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今,なんて?
脳が処理できず、うまく言葉が出ない。
本が落ちたことに気づき、慌てて拾う。
「あっあっ!ご、ご、ご、ごめん!!神の本を!!!」
「神?」
私は埃をはらってから、深々と頭を下げて小川さんに本を渡した。
「いや、いいけど……てか、神って何」
小川さんが噴き出す。
うっかり口にした言葉に、私は「もう隠せない」と観念した。というより、伝えたくなってしまった。日頃の感謝の言葉を,神に。
「ごめん…… 、ファンです」
言って,泣きそうになった。
そう言わずにはいられなかった。
隠れ腐女子として生きている私にとって、SNSで供給をくれる方々は神でしかないのだ。
「え、私のこと知ってんの?」
小川さんの質問に、激しく頭を振って頷く。
「SNS、フォローさせてもらってます」
「ちょ,マジか!」
「今ハマってるカプの、その前の前のジャンルからフォローしてます……絵が好きすぎて」
「マジ笑うんだけど!」
小川さんはそう言って笑った。
彼女のアカウントは、フォロワー数が一万は余裕で超えている。それでも、リアルで近くにファンがいたというのは、なかなかない体験なのだろうか。
ちらりと、小川さんの机の横にある鞄を見た。
じゃらじゃらと、アニメグッズがたくさんついている。
私には決してできない。オタクであることすら隠している私には、こんな「アイアムオタク」と主張するようなことは,絶対にできないのだ。
小川さんは、どうやらオタクであることも、腐女子であることも隠していないようだ。
そうでなければ、教室で自分の同人誌など見せられるはずがない。
「小川さん……なんでわかったの?私も腐ってるって」
「いや、もう勘というか、匂いというか」
「匂いって」
笑いつつも、恥ずかしくなって思わず顔を覆った。
ちゃんと隠し通せてると思っていたのに、わかる人にはわかってしまうのか。
「麻生さん、もしかして隠してたりする?腐女子なこと」
その言葉に、ぎくりとする。
「やっぱり。さっき、土田がいる時はなんか反応違かったから」
「それは……ユカには、私が腐女子だって言えなくて。ユカは腐女子じゃないから……」
「マジか!えー、よく隠してるね?あんだけべったり、四六時中一緒にいて」
小川さんが驚いて言う。
「なんで隠してんの?土田なら良くない?オタクはオタクだし。さっきだって、私の本見ても何も言わなかったし」
そうなのだ。
ユカは腐女子を軽蔑したりなんてしない。それは、長い付き合いからも十分にわかっている。
けれど、それでも、言えない。
ここまで何年も隠してきてしまったから。今更こんな一面を見せたら、ユカはどう思うだろう。そう思ったら,なかなか言い出せなかった。小川さんみたいに、最初から堂々としていればよかったのだけれど。
「ユカは、絶対腐女子じゃないじゃん」
私の言葉に、小川さんが深く頷く。
「ないな。匂いでわかる。さっきも、カプ名を全く理解できてなかったし。漫画やアニメはめちゃくちゃ見てるけど、そういう趣味はないんだよな、アイツ。話しててわかる」
「そうなの。だから、私だけ腐った話をするのが申し訳なくて……言い出せないの」
「あーー……なんか、ちょっとわかるかも。なんつーか… 綺麗なんだよな、アイツ」
綺麗。
その言葉が、すとんと私の中に落ちて、根付く。
ずっと私も思っていたことが,言語化されたというスッキリ感。
そうだ。ユカはとても綺麗なのだ。オタクとして。
純粋に作品を楽しみ、内容を受け取り,展開に心躍らせている。少女の頃のまま、ピュアな視点を失っていない。
私も昔はそうだった。けれどもう、目覚めてしまった日から、腐っていない見方がわからなくなってしまった。
ユカと話していると、自分が汚れてしまったような気になるのだ。
ユカは例え、私が腐女子だとわかっても軽蔑はしないだろう。けれど、その後に「この二人が好きなの?」「この二人で妄想してるの?」など、純粋に質問されることを考えると、死にたくなる。
そういう目で見ていない人に、自分がいかに腐った目で見ているのかを語るなんて、できない。「え?どうして二人が恋人だなんて思ったの?」とか言われたら,死んでしまう。しかも、一番の親友に。
