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最終話 幸せな休日 前編
昨晩もたっぷりと愛し合った休日の朝。
俺は目覚めると、いつものように腕の中の壱成を確認して喜びに震え、壁に飾られた婚姻届を見て幸せにひたり、最後に壱成を力強くぎゅっと抱きしめた。俺の毎朝のルーティンだ。
腕の中で壱成がモゾモゾと動き、笑い声が漏れ聞こえる。
「おい。毎朝苦しいって言ってるだろ」
「壱成、おはよっ」
「だから、聞いてるのか?」
「んー? なにー?」
「ったくお前は」
あきれたように笑って顔を上げた壱成に、俺はチュッとキスをした。
「おはよ」
「おはよう。……なあ。もう少し優しく起こしてくれないか?」
「でも、壱成毎朝笑ってんじゃん。幸せだからだろ?」
「これはあきれた笑いだ」
「んー。じゃあチューして起こすのは?」
それを聞いた壱成は考え込んだ。
ぎゅっと抱きしめられて目覚めるのと、チューされて目覚めるのと、どっちがいいかを考え込む壱成が可愛くて叫びたくなる。
「…………チューで起こしてくれ」
桜色の頬で答える壱成に心臓がやられた。やばい……悶絶しそう……。
俺は唇を奪うようにふさいで壱成を組み敷いた。
「……っ、……んぅ……っ」
つい本気で舌を絡めてしまって二人の息が上がる。
「……京…………するか?」
問われた瞬間に息子が反応した。したい。昨晩あんなにしたのに、もうしたい。どれだけ愛し合っても足りない。もっと壱成がほしい。
俺が襲う覚悟を決めたとき、壱成が意地悪な笑みを浮かべた。
「するなら、またドライブは延期だな」
「えっ!」
そうだった。今日は久しぶりのドライブだった。腕が治ってから、家の事やイチャイチャで忙しくずっと家の中だった。
外に出たい。ドライブ行きたい。身体がうずうずしてきた。
そんな俺を見て、壱成が吹き出した。
「よし、準備しよう。愛し合うのはまた夜な?」
「壱成っ、好きっ!」
「ははっ。うん、俺も好きだよ」
最後にチュッとキスをして出かける準備をした。
簡単にトーストで朝食を取り、俺は久しぶりにノブになる。
壱成も俺も引越しをして実質一緒に住むことに成功した。だから腕が治ったあともノブになる必要がなかった。今後はデートのときだけノブになる。
鏡に映る黒髪に黒目の自分を見て、妙に懐かしさを感じた。
前は確実にこの姿で癒しを感じていたはずなのに、いまはなにも感じない。ああ、ノブだな、と鏡を見てただ冷静にそう思った。
「久しぶりだな、ノブ」
壱成が楽しそうに俺を見て、ノブの髪にふれた。
いまはもう壱成が俺の癒しだ。なくてはならない唯一の存在。かけがえのない存在。
「京、メガネは?」
「あ、忘れてた」
ノブになるためのメガネを忘れたのは始めてだった。
壱成があらためてゆっくりと“ノブ”を見つめる。
「なんか、不思議な感じがするな」
「不思議? どんな風に?」
「説明は……難しいが……そうだな。ノブに対して感じていた切なさとか、愛しさとか、京への熱い想いとは別の、淡い気持ちがよみがえる感じというか……」
「え……なにそれ、嫉妬しちゃう」
壱成が一瞬で顔を崩して笑った。
「なんでだよ。どっちもお前だろ」
「そうだけどっ」
「ばーか」
「あ、ひでぇっ」
壱成は笑いながら準備に戻っていく。
俺もあとは時計だけ。休日用の腕時計どこしまったっけ。俺はあちこち引き出しという引き出しを開けて時計を探した。
俺たちの拠点は俺の家にした。
壱成の持ち物のほとんどを運び込み、もう完全に二人の家だ。
壱成の家のほうは、一人暮らし風に維持している。
壱成のお母さんが、ときどき思い出したように顔を見に来るらしい。
本当は俺も会って挨拶したいけどな……。
なかなか時計が見つからない。
次に開けた引き出しの中で、小さな瓶がゴロンと転がる。栄養ドリンクの瓶だった。
なんでこんなところに栄養ドリンク?
不思議に思って手に取った。妙に軽い。よく見ると蓋は一度開けられている。飲み終わった瓶だ。ゴミじゃん。なんでしまってあんの?
俺は首をかしげた。
瓶を戻そうとして、中にクリアファイルに入った見覚えのあるメモ用紙が目に入る。え、これって……。
俺はメモを取り出した。
『たとえセフレのままでも、俺はずっと壱成が好きだ。壱成だけが好きだから』
これは俺が書いた壱成への手紙だ。
この頃、自分の気持ちをとにかく壱成に伝えたくて必死だったことを思い出す。
壱成……こんなメモまで取ってあったんだ。
これを書いたときの切ない気持ちがよみがえって目頭が熱くなる。
このとき壱成はもう俺だってわかってたのかな。だからあんなかたくなにセフレでって言ったんだろうか。
ふと、戻しそこねた栄養ドリンクの瓶を見た。あれ……これってもしかして、俺があげたやつか……?
