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お茶かコーヒーどっちがいいかと質問したら、どっちも要らないと言われた。
私はコップ一杯分の水を飲んでから、ローテーブルの脇に正座をした。
「座らないの?」
立ったままの颯太を見上げる。少し痩せたように見える。
彼の唇の隙間から呟かれた言葉は、私が予想していたどれとも違った。
「……おれはもう恋愛対象外になった?だから、連絡くれなかったの?」
私が傷つく覚悟でいたのに、目の前にいる彼のほうが余程傷ついた顔をしていた。
「ちがう、そうじゃない。…あたしが、…振られる覚悟ができなかったの…」
終わりを口にしただけで、ズキンと胸が痛む。
「は…?おれがあずさを振る?ちょっとごめん……意味が分からない」
あの日会ったあの子は、私が颯太の家を訪ねたことを言っていないのだろうか。
だとしたら、私から切り出さないと、話は始まらない。
今まで乗り越えてきたどんな別れ話よりもつらい。
うつむいていると、眼下に颯太の膝が見えた。向かい合う形で、彼も正座をしている。
「この前、あずさの身体がおれに反応しなくなって、余裕のあるふりをしてたけど本当はショックだった。でもおれは、あずさの身体が欲しかったわけじゃない。心が欲しかったんだ。もしまだ少しでも好意があるなら一緒にいたい。身体では繋がれなくてもいいから……」
その言葉に嘘偽りがあるとは思えない。けれど、もやもやは晴れない。
「あたしこの前、颯太に抱かれながら、考え事をしてた…」
「なにを考えてたの?」
「あの日、実は颯太の家に行ったの。そしたら、綺麗な女の子が出てきて…『颯太は誰のことも本気で好きにならない。もう泣かされる人は見たくない』って…。あれって、前に付き合ってた子でしょう?合鍵まで渡したのに、泣かせて別れたの?」
私に攻める権利なんてないのに、静かに詰るような物言いになってしまった。
円満な別れ話なんて難しいのかもしれない。だけど、元カノと完全に切れていない状態で私に告白してくるなんて、それはずるい。
颯太が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてこちらを見ている。そして、首を傾げた。
「おれ、あずさ以外の子を家に入れたことないけど」
「え、だって……じゃああの子は誰?ストーカー!?」
「いや……ちょっと待って」
颯太がスマホを操作する。画面の上でしばらく指を滑らせたあと「もしかして、こいつ?」と、フォルダの写真を私に向けてきた。
颯太の隣に笑って立って、親しそうに腕を絡める女の子。彼の表情といえば、呆れているような、はたまたうんざりしているような、多少迷惑そうではあるが、どう見ても仲のいいカップルだ。
「やっぱり、元カノさんなんじゃ——」
「違う!妹!!よく見て、親も写ってるだろ?」
確かに、よく見ると後ろのほうで母親と思しき人がカメラ目線で笑っている。
「え……いや、でも…じゃあなんで妹さんはあんなこと言ったの?あたしのこと牽制してたんじゃ…」
「それは多分…、えっと…。気を悪くしないで聞いてほしいんだけど…」
気まずそうに颯太が説明を始める。
颯太の大学時代に、告白されて付き合った女の子がいた。その子のバイト先に、偶然にも颯太の妹がいた。
意気投合した二人は仲良くなり、妹はすぐに彼女が自分の兄の交際相手だと気が付いた。
しかし、彼女は妹から颯太の情報を聞きたいがために、また、妹の方も面白そうだからと、二人とも颯太には内緒にしていた。
しばらく付き合っていくうちに、彼女に不満がたまってきた。颯太に対する不満だ。
——連絡するのはいつも私からばかり
——颯太くんから一度も「好き」って言われたことがない
彼女は妹に相談という名の愚痴を延々とこぼした。
兄の恋人ではなく、友人として彼女と仲良くなっていた妹としては、友達を泣かせる颯太が許せない。若干ブラコン気味な妹だとは思っていたが、それが変な方向に熱を待ってしまった。
——どうして自分からデートに誘わないの?
——なんで好きだとか愛してるとか言ってあげないの?
そうやって身内から責められるほどに、彼女への気持ちはますます冷めていく。
もとより「いい人だと思う」という好感以上の感情は抱いていなかった。
——おれは彼女を本気で好きになることはできない。ずっと諦めきれない人がいる
しつこい妹に、思わずそう言い返してしまっていた。
彼女にも正直に話したら「別れたくない」と、泣きながら縋られてしまった。
どう頑張っても、愛してるという感情が湧くことはこの先も絶対にない。相手をひどく傷つけて、ようやく関係を終わらせた。そして、妹から忠告を受けた。
——颯太はもう誰とも付き合わない方がいいよ
思春期ごろから「お兄ちゃん」ではなく、名前を呼び捨てにしてくるようになった生意気な妹だか、こればかりは正論だった。
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