第二話 現在

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今,なんて?  脳が処理できず、うまく言葉が出ない。  本が落ちたことに気づき、慌てて拾う。 「あっあっ!ご、ご、ご、ごめん!!神の本を!!!」 「神?」  私は埃をはらってから、深々と頭を下げて小川さんに本を渡した。 「いや、いいけど……てか、神って何」  小川さんが噴き出す。  うっかり口にした言葉に、私は「もう隠せない」と観念した。というより、伝えたくなってしまった。日頃の感謝の言葉を,神に。 「ごめん…… 、ファンです」  言って,泣きそうになった。  そう言わずにはいられなかった。  隠れ腐女子として生きている私にとって、SNSで供給をくれる方々は神でしかないのだ。 「え、私のこと知ってんの?」  小川さんの質問に、激しく頭を振って頷く。 「SNS、フォローさせてもらってます」 「ちょ,マジか!」  「今ハマってるカプの、その前の前のジャンルからフォローしてます……絵が好きすぎて」 「マジ笑うんだけど!」  小川さんはそう言って笑った。  彼女のアカウントは、フォロワー数が一万は余裕で超えている。それでも、リアルで近くにファンがいたというのは、なかなかない体験なのだろうか。  ちらりと、小川さんの机の横にある鞄を見た。  じゃらじゃらと、アニメグッズがたくさんついている。  私には決してできない。オタクであることすら隠している私には、こんな「アイアムオタク」と主張するようなことは,絶対にできないのだ。  小川さんは、どうやらオタクであることも、腐女子であることも隠していないようだ。  そうでなければ、教室で自分の同人誌など見せられるはずがない。 「小川さん……なんでわかったの?私も腐ってるって」 「いや、もう勘というか、匂いというか」 「匂いって」  笑いつつも、恥ずかしくなって思わず顔を覆った。  ちゃんと隠し通せてると思っていたのに、わかる人にはわかってしまうのか。 「麻生さん、もしかして隠してたりする?腐女子なこと」  その言葉に、ぎくりとする。 「やっぱり。さっき、土田がいる時はなんか反応違かったから」 「それは……ユカには、私が腐女子だって言えなくて。ユカは腐女子じゃないから……」 「マジか!えー、よく隠してるね?あんだけべったり、四六時中一緒にいて」  小川さんが驚いて言う。 「なんで隠してんの?土田なら良くない?オタクはオタクだし。さっきだって、私の本見ても何も言わなかったし」  そうなのだ。  ユカは腐女子を軽蔑したりなんてしない。それは、長い付き合いからも十分にわかっている。    けれど、それでも、言えない。  ここまで何年も隠してきてしまったから。今更こんな一面を見せたら、ユカはどう思うだろう。そう思ったら,なかなか言い出せなかった。小川さんみたいに、最初から堂々としていればよかったのだけれど。 「ユカは、絶対腐女子じゃないじゃん」  私の言葉に、小川さんが深く頷く。 「ないな。匂いでわかる。さっきも、カプ名を全く理解できてなかったし。漫画やアニメはめちゃくちゃ見てるけど、そういう趣味はないんだよな、アイツ。話しててわかる」 「そうなの。だから、私だけ腐った話をするのが申し訳なくて……言い出せないの」 「あーー……なんか、ちょっとわかるかも。なんつーか… 綺麗なんだよな、アイツ」  綺麗。  その言葉が、すとんと私の中に落ちて、根付く。  ずっと私も思っていたことが,言語化されたというスッキリ感。  そうだ。ユカはとても綺麗なのだ。オタクとして。  純粋に作品を楽しみ、内容を受け取り,展開に心躍らせている。少女の頃のまま、ピュアな視点を失っていない。  私も昔はそうだった。けれどもう、目覚めてしまった日から、腐っていない見方がわからなくなってしまった。  ユカと話していると、自分が汚れてしまったような気になるのだ。  ユカは例え、私が腐女子だとわかっても軽蔑はしないだろう。けれど、その後に「この二人が好きなの?」「この二人で妄想してるの?」など、純粋に質問されることを考えると、死にたくなる。  そういう目で見ていない人に、自分がいかに腐った目で見ているのかを語るなんて、できない。「え?どうして二人が恋人だなんて思ったの?」