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一緒に食事に行ってからというもの、今まで疎遠になっていた分を取り戻すかのように、姉との仲が急接近した。
実家にも何度か出向き、姉のひとり暮らしになかなかいい返事をくれない両親を説得した。
颯太からは『新規事業のプロジェクトが難航していて今は時間が取れないけど、落ち着いたら必ず連絡する』というメッセージと、数回着信があった。
最後に会ってから一カ月弱、二週間前に『ちょうど私も忙しいところだから大丈夫』と、一度返信したきり、全く連絡を取っていない。
どう転ぶにしても、一人で生きていくことになっても大丈夫だと、自分に自信を持ってから話しをしたい。その間に、もう自然消滅してしまったのではないか、あの綺麗な子にいってしまったのではないか、という不安が何度も浮かび、余計に私を頑なにさせた。
三回目の説得で、姉にひとり暮らしの許可が下りた。不動産屋に付き合い「あずさの家で検討会をしよう」というので、コンビニでお酒を買って家に向かう。
やっと正社員として働きたいと思える職場を見つけたこと。
もし自分に子どもができたら沢山褒めて育てると心に決めているということ。
そんな話をしながら二人で歩いていると、家の前の街灯の下に、男性のシルエットが見えた。
遠目で顔がはっきり見えなくても、影だけでそれが誰なのかすぐにわかってしまう。
「颯太…?」
私の顔を見るなりこちらに駆け寄ってくる。
「突然ごめん。電話に出てくれないから、会いに来た」
目の前で立ち止まってやっと私が一人ではないことに気が付いたようで、姉の方をちらりと見遣り、ぺこりと頭を下げた。
「お友達でしたか?気付かなくてすみません」
「はじめまして。あずさの姉です」
普段よりワントーン高いよそ行き用のソプラノボイスで、まるで女神さまのような笑顔を颯太に向けてお辞儀をする姉。初対面の人はこの笑顔に心を掴まれる。妹の私でも見惚れてしまうほどだ。
大抵の男性はここで頬を赤らめる。視線が姉から離れなくなる。
好きな人が自分の姉に頬を染める瞬間なんて見たくない。
思わずうつむいてバッグの持ち手を強く握ると、颯太が私の手首を掴んだ。
「はじめまして、紺野颯太と申します。五分でいいので、あずささんと二人にしていただいてもよろしいですか?」
社会人として、また大人の男性として他の人と対峙する颯太を見たのは初めてで、ギュッと心臓が絞られるようにときめいた。
「私は帰るので大丈夫ですよ。絶対に妹のこと傷つけたりしないよう、よろしくお願いしますね」
再びふわりと天使の微笑みを浮かべる姉に、顔色一つ変えずに「はい」と会釈をする彼。
丁度よくタクシーが通りかかり、姉が手を上げて呼び止めた。
車に乗り込む姉に駆け寄り、念のために口止めをする。
「あの…彼のこと、お母さんたちには言わないでおいて」
「わかった」
それよりも…と、内緒話をするように手のひらを口もとに添え体を寄せてくる姉に、私も耳を傾けた。
「私に対して一切頬を染めなかったから、彼は合格よ。恋人の姉を女として意識するような男性は、絶対に賛成できないもの」
いたずらっ子のようにちろりと舌を出した姉を見て、恋人連れで遭遇したときに普段以上に愛想よくほほ笑むのはわざとだったのだと合点がいった。
——お姉ちゃんって、実はシスコンだった…?
タクシーを見送り、少し離れて待っていた颯太を振り返る。神妙な顔つきで私の方を見ていた。
私を射抜くその視線から逃れたくて、颯太の脇を通り玄関の鍵を開ける。
「家の中で話そう?」
振り返って、颯太を招き入れる。
逃げたい。でも、もう逃げられない。
聞きたいことも、聞きたくないことも、きちんと話さないといけない。
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