15.デジャヴ

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15.デジャヴ

 CDの先行販売を兼ねたプレコンサートは大盛況で、何故か店は握手サイン会の場と化した。俺としては、これを機に笠松にスポットが当たってくれたらと願わずにいられない。  ステージが終わる頃には、あのクソバ……守谷(もりや)美恵子(みえこ)が追加のCDを山ほど抱えて店に来てくれた。それすら完売になり、終わった後は笠松がビールを一気飲みしてご満悦であった。 「京さん、和貴、本当にありがとう、ありがとぉぉぉ!! 」  おいおいと泣き喚く笠松を宥めながら、俺は和貴に目配せをした。 「和貴、後は引き受けるよ。守谷さんと帰って大丈夫だぞ」 「うん、じゃまた……発売日と、翌日も、だよね」 「ああ、大丈夫か? 」 「そんな、こっちがお願いする筋だってば……いつも有難う、京太郎」  馬鹿野郎、と笑って呟き、俺は和貴を見送った。  カウンターに笠松が突っ伏す頃には、店の中は一軒引っ掛けた後に寄ってくれた常連さん達だけになった。本当はもう深海魚に行きたい時間だが、彼らがこの店の黎明期を支えてくれたのだ、無下にはできない。  姉貴時代からの常連さんの顔を見て、俺は久しぶりにショパンのバラードの4番を弾いてみることにした。  忙しくて指が回るか心配だが、今なら、あの訥々とした歩みのような冒頭のパッセージを十分に間を堪能しながら進めていけるような気がするのだ。  常連さんは、わざわざ俺が座るピアノのそばまで来て、肩を叩いてくれた。 「素晴らしかった。ここのところ、若い人向けの演奏が多かったり、仲間とのアンサンブルが多かったが、やはり私は君のショパンが好きだよ」 「有難うございます、谷村さん」 「大人になったね」 「え? 」 「以前よりミスは多かったが、いや……あの()は、若いだけでは埋められないよ。君は大分、色んなことを経験したんだね。とても、沁みたよ」  沁みた……その言葉こそ、俺の心に沁みた。 「おいおい、泣くなよ」 「すみません……」  すると、助け船を出すようにして、政さんが水割りのお代わりを持って、谷村さんの席に置いた。 「彼はここのところ、本当に頑張っていたんですよ。流石に谷村さんはお耳が確かでいらっしゃる」  もう人組の常連のご夫婦も、頷きながら拍手をしてくれた。  姉貴が、カウンターから見つめているような錯覚に囚われた。そうか、あの頃の暖かさなんだ。音楽を共有し、喜んで頂いた時の、あの暖かさ……。  不思議なことだが、ずっとここにいたのに、今やっと、ここに根を下ろせたような、そんな気がしたのだった。  常連さん達が帰り、もう22時を回った頃、漸く俺は『シン・深海魚』に向かった。  仲通りの入り口に立つと、昨年仲間達と大きな音楽イベントを打った『ジルベール』の跡地に、シャンソンを聞かせるバー『ラ・セーヌ』が新しくオープンしていた。オープンカフェのような開放的な店構えはそのままだが、街ゆく人が中を覗くとそこは、オーク調で統一されたシックな空間になっている。大人の静かな憩いの場としての気品を漂わせる中で、艶っぽい女性歌手がシャンソンを歌っている。小さめのグランドピアノで伴奏を奏でる男を従えて。  再生していた。  誰をも拒まない大人の空間として、ちゃんと再生していた。  静かな盛況ぶりに安心して歩を進め、深海魚のあの白く丸い大きな取っ手が見えた時、中からスーツ姿の男が3人、もつれ合うようにして飛び出してきた。 「いってぇな、このオカマ野郎!! 」 「あんときみたいに輪姦(マワ)してやんぞ、コラ!! 」 「動画を拡散したらモデルも廃業だよなぁ!! 」  道路に転がった男達は、店の中に向かって口々に悪態をついている。 「この腐れ外道、誰に向かって言ってんだオラ!! 警察呼んだからな、てめぇら今度こそ……いいや、この手でブッ殺してやる……立てよ、コルァ!! 」  そう怒りに満ちた怒声を放ちながら店の中から出てきたのは、あの桜色の紬に身を包んだ光樹さんだった。 「光樹さん……」  俺が声をかけると、光樹さんは涙でアイラインが崩れた顔を俺に向けた。眉毛が怒りに逆立っている。 「京太郎、悪いんだけど、中の子をお願い」 「えっ……うわっ! 」  俺は腕を引かれるなり店の中へ押し込まれた。
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