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「年を重ねるごとに中々複雑になってしまった慣習さ。きみたちの国はまだそんな風に教え込まれているようだからオレが毎年同じ説明をする羽目になる。というか数百年前に数度手紙を持たせたんだぜ? 捨てられたのか読まれた上での判断なのか、毎年女の子は来る。これは長くなるからおいおい話すよ」  まあ掛けて、とたどり着いた部屋の扉が開けられる。客間だろう、6割方がガラスの壁は温室にいるような自然の温かさを孕み、素朴な風合いのステンドグラスが日を受けてきらきらと光る。古いが繊細な作りの天鵞絨(ビロウド)の椅子は柔らかい。  テーブルの上にはプチフールとクッキー、品の良い茶器が並べられていた。椅子に掛けると、香りの良い紅茶が注がれ差し出される。礼を言うと控えめに頭を下げ、二頭は壁際に控えた。向かいにドラゴン男性が掛ける。 「きみの国から”花嫁”が送られてくる。と言ってもきみたちの印象ではオレへの贄か。でも残念ながらオレたちは雑食でね、然程人肉は望まない。200年前くらいから、送られてくる子は孤児ばかりになったから、いっそ育てようと思ってね。客人として、彼女たちはこれからの生活のための修行を始める。魔法の未熟な子には魔法を、言葉や数字に弱い子には勉学を教える。この渓谷のみんなでな。1年間無事生き抜いた子には餞にオレの加護を与えて卒業となる。  ただ、やっぱり怖いんだろうね。オレたちの牙、爪、魔法に怯え心が折れてしまった子は自殺したり逃げ出してしまう。渓谷から一歩出るともう、味をしめたオーグルたちに喰われてしまうのに」  無事生き抜いた卒業者はざっと50人くらいか、そう言う男性の顔は諦めと寂しさを湛えていた。  ……話が違う。いい方向に話が違うため拍子抜けすると同時に、これはリラックスさせるためのブラフなのではないかという猜疑心により安心と緊張が同時に生まれるという貴重な経験をし、眩暈がした。  リズは本当に孤児? とふいに聞かれる。 「何故そう思われるのです?」 「まず、話し方に気品がある。身のこなしや作法も申し分ない。あと魔法も、隠すのに長けているほどの実力者だ。それに何より、」  言葉を切り、男性が背筋を伸ばす。それでも、ヴェール越しに目が合うのを感じた。 「きみからは、憂いの類がどうにも感じられない」  きっぱりと、そう言った。私はこっそり、細く息を吐く。 「ご明察です。私の父は国王の文官補佐で、孤児たちの暮らす教会の出資者の一人です。私は幼き頃より教会に出入りし、子供たちと共に聖歌を歌い、本を読み聞かせたりしておりました」 「とすると首元のそれはロザリオ?」  男性が私の胸元を指す。  ドレスのデコルテ部、そのレース地を慎ましく盛り上げる輪。襟の内側に潜り込ませているシルバーのチェーンのトップには、確かにロザリオが下がっていたが、取り置いてきた。神の加護を手放したわりにチェーンはつけているなんて、未練がましくて笑えてしまう。 「いいえ。悪魔はロザリオを嫌うでしょう? ……それともつけてきた方が良かったですか?」  揶揄い混じりに問うと彼は苦笑し両手を上げる。私は続ける。 「中でも私を慕い、姉と呼んでくれる子がいるのですが、その子の一番の親友は()の国王第一王女で、顔を合わせる度に彼女とも親しくなり、一緒にお菓子を作ったりもしました。……本来ならば今頃、こうやってあなたと言葉をかわしている少女は、その国王王女の親友の女の子だったわけです」  目を閉じる。”姉さん”、”ねえ様”という鈴のような声たちがひどく懐かしい。 「父が何やら隠し事をしていることに気付いておりました。ある時とうとう牧師様とお話ししているところを押さえ、お二方に問いただしました。大人たちが必死に隠してきた国の秘密。