「ねえ、SMの話しようよ、せっかくなんだからさ」
小川さんに話しかけられ、ハッと顔を上げた。私はしどろもどろしながら話し始めた。
「麻生さんは,どのシーンが一番好き?どうしてSMにハマったの?SとM、ぶっちゃけどっちが好き??」
小川さんが、ぐいぐいと質問攻めしてくる。
「えっと、あの、S……Mがいいなと,思ったのは」
腐女子全開の話をしたことがない私は、カプ名を口にすることすら恥ずかしくなってしまった。けれど,口に出してみて、すごく嬉しくなった。
好きなものを言葉にできるって,すごく嬉しいことなのだと知った。
「3巻で、二人が初めて共闘した時に,すごいドキドキしちゃって」
「わかるー!あそこ、最高にエモいよね!」
「そ、それから、その後Mがお礼を言おうとして結局言えなかった描写もたまらなくて……!」
「わかるー!!!」
小川さんとはさっきはじめて話したばかりだというのに、次第にテンションが上がり、話が止まらなくなった。
ずっと一人で妄想ばかりしていて、誰かと語ったことなんてなかった。ネットやSNSでも見る専で、なんだか怖くて、誰かと交流することなんてできなかった。
楽しい。楽しすぎる。
好きなカップリングの話ができるって、腐った話ができるって、こんなに楽しいんだ。
思わず泣きそうになった。
その時、廊下から足音が聞こえた。
私は思わず、小川さんの話を遮るように言った。
「小川さん、あの……!」
私の慌てふためいた顔を見て、小川さんが話すのをやめた。と同時に、教室のドアが勢いよく開いた。
「いやーごめんごめん、なんかお腹痛くなっちゃってさ〜、遅くなっちゃった」
ユカが、笑いながら教室に入ってきた。
「おかえりーー
小川さんが何事もなかったかのように言った。一瞬だけ、私に目配せをした気がした。
(もしかして、私がユカには隠してるって言ったから、気を回してくれたのだろうか)
私は心の中で小川さんに手を合わせた。神絵師なだけでなく、空気まで読んでくれるなんて……。
本当に、感謝しかない。
(でも……もっと話したかったなぁ)
ユカが戻ってきてガッカリしてしまった自分に気付き、そんなことを思う自分に落ち込んだ。
(ユカ、私と小川さんの会話,聞こえてなかったよね)
そう思い少し緊張したものの、ユカは何も言ってこなかったので安堵した。そのことがまた、ユカに隠し事をしているようで、落ち込んでしまった。
その日の夜。
日課となるSNS徘徊をし、小川さんのアカウントをいつものように見に行った。
小川さんは今日も「落書き」と称して、全く落書きとは思えないレベルの高いイラストをあげていた。その絵をじっくりと眺めていた,その時だった。
小川さんのアカウントから、ダイレクトメールが届いた。
「え……小川さん!?」
慌ててメールを開く。内容を,口に出して読み上げた。
「今日はありがと。SMのこと話し足りなかったから、連絡しちゃった……」
小川さんの方から連絡をくれた。
私は嬉しくなって、すぐに「こちらこそ!」と返信をした。小川さんからも、すぐに返信が来た。
それから明け方近くまで、SMというカップリングの良さについて、メッセージのやり取りで語り明かした。
小川さんとのやり取りを終えてからも,興奮してなかなか眠ることができなかった。
はじめて、本当の自分をさらけ出して話すことができた。楽しくて嬉しくて、思い出してもニヤニヤしてしまう。
でもーー。
一抹の不安がよぎる。
(ユカに、どう思われるだろうか)
小川さんと急に仲良くなったことを,不思議がられるかもしれない。
(その時は、なんて答えよう。小川さんは私が隠してることを理解してくれてるから、きっとユカには言わないでくれるだろうけど……)
ユカからもラインにメッセージが来ていることにきづいた。けれど,なんとなく開くことができなかった。
楽しい気持ちとは裏腹に、もやもやが心に溜まっていく。
ユカに隠し事なんかしたくないのに。
本当は、ユカにも言いたい。
私は腐女子なんだって。
そう思い、深いため息を吐いて眠りについた。
続
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