな声が響いた。  いきなり紅と美羽の間にトレイを持ってきて、その間に座ってしまったのだ。 「楽しそうじゃん。オレも混ぜてぇ?」 「ゲッ……」  その声が紅から漏れたものか、美羽の喉をついて出たものか、はたまたどちらからのものでもあったのか、いまいちわからなかったが。  榛はニコニコと美羽を見てくる。  それに美羽は仰け反る。 「……なんなんですか?」 「え~? ひどいみゅみゅ。嫌そうな顔してたから助けてあげたのにぃ」 「助けてなんて言ってません」 「え~? だいたいのことって『助けて』って言ってるときは手遅れだよね? もうそうなったときは、殴って逃げるしかなくね?」  いちいち耳がざわつく声を上げるし、しかも内容も耳障りだ。紅は一瞬鼻筋に思いっきり皺を寄せたものの、榛に脅えたのか「じゃ、美羽ちゃん考えておいてえ」とだけ言って、早食い競争のような勢いで食事を平らげると、そのまま出て行ってしまった。  せっかくおいしかったイタリアン風のランチも、榛の言動が原因で台無しだと、トマトミートボールをフォークで刺しながら、美羽は榛を睨む。  榛はなにが楽しいのか、アシナガグモのような長い胴を傾けてくる。 「でさあ。みゅみゅ」 「……なんなんですか」 「どんな指令か知んねえけどさあ。オレ、三人になるまでヤんないと駄目なんだよねえ」 「……なんですか、あたしに手伝えとか言うんですか? 嫌です」 「違う違う。逆ぎゃく」  なにが逆なのかと、美羽が半眼で榛を眺める。  そもそも一般的な会話で、人を殺す殺さないが話題に出ることはない。彼女自身もそれに飲まれてしまっていることに、彼女自身は認識できない。  榛はニンマリと月のように細い目をして、美羽を見つめた。 「誰殺して欲しいか、指示ちょうだい? そしたら殺してあげる」 「……なに言ってんですか?」  美羽は榛の正気を疑った。  しかし彼にとっての殺人は、お菓子を食べるようなもの、コーヒーを飲むようなもの、生きていく上で必要なくとも、生きていく上で人生に彩を与えるもののようだった。  だから平気で食事中にも、そんな話ができる。  食事の話をするのと、殺人の話をすること。どちらも彼の嗜好品だからだ。  榛はキャラキャラ笑いながら続ける。 「悪い話じゃないんじゃないのぉ? 指令は人によってバラバラなんだったらさあ、チームプレイって必要じゃない? 妨害工作だってチームプレイのひとつだけど、どーう?」 「……やめてったら、もう!!」  とうとう美羽はコップに入れた水をかけた。どうやってしていたのかわからない、榛のワックスが取れ、前髪から水が滴り落ちてプレートのミートボールに落ちた。 「あんたの趣味にあたしを巻き込むのはやめてください!! 迷惑です!!」  そう言いながら、美羽は自身のトレイをさっさと厨房への返却口に押し込むと、真新しいプレートを手に取った。中柴に持っていく分だ。  それを見て、榛は「どこ行くのぉ?」と間延びした声を上げる。 「中柴くんのご飯だから! こんなところで食べてたら具合が悪くなるから、もう次からはあの子と一緒に食べます!!」  そう叫んで、スタスタと食堂を出て行ったのだった。 **** (どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……)  布団に入ったまま、中柴は三角座りをしていた。  美羽と石坂から食事を持ってきてから、ひと口は食べられたが、それ以降は食べきることができず、結局はダストボックスに全部捨てることとなった。  きっと美羽が親切心でまた持ってくるだろうが、それもまた中柴は食べきることができないだろう。  ここが自宅であったら、親がいない間に台所を漁って食事を済ませうrことができたが、親がトレイに持ってきたご飯も、学校の先生が家庭訪問に来て持ってきた手土産も、中柴は食べられることがなかった。 (でも、ここでずっといても……なにも変わらないけど……でも……無理……)  しゃべったところ、美羽と石坂は感じのいい人物ではあったが、一度たりとも指令の内容を聞かせてもらうことはできなかった。中柴は自分自身の指令内容を見る。 (無理……こんなの……どうしよう……)  三角座りをしたまま、中柴は自身の指令書を見た。 【指令書内容の達成を三人以上妨害すること】  指令内容を聞かないことにはわからないし、容赦なく終わらせる方法はいくつか思いついたが、勇気を出して早朝に出て行ったところを立石に見つかり、怪しまれてしまった。次はもうできないだろう。 (でも……どうする? どうする?)  中柴がひとり思い悩んでいたとき。  扉がコンコンとノックされた。
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