毎年1人づついなくなる子の処遇については、引き取り手が見つかったのだと聞いておりましたから、愕然とし、怒りに打ち震えました。しかも今年の”花嫁”は()の女の子。だから私が身代わりになりました。その子にも王女にも、寂しい思いはさせられませんから……」  私はやっと紅茶に手を伸ばし、ヴェールに潜らせ、口をつける。冷めてしまったそれは、泣く手前特有の熟れた感情をゆっくりと冷やしてくれた。じっと耳を傾けてくれていた彼が静かに口を開く。 「リズは、その子たちのことをとりわけ大事に思っていたんだね」  その子たちが今頃、笑っていてくれたらと思う? ドラゴンが優しく問い掛ける。  今頃、笑っていてくれたら…… 「ええ。二人とも私の可愛い妹分です」  傍らの二頭が静かに微笑んだのを気配で感じた。  さて、きみの処遇を決めなければ、とドラゴン男性が膝を叩く。 「きみが渓谷を出たいというなら止めない。ここでの暮らしを強要しない分きみのこれからにも干渉しない。ただし先程言ったように、ここを一歩出れば悪魔も人間も蛮人ぞろいだろうな。けどきみのレベルなら跳ねのけられるかもな。  きみが次の子の番までここで暮らしてくれると言うなら歓迎しよう。オレたちは、誓ってきみを傷つけない」  私は考えた。すっかり贄としてこの生を終わらせる気で来た身としてはとんだアクシデントである。行き所を失い戸惑う心を宥めながら思いに沈む。  傍に佇む二頭に目を向ける。彼らの壁一枚隔てた向こう側には、大小様々な魔の気配が点在している。家に憑く妖精か、住処を見つけあぐねている妖魔が一緒に住んでいるのだろうと思われた。  次に目の前のドラゴン男性を見つめた。私を変に引き止めるのはきっとこの竜だ。端正な顔に時折滲む寂し気で切な気な表情。数百年、誤解を解く術を見つけられず、花嫁たちを持て余す渓谷の主の人間じみた表情。幼い頃より伝え聞き、読み込んできた文章にヒビが入りかける。一体何が正しいのだろう……  それに、私がこの地を去ったところで抜本的な解決にはならないのだ。1年後にはまた誰かがこの地へやってくる。  ならば、それまでに私が見極めてやろうではないか。見えないものを見るのは私の得意分野だ。 「分かりました。いいですよ。まず1年あなた方と暮らしてみても」  決まりだな、と、ドラゴン男性の顔が喜悦の色に染まる。  彼らと暮らしを共にする以上、私も忠誠を示さねば。私は化粧ポーチから丸い缶を取り出し彼に差し出す。 「”エンペラー”が入っております。暗器は取り上げられれば終わり、息の根を止めるより、より確実に蓄積する毒をという判断の元選びました」 「心中する気だったか」  彼は苦笑し受け取った。この短い説明でどのような物か把握したのだろう。聡い方である。  さて、これで私は丸腰である。それが解っているから誰も侮蔑の声をあげない。 「じゃあ話もまとまったことだし、そろそろそのヴェールの下のお顔を見せてくれよ」  テーブルの端に缶を置き、彼は私に向き直った。  すっかり外すタイミングを失っていたヴェールは今だ私の顔面を覆っている。その内側の私はまだ怖がっている。が、このままでは埒が明かない。怖がりな私を叱咤し、ええいと椅子から立ち上がる。彼に向き直る。 「どうぞ」  私の行動にちょっと驚いたように瞬きをし、次にはにこりとして立ちあがった。私と向かい合う。 「上げるよ」  彼の大きな手がヴェールにかけられる。緊張。お願い私の表情筋、どうか自然でいて……  ヴェールがすっかり上げられ、顔の表面を空気が撫でる。目の前の彼が息を飲むのを肌で感じた。 ――  息を飲んだ。ヴェールの下から現れたかんばせに見入ってしまう。  大きな目、すぐに伏せられたそれの際で長い睫毛が光を弾く。その僅かな瞬間オレを射抜いた瞳はアクアマリン色。なめらかな白い肌、あどけなさが残る太い眉、ふくりとした小さな唇は花の色。