とか言われたら,死んでしまう。しかも、一番の親友に。 「ねえ、SMの話しようよ、せっかくなんだからさ」  小川さんに話しかけられ、ハッと顔を上げた。私はしどろもどろしながら話し始めた。 「麻生さんは,どのシーンが一番好き?どうしてSMにハマったの?SとM、ぶっちゃけどっちが好き??」  小川さんが、ぐいぐいと質問攻めしてくる。 「えっと、あの、S……Mがいいなと,思ったのは」  腐女子全開の話をしたことがない私は、カプ名を口にすることすら恥ずかしくなってしまった。けれど,口に出してみて、すごく嬉しくなった。  好きなものを言葉にできるって,すごく嬉しいことなのだと知った。 「3巻で、二人が初めて共闘した時に,すごいドキドキしちゃって」 「わかるー!あそこ、最高にエモいよね!」 「そ、それから、その後Mがお礼を言おうとして結局言えなかった描写もたまらなくて……!」 「わかるー!!!」  小川さんとはさっきはじめて話したばかりだというのに、次第にテンションが上がり、話が止まらなくなった。  ずっと一人で妄想ばかりしていて、誰かと語ったことなんてなかった。ネットやSNSでも見る専で、なんだか怖くて、誰かと交流することなんてできなかった。  楽しい。楽しすぎる。  好きなカップリングの話ができるって、腐った話ができるって、こんなに楽しいんだ。  思わず泣きそうになった。  その時、廊下から足音が聞こえた。  私は思わず、小川さんの話を遮るように言った。 「小川さん、あの……!」  私の慌てふためいた顔を見て、小川さんが話すのをやめた。と同時に、教室のドアが勢いよく開いた。 「いやーごめんごめん、なんかお腹痛くなっちゃってさ〜、遅くなっちゃった」  ユカが、笑いながら教室に入ってきた。 「おかえりーー  小川さんが何事もなかったかのように言った。一瞬だけ、私に目配せをした気がした。 (もしかして、私がユカには隠してるって言ったから、気を回してくれたのだろうか)  私は心の中で小川さんに手を合わせた。神絵師なだけでなく、空気まで読んでくれるなんて……。  本当に、感謝しかない。 (でも……もっと話したかったなぁ)  ユカが戻ってきてガッカリしてしまった自分に気付き、そんなことを思う自分に落ち込んだ。 (ユカ、私と小川さんの会話,聞こえてなかったよね)  そう思い少し緊張したものの、ユカは何も言ってこなかったので安堵した。そのことがまた、ユカに隠し事をしているようで、落ち込んでしまった。  その日の夜。  日課となるSNS徘徊をし、小川さんのアカウントをいつものように見に行った。  小川さんは今日も「落書き」と称して、全く落書きとは思えないレベルの高いイラストをあげていた。その絵をじっくりと眺めていた,その時だった。  小川さんのアカウントから、ダイレクトメールが届いた。 「え……小川さん!?」  慌ててメールを開く。内容を,口に出して読み上げた。 「今日はありがと。SMのこと話し足りなかったから、連絡しちゃった……」  小川さんの方から連絡をくれた。  私は嬉しくなって、すぐに「こちらこそ!」と返信をした。小川さんからも、すぐに返信が来た。  それから明け方近くまで、SMというカップリングの良さについて、メッセージのやり取りで語り明かした。  小川さんとのやり取りを終えてからも,興奮してなかなか眠ることができなかった。  はじめて、本当の自分をさらけ出して話すことができた。楽しくて嬉しくて、思い出してもニヤニヤしてしまう。 でもーー。 一抹の不安がよぎる。 (ユカに、どう思われるだろうか)  小川さんと急に仲良くなったことを,不思議がられるかもしれない。 (その時は、なんて答えよう。小川さんは私が隠してることを理解してくれてるから、きっとユカには言わないでくれるだろうけど……)  ユカからもラインにメッセージが来ていることにきづいた。けれど,なんとなく開くことができなかった。  楽しい気持ちとは裏腹に、もやもやが心に溜まっていく。  ユカに隠し事なんかしたくないのに。    本当は、ユカにも言いたい。  私は腐女子なんだって。  そう思い、深いため息を吐いて眠りについた。  続
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