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裏の顔
「京、お前相変わらず振り付け覚えんの早いなー」
「いえーいっ、さっすが俺ー」
新曲の振り付け初日。グループの中ではダンスの腕がピカイチの俺は、いつものように早々に振りを覚えた。
「秋人ー。俺もう抜けてい?」
俺たちのグループ、PROUDのリーダーに確認を入れる。
「ん、いいよ。お疲れ。明日は久しぶりのオフだから、ちゃんとゆっくり休めよ」
汗だくのままペットボトルの水を飲み干した秋人が、俺をねぎらうように肩をポンと叩いた。
「お、京帰るのか? お前休みだからって遊び疲れんなよ?」
リュウジが真面目な顔でそんなことを言う。
「はぁ? もー。いっつも遊び疲れてるみたいに言うなよなー。つかそれ俺のセリフだしっ。秋人もリュウジも明日ちゃんと休めよー? 俺よりも休み少ないんだからさっ」
常にセンターの二人は、俺含む他のメンバーとは人気も桁違いで仕事量もずっと多い。
あ、人気が桁違いだから常にセンターだとも言う。
「おお、明日はさすがに一日寝てるわ」
「俺も寝てるかな。でもお前は絶対どっか行くだろ?」
「うん行くよー? だって寝てるほうが疲れるじゃん。ストレス発散が大事っしょっ」
「まあいいけど、ほどほどにな」
「うぃーっす」
二人と他のメンバーにも「お先ーお疲れー」と声をかけてレッスン場を出た。
PROUDでの俺の立ち位置はムードメーカー。
リーダーの秋人はしっかり者、リュウジは兄貴キャラ。そして俺はいつもテンション高めのおもしろキャラ。
PROUDは他にも色濃いメンバーが集まる八人のダンス&ボーカルグループだ。
あー疲れた。しんど……。思わず口からこぼれた。
最近本当に休みが無かったから、俺自身のオフもなかった。
別にキャラを作って無理しているわけではないが、誰にも言えない別の顔を持ってる俺にはそっちに戻る時間が必要で、たまにそうしてオフにしないとしんどくなる。
そろそろ本当に爆発しそうだ。
そんなことを考えながら、着替えを手にシャワー室にこもる。このあと行くところを考えて、念のためいつもよりも丁寧に身体を洗った。
シャワー室を出ると、マネージャーの榊さんが車のキーを手に壁に寄りかかっていた。俺を見て壁から背を離し「帰るか」と歩き出す。
「あれ、今日は榊さんですか?」
「ああ。俺もたまには早く上がりたいんだ。みんな、まだまだ終わらないからな」
「あー、なる」
メンバーが個々で動くとき、榊さんは秋人かリュウジに付くことが多い。俺や他のメンバーは基本サブマネ三人の誰かが付き、榊さんが付くことは珍しい。
センターの二人が一番忙しいから必然的に担当マネージャーも忙しく、榊さんもずっと休み無しだ。
「京、明日はちゃんとゆっくりしろよ」
なんでみんな同じことを言うんだろう。
「榊さんも明日はオフ?」
「ああ。何日ぶりの休みかな」
そう言って、凝り固まった筋肉をほぐすように首を回しながら深いため息をつく。
榊さんは敏腕マネージャーとして常に働き詰めだ。
PROUD結成時からのマネージャーで、コロコロ入れ替わるサブマネとは違う。俺たちはずっと彼のお世話になってきた。俺より十歳上のはずだからもう三十二歳か。
長身の俺とほぼ同じ背丈の榊さんの横顔を眺める。若いな、と思った。そんなに年の差を感じない。
いつも凛々しく隙のない徹底的な仕事ぶりは見惚れるほどカッコイイ。冷たいとさえ思う目つきも、内面の優しさを知ってからはまったく怖くなくなった。それどころか、俺にとってはものすごく魅力的だった。
たぶん俺よりも休みの少ない榊さんが、さっきからため息ばかりついている。
「たまには連休くらいもらわないと割に合わないんじゃないですか?」
俺が心配でそう言うと、なにを言ってるんだ? という顔をされた。
「お前、急に連休になったら不安にならないのか? 人気が無い証拠だぞ?」
「いや、俺たちはねっ! じゃなくて榊さんがですよっ」
芸能人なんてやってると、休みが無いのはありがたいことだと思うようになってくる。人気が出るまでは連休なんて普通だったもんな。
でも榊さんはサブマネと交代してもっと休めばいいのに、いつも俺たちと一緒になって休み無く働くんだ。
「俺だってPROUDの一員だと思って働いてるんだから同じでいいんだよ」
はぁ……ほんと言うことまでカッコイイ。
相変わらず冷たい表情だが、言葉はとてもあたたかかった。
榊さんにマンションまで送ってもらうと、俺は急いで家に駆け込み服を脱ぎ捨て、俺自身をオフにするセットをクローゼットから取り出した。
フリマアプリで手に入れた着古した安物のスーツ。ハーフの母から譲り受けた、ハニーベージュの髪を隠す黒髪のウイッグ。色素の薄い青っぽい緑の瞳を隠す黒のカラコン。最後にシルバーフレームのメガネをかけたら完成だ。
どこからどう見ても仕事帰りの疲れたサラリーマン。この姿になると、やっとホッとして肩の力が抜けた。
いつも明るくムードメーカー的存在なPROUDの俺も本当の俺だ。
でも、どうしても俺にはこの姿になって“広瀬京”から離れたい理由がある。
クローゼットの中から、仕事帰りのリーマンになるための最後のアイテムを取り出した。通勤バッグだ。
最悪見られてもいいように、兄貴の会社のパンフや偽装した書類を入れている。
焦らなくていいように、もし聞かれたときには兄貴と同じ営業マンのフリをする。
中に財布とスマホを突っ込んで、俺はすぐに玄関を飛び出した。
早く……早く開放されたい。“京”から離れたい。
誰にも見られずエレベーターに乗ってしまえば、もうバレる心配もない。俺はこのマンションのどこかに住んでるリーマンになる。
マンションを出て路地を抜け、人通りの多い道路に出る。
行き交う人々が、立ち止まっている俺を邪魔そうな顔で見て避けて行く。誰も俺に気づかない。
ああ……ホッとする。
やっと穏やかに息を吸うことができた。
タクシーを拾って乗り込んだ俺は、行きつけのバーの住所を告げると、ゆっくりとシートに身を沈めた。
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