ソプラノサックスは驚いた

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これは……何だ!? 初めにソプラノサックスを見たときにそう思った。 クラリネットのように長く伸びた楽器。 クルン、となってるのが特徴のはずのサックスには程遠い。 クラリネットの色違いと言っても誰にもバレないような楽器だ。 こんなはずじゃなかった。 僕は確かに「サックス」を希望したはずなのに。 今では、そう思っていた自分を叱りたくなる。 あの時もっと吹いていればよかった。 ソプラノサックスは伸びやかな高い音で、たしかにクラリネットとあまり変わらないのだが音の大きさはやはりサックス。 息を入れたときに響く感覚はとても気持ちがいい。 僕はソプラノサックスを分解すると楽器ケースにしまい込んだ。 知らぬ間にその動きがゆっくりになっていた。 「今日でもう、お別れか」 わかっていたはずなのにまだ名残惜しい。 「平松さん、そろそろ……お時間です」 僕はケースの蓋を締めた。ゆっくりとその表面を撫でる。 ケースを抱えた。 こんな寂しい気持ちになるなら楽器なんて始めなければよかった。 そんなことを心の表面だけで繰り返す。 唇を軽く舐めると、声の持ち主、看護師の元へ向かった。 「看護師さん、僕治りますよね」 看護師さんは困ったような顔をした。 わかっている。この病気に治療法はない。 病気の名はフォーカルジストニア。 楽器演奏の動作だけコントロールができなくなる病気だ。 僕は看護師さんについて行きながら、アンブシュアの作れなくなった唇を触る。 そうしているうちに心が次第にまっすぐになってきた。 絶対治ってやる。また吹いてやるからな。 平松と呼ばれた少年は、ソプラノサックスのようにまっすぐした心で誓った。 完
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