「き、京……っ」
「あ、壱成」
いつの間にかそばに来ていた壱成が、俺の手から瓶とメモを奪うと引き出しに戻して慌てて閉めた。
「え、壱成?」
「…………な、んで見るんだよ」
「なんでそんな顔真っ赤なの?」
「……うるさい」
これはあれだ。『リングピローでしゅ』が見たくて動画をもらったとバレたとき並に真っ赤だ。
え、なに、そういうこと?
俺との思い出の引き出し、みたいな?
やばい……口元がゆるむ……。
「なぁ、いまのって俺があげた栄養ドリンクだよな? なんでまだあんの?」
もうわかっているのに意地悪で問い詰めた。
「……なんとなくとってあるだけだ」
「えー? 俺があげたやつだからとってあったんだろ? そうだろ? 俺の手紙と一緒に大事にさ?」
「…………っ」
真っ赤な顔で睨みつける壱成。全然怖くない。食べちゃいたいくらい可愛い。
「もしかして、ドリンクあげたときにはもうノブが俺だって気づいてた?」
「…………まだ気づいてない。ただポケットにしまい込んで忘れてたんだ」
そうだよな。知らないから明日も休みだと壱成は嘘をついたんだ。
ん? じゃあなんでまだここにあんの?
首をかしげる俺に、壱成は諦めたように話し出した。
「……次に同じスーツを着たときポケットの瓶に気づいたんだ。そのときにはノブがお前だってわかってたから……なんとなく捨てられなかった。それだけだ」
「あ、そういうことか。え、てかもう瓶の中カビてんじゃね?」
「……ばか。ちゃんと洗ってある」
「えっ」
洗ったの? わざわざ洗ったの?
取っておくためにわざわざ瓶の中を洗う壱成……。可愛すぎね? 可愛すぎだろ……っ。
「もうほんと……どこまで可愛いの……」
たまらなくなって壱成をぎゅっと抱きしめた。
「だから……なんとなく捨てられなかっただけだって」
「うんうん、わかった。ドリンクの瓶が捨てられないくらい俺を愛してるってことだよなっ」
「……っ。もっと……ちゃんと隠せばよかった……」
「えーいいじゃん。俺見つけてよかったっ。手紙もさ。めっちゃ嬉しいっ」
こんなに大切そうに取っておいてくれてたなんて本当に嬉しい。
「……この手紙をもらったときは……俺のことが本当に好きだなんて知らなかったんだ。……だから、わかったあとは宝物になった」
壱成の言葉がよくわからなくて眉が寄る。脳内がぐるぐるした。手紙を渡したときは知らなかった……?
「え? なんで? 俺の気持ち、伝わってなかったのか?」
あんなにずっと好きだって必死で伝えたのに?
だから片想いだなんて言ってたのか……。でもなんで?
抱きしめる腕をゆるめて壱成を見る。
壱成は、気まずそうな表情で俺を見つめた。
「あの頃は……俺は誰かの身代わりだと思ってたんだ……」
「……え、身代わり?」
「ノブは、誰か別に好きな人がいて、俺はその誰かに似ているだけだと……そう思ってたんだ」
「ええっ?」
「好きだと言われるたびに、俺じゃない誰かの存在がチラついて……ずっとつらかった。ずっと嫉妬してた。本当に俺を好きになってくれればいいのにと……ずっと思ってた」
「壱成……」
なぜ何度好きだと伝えても壱成には響かなかったのか。
なぜずっとかたくなにセフレでいようとしていたのか。
いまやっと壱成のすべてを理解できた。そのときの壱成の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうなほど切なくなった。
「だから、ノブがお前だと気づいたとき、本当に幸せだったんだ。最初から俺を見ていたんだって。ずっと俺だけを好きだと言ってくれていたんだって……本当に嬉しかった」
その瞬間、壱成の感情が俺の身体に流れ込むように伝わってきた。そのときの壱成の幸せを、いま一緒に感じることができた気がした。
壱成の言葉を聞いて、ふいに思い出す。
なんか、わかった気がする。壱成がいつ俺だと気づいたのか。
一日一回の質問は、初めて『お前』と呼ばれたときでもなかった時点で、もう降参状態だった。毎日が幸せすぎて、もうわからなくてもいいかなと俺は思い始めていた。
でもいまわかった。やっとわかった。
壱成を抱いたあと、涙を流した壱成に初めて『幸せだ』と伝えられたときだ。あのときはあまりに信じられなくて幻聴かと思った。そうだ、その日からだ。壱成が、会うたびに俺に好きだと伝えてくれるようになったのは。
壱成に確認しなくてももうわかる。あの日からずっと壱成はノブが俺だと知っていたんだ。
やばい……。やばいって。……もうほんと、閉じ込めておきたいくらい壱成が可愛い……っ。
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