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たまごのなかが傷だらけ
南極の厳しい寒さの中。
ペンギンたちはたまごを産む。
ペンギンはつがいで基本相手が変わることはない。
たまごを産んだ母親はそのまま夫に卵を託す。
夫は自分の足の上にたまごを乗せ、たっぷりとしたおなかの毛皮をそっとたまごの上に被せて吹き付ける猛吹雪から卵を守る。
たまごを産んだお母さんペンギンたちは海岸までの長い長い道のりを一列で歩いて、海に出る。
冷たい海にためらいなく飛び込み、思う存分オキアミを食べる。何度も何度も食べる。
お腹がいっぱいになるまで食べると今度はたまごを温めている夫の元に戻っていく。その間1週間以上。夫は身動きせず、夫のペンギン同士で固まって風をよけ、妻が帰ってくるとまずはたまごを妻に預ける。
妻は夫に代わり足の上になまごを乗せ、たっぷりとしたおなかの毛皮をたまごに被せ夫のぬくもりが消えないうちに大急ぎでたまごを温める。
海岸までの道のりでアザラシに襲われたり、体が弱ったりして帰ってこられない妻がいる場合、夫はたまごを温め続けて餓死する。ゆえにそのたまごも死んでしまう。
妻が無事に帰ってきたら、今度は夫たちが遠い海を目指し、エサを食べに行く番だ。妻たちと同じように海にたどり着き、エサを食べて戻ってくると妻の元に帰り、またたまごを交代して温める。
妻のぬくもりが消えないうちに夫は足の上にたまごを乗せおなかの毛皮を被せる。
妻たちはまた遠い海に行く。今度は様子が少し違う。
前回はすべて消化してたっぷりと食べて帰ってきたが、今回は更にお腹いっぱいにオキアミを貯めて帰る。
夫の元に着くとたまごからひなが孵っている。
長い時間をかけて妻たちがご飯を食べに行っている間に卵には変化が起きてくる。
コツコツと中からたまごをつつく音がする。ひびが入る。
何とか厚い殻にひびを入れ、ひなのくちばしが見えてくる。
やがて一生懸命自分で殻を割った、愛おしい自分の子供がたまごから出てくる。
しかし、ひなもたまごと同じようにお父さんになったペンギンの足の上に乗り、お父さんのおなかの毛皮で包まれて凍えてしまわないように過ごす。
やっと妻が帰ってくると、お父さんは妻にひなを預ける前に自分の足の上にのせたまま、ひなをお母さんに見せる。ひなは口を開けたお母さんの喉の奥をつつく。
ひなたちはお腹を空かせていて、お母さんの喉の奥をつつくとお母さんはその反射でお腹からオキアミを吐き出す。そのオキアミをひなはガツガツと食べる。
ひなの食事が終ったら今度はお父さんたちが代わりに餌を食べに行く。そして、ひなの分もおなかに貯めて帰ってくる。そうやって、ひなが自分で餌をとれるまでおなかに貯めたご飯でひなたちは育ってゆくのだ。
おかあさんになったペンギンたちはひなを守るように背中に極寒の吹雪を受けながら、真ん中を向いてなるべくひなが凍えないように夫の帰りを待つ。
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さて、私はここまで書いたお話を「いぬいとみこ」さん著の「長い長いペンギンの話」で読んだ。
もちろん、文章は私が読んだ後の感想や、覚えている内容が入っているので間違えていたり長くなっていたり、自分の考えが入っていると思う。
この本は小学校2年生で母から誕生日プレゼントで貰ったものだ。
本を誕生日に買って貰うこと等初めてだったので、純粋にうれしかった。
本は小学校3年生にならないと先生が図書館から選んでクラスに持ってきてくれる学級文庫しかなかった。家にある本はすべて読んでしまっていたので、本が好きな私はとても嬉しかった。
この本の中には他に双子のペンギンの赤ちゃんの冒険話なども入っている。でも私はこの冒頭の、遠い海へ寒い中をご飯を食べに行くだけでも大変なのに、吹雪の中でじっとたまごを抱いて耐えている親ペンギンの愛情が一番頭に残っている。
夫婦にとってたったひとつのたまごをこんなに大切に抱いて雛を孵す。
本を読み終わった後で、私の中から本を貰った時の嬉しさを、極寒の冷たい風が吹き飛ばすように嬉しさが消えていった。
私はお母さんたちにとってこんな大切なたまごではない。
そんな風に思った。
小学校2年生の私が分かるほど、我が家の父と母は仲が悪かった。
そんな自分たち夫婦なのに、このお話を渡しにプレゼントしてくれるなんて、このお話を選んだ母は話の内容までは把握していなかったのだろうなと思った。
もし話の内容を知っていたら恥かしくて私にこの本を選ぶことはしなかったと感じてしまったから。
母は本をプレゼントにすると言う自分の考えに酔っていたのだろう。
そういう人だった。自分が一番なのだ。『子供の誕生日に本をプレゼントする母親』という自分に酔っていたのだ。
それを店員さん達が
「本をプレゼントするなんてなかなか考え付かない。」
などと褒めてくれることが嬉しかったのだと思う。
わたしはきっと可愛くない子供だったことだろう。
長い長いペンギンの話も、途中から始まる双子のペンギンが主人公になって遊ぶ話を読めたのは最初の話を読んで、自分や母にがっかりしてから2年ほど経ってからだった。
最初の章を読んだあと、その本はしばらくわたしから少し離れた本棚にしまわれたままになった。
母は、目ざとくそれを見つけ
「せっかく買ってあげたのに読まないの?」
と、きつい口調で聞いてきた。尚更読みたくなくなる。
ようやく続きを読んだのは、姉が中学校に入ってしまい自分の時間が空いてしまったからだ。続きはとても楽しい物語だった。ドキドキ感ありな冒険もので、子供心をくすぐるとても面白いお話だった。
今になって思えば、産んでもらっただけで感謝なのだろう。
長女の姉の時には第一子だったので皆、喜んだそうだ。
でも、時代的に店の跡取りが欲しくて、男の子が欲しくて子供を産んだだけ。
母のおなかが大きかったので男の子が生まれるものだと誰も疑っていなかった。
女の子の私が生まれて、家族中ががっかりして私の名前を誰もつけてくれなかったと言う話を何度も聞かされている。
2週間の届け出のぎりぎりにお祖父ちゃんが考えてつけてくれたそうだ。私はいらない子供だったのだと思わせるのには十分だった。
人格ができる前のたまごの間に、たまごの殻を割る前に、たまごの内側がとても傷ついてしまって、私はひねくれた子供としてたまごの殻を割って生きてきた。
できれば、人格ができるまでのこども。まだたまごでいられる間の子供の耳にはあまり子供を傷つけることは、本人の前では言わないでほしいと思う。
聞いていない様でも、こどもはきちんと理解しているのだから。
【了】
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