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20.収穫前のパイナップル
和貴のCDはよく売れて、音楽雑誌のインタビューなども受けるようになっていた。『スナック・沙絵』で、白いShigeru Kawaiをバックに3人が並び、ぎこちなく答える様子が掲載されると、予約の電話が鳴り止まなくなった。
だが、黎明期のお客様を大切にしたい俺は、常連さん枠を作り、比較的予約の少なめな日は常連さんとご紹介の方優先にして、グループやご新規様とは分けることにした。暫くは空振りして閑古鳥が鳴く日もあったが、常連さんの方でもそのやり方を喜んでくれて、決まった曜日に来てくださるようになっていた。そうすると、こちらもステージの予定が組みやすく、ニーズにあったプログラムを提供したり、新しい試みに挑戦したりもできた。
「ボックス2番、ナポリタン3つ、上がりました」
「カウンター7番、ポテトフライと和風パスタね。カウンター5番のナッツと6番のポッキーは俺がセットする」
「お願いします」
今日は女性客がメインの癒しデーだ。笠松の曲を中心に、キャンドルを焚いてヒーリング・ミュージックを中心にステージを組んでいた。最近の傾向では、最初のステージが終わるとフードのオーダーが増える。政さんは厨房で鍋を振り続け、俺が乾き物と飲み物を担当しても、まだ足りない。
もうダメか……とその時、お客さんとの同伴でやってきた金太郎ママが、惨状を見てすぐさま厨房に入ってくれた。
「政ちゃんは焼き物と仕上げ、フライヤーと材料カットは私が入るわ」
7時から8時までの、おかしくなりそうなフードラッシュを何とか乗り越え、政さんと俺はカウンターにもたれるようにして水を飲んだ。
「ごめんね、金太郎ママ。お礼とお詫びにさ、シャンソン、歌ってよ」
ボックス席でご新規の同伴さんと談笑しているママにそう言うと、
「あらやだ、どうしましょう」
と言いながら、例のごとくさっさとマイクを準備し始めた。
若い女性客達はフードを頬張りながら、まっキラキンのドレスに巨体を包んだママの行動に釘付けである。
「但し、今日は癒しだから、静かめな曲で」
俺はシャンソン用の譜面を引っ張り出し、幾つかピックアップした。
「さくらんぼから、いくわよ」
さくらんぼの実る頃
Quand nous chanterons le temps des cerises
カン ヌー シャントゥロン ル タン デ スリーズ
Et gai rossignol et merle moqueur
エ ゲ ロスィニョル エ メルル モクール
Seront tous en fête !
スロン トゥーサン フェットゥ ……
フランス語で紡がれる歌が、照明を落とした今日の『スナック・沙絵』に心地よく響く。
誰もが食事の手を止めて、金太郎ママの甘やかな声に浸っていた。
「ありがとう、ママ。本当に助かったよ。相変わらず歌も素敵だった」
「何言ってんの、アンタのピアノで歌うのが私の1番の楽しみなのよ」
同伴のご新規さんはママの歌に涙し、感激しきりで一緒に帰っていった。
『シン・深海魚』の方も順調で、光樹さんを中心に、大和、典子さん、中富さんのチームで、無理なくローテーションされている。昨日は昨日で、夜中に彼氏と喧嘩したニューハーフのお姉さんが、ヤケ酒して転がり込んできたところを介抱してボックス席で寝かせたのだとか。
園子ママの想いは、みんなの手で大切に受け継がれている。
驚くことに、連休には和貴と笠松と3人で、CD発売記念コンサートと銘打って地方都市5箇所でコンサートに回ることとなった。
和貴だけでいいじゃん、とゴネる俺に、政さんは街中の皆に手を回して背中を押させた。恐るべし、二枚目執事。
大舞台でのコンサートなんて、まるで経験がない。笠松も同じで、美恵子さんとラブラブフォーエバー状態でホールの仕様に目を通している和貴の横で、俺たちは戦慄いて新幹線のチケットを握りしめていた。
「連休中はお店もお休みです。深海魚も、深夜だけにするそうですから、最終日の六本木は、皆で伺いますよ」
スタートとなる都市・名古屋へ出発の朝、政さんが東京の八重洲口まで車で送ってくれた。和貴と笠松は夏輝さんの車で。新幹線の指定席で美恵子さんと落ち合うことになっていた。
近くの 時間制限駐車スペースに車を止め、政さんはポケットから出したお守りを俺に握らせた。
「花園神社で頂きました。心から成功を祈っています。貴方の素晴らしい音楽を、より沢山の方に届けてきてください」
花園神社と刺繍された白いお守りを押し抱き、俺は大切に、貴重品用に斜めがけに身につけているポーターバックに括り付けた。
「政さん、有難う……あのさ……やっぱ、いいや」
ん? と俺の顔を覗き込みながら、政さんは軽く俺の頰にキスをした。
「心細くなったら電話してください。名古屋でも大阪でも、駆けつけます」
「だ、大丈夫だよ、そんなの。ウチの店と深海魚、お願いします」
「はい、承りました、オーナー」
「それやめてよ」
笑いながら助手席から降りた俺に、政さんはトランクから下ろしてくれたスーツケースの取っ手を握らせた。
大丈夫だ。
俺は大丈夫だ。この人が待っていてくれる、そう思えるだけで、何も怖くない。
でも……コンサートを頑張った後は、政さんの声で労って欲しい。
「やっぱ……夜、電話してもいい? 」
すると、笑いを堪えるようにして政さんが頷いた。
「勿論ですよ」
我ながらガキっぽいことを言っちまった……恥ずかしくて、俺は行ってきますと小声で何とか口にして、早足で横断歩道を渡ってしまった。
振り向くと、政さんはまだ、手を振ってくれていた。
小さく手を挙げて応え、俺は頷いた。
収穫してもらえるように、頑張ってくるから。
棘の中身が黄色く染まるパイナップルになって、帰ってくるから、と。
新宿沙絵・Vol.4 パイナップルの棘
了
これまでお読み頂きました皆様に、心から感謝申し上げます!!
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