そして小ぶりな鼻の周りに散らばるのは星粒だった。そんな愛らしいものが一挙に集まり、リズという人間の可憐なかんばせを創り上げていたのだった。  どうしよう、  可愛い。  ムロウとメイが訝し気にオレを見ているのを感じる。何をしている次のアクションをと。分かっているのだがしかし、ゴルゴーンの眼差しもかくやというほどに(実際はそんな邪悪さのかけらもないのだが)固まってしまったのだ。本当に可愛い。ただでさえ可愛らしいそのかんばせは現在化粧を施されキラキラと輝いている。リップはあまり色を主張しないよう薄いローズピンク、チークもあまり乗せていない。ならばこの薄桃色は自前なのだろうか? 気付いてしまったらもう止まらない。アクアマリンを隠す瞼にはピンクトルマリンとシェルピンクの柔らかなグラデーション、縁取りには金糸雀(カナリア)の差し色。睫毛は髪と同じ色で…… 「あの……?」  とうとう声をかけられてしまった。 ―― 「す、すまない! その、不躾に見入ってしまって……」  彼が弾かれたように手を離す。  仰天した。彼の顔は失意も落胆の色ものせておらず、真っ赤に染まった可愛らしい顔をしていたからだ。一体どうして? そんな可憐な表情を自分に向けられる理由が純粋に分からない私は率直に問う。もごもごと言い淀む竜をじっと射抜くと観念したように「きみがあまりに可憐で可愛らしいから、見惚れてしまった……」と小さな声で囁かれた。  ……可愛らしい? その衝撃は最早雷のそれだった。だって私は昔から、 「我が国、というか人間の美的感覚では、顔に一点の陰りものせていない顔が美人で、ほくろのある子や私のようなそばかす持ちは専ら恋の対象外とされるのですが……?」  つい言ってしまった。  そう、これがため以前お見合いの話を白紙に戻されたことがある。相手は隣町の宰相の息子で名のある剣士だった。本来乗り気でなかったお見合いが、初めてでこんな結果に沈んでしまったら自分の容姿に自信なんてなくなってしまうのも必然というもので。 「そばかすぅ!? 何て無粋な名だ」  だから彼の反応にドキリとしてしまう。何でこんなに怒ってくれているのか…… 「オレは一目見て、星粒だと思ったのに」  え、と声が漏れる。  星粒。そんな風になんて考えたこともなかった。  星粒、か…… 「リズは綺麗だよ。そんなことが分からず放っておくなんて人間の男はバカだな」  彼は眉をひそめ、何だかむくれていて、明らかに拗ねている。出会ったばかりなのに何でそんなに怒ってくれるのだろう? 嬉しくて、またその横顔が何とも愛らしくて手を伸ばした。 「私なぞのために怒ってくださって、ありがとうございます」  背伸びして、感謝と親愛を込めて彼の秀でた額にキスを送ると、「ひゃぁあ!」と妙な声を上げてその場に崩れ落ちてしまった。そんなに驚かせてしまったのか、蒼い鱗に覆われた尻尾が顔を出している。指摘すると気まずそうな表情を浮かべ、背後に隠すように動かした。可愛い。 「ねえスピカ様。私、つい先ほどまであなたのことを、凛然とした美しい方だと思っていましたが、今はあなたのことを可愛らしく思いますよ」 「か、可愛、、、?! え……ていうか”スピカ”って、」 「あなたの御名です。美しい瑠璃色の瞳はラピスラズリか星空のようです。好きな呼び名を、ということでしたので、今決めました」  これから1年間よろしくお願いします、スピカ様、とお辞儀する。彼――スピカ竜は何とも言えない表情のまま、ヨロシク……と返してくれた。  と、横手から、くふくふと控えめな笑い声が聞こえる。あの二頭の悪魔が揃って笑っていた。 「いやいや、今年の方は本当に」 「中々見込みのあるお嬢さんだわ」  かくして私は、本日初めて二頭の声を聞いたのだった。
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