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2.チクリ
久々の定休日。学校も休みで、久しぶりに陽の高いうちから政さんと飲食店向けの業務用品が揃う中古市場に買い物に来ていた。
店の食器がガタガタと欠け出して、体裁が悪くなってきたのだ。ここのところ女性客がグループで来店してくれる事もあるので、いっその事大量に入れ替えてしまおうということになった。
ここは、潰れた店から引き取った大量の調理器具や食器などが所狭しとひしめき合っている。
「これなら30客揃うね」
シンプルなティーセットを見て、政さんに声をかけると、何やら難しい顔をした。正直、俺にはこういうセンスはない。きっと、ない。
「ウチの感じではないですよ、それ。中々揃えるのは大変ですね……コーヒーカップとスイーツ皿を揃えるなら、料理やおつまみの皿も同じコンセプトで揃えたいものです。グラスもだいぶ数が減ってしまいましたから、やはり同様のセンスでまとめてしまいたいですね」
さすが、元六本木ヒルズ族……結局、調理器具を幾つかと、割り箸の大量パックを買い込んだだけで、その店を出てきてしまった。
「すみません、オーナーを差し置いて、勝手を申しました」
政さんの車に戻ってドアを閉めたところで、政さんがそんなつまらないことを口にした。
「そんなこと言うなよ。今は政さんのセンスでウチは何とか体裁をキープできているんだから」
「いえ……あなたは本当に素晴らしい商才の持ち主だと思います。ステージにしろ、イベントにしろ、SNSを使った仕掛け方も実に見事です。売り上げはここのところ堅調ですから、銀行への返済も全く問題ありません」
んんと、何が言いたいのか……ああ、経費のこと。
「もうちょっといいお皿にしたい、ってこと? 」
「有り体に言えばですが……ダメ、ですか」
上目遣いにじっと見つめられて、思わず俺は返す言葉を失った。こんなお強請りするような子供っぽい表情を、俺は見たことがなかったから……。
「見てダメだったら、却下してください」
「え? 」
「知り合いで輸入雑貨を扱っている男がいます。ちょっと付き合って下さい」
中古で買ったと言う7年落ちのハリアーが、急発進をした。
車は西銀座の地下駐車場に滑り込んだ。
銀座か……まるで見当もつかない。あの新宿の雑多さに首まで浸かって生きているからか、まるで初めて東京に出てきた人間のように、キョロキョロと目を動かしながらひたすら政さんの背中を追いかけて歩くしかなかった。
「ここです」
数寄屋橋から十分ほど一丁目方面へと歩き、昭和通りへ向かって折れたあたりに、その友人の店、はあった。見るからに高級そうな、店構えもさっぱりと白で統一された美しいショールームになっていた。
「気に入れば、必要な数を取り寄せてくれますし、割れて数が減っても、同じものをすぐ発注できますから」
「へぇ、それはいいね」
説明を聞きながら、それぞれのコンセプトに合わせて展示された食器を見て回る。和食、コース料理、バール風……どれもオシャレで格好良い。俺が今まで見た事もなく想像もつかなかった都会的な空気が、そこにはあった。
「ウチ、スナックだよ……」
そう、まだ『バー・沙絵』とか『割烹・沙絵』とかならまだわかるが……スナックなんだよ、スナック。
「ちょっと70年代のアメリカンテイストもイカしてますよ」
俺の独り言にそう応じたのは、見るからに銀座の住人の香りを漂わせている長髪の男であった。背が高く、侍のように背中でまとめた髪からは鼻腔に優しいグリーン・ティベースの匂いがする。不潔感はなく、体に合った仕立ての良いスーツに身を包み、顎に少しだけヒゲを蓄えていた。
「政利、どう? 」
男はすぐに政さんを目で追うように振り向き、迷っている政さんの方へ駆け寄っていった。
「ん、流石にセンスがいいな。なぁ悠太、これ、30は揃う? 」
「流石にお目が高いねぇ、政利は」
政利……政さんを下の名前で親しげに呼ぶその男も、悠太、と政さんに下の名前で呼ばれた。急に、いつも俺に敬語で接する政さんではなく、年相応の背景を持った男、に見えてきた。ちょっと遠いのか近いのか、よくわからない。
いや、遠いのだ。俺との距離より、多分、この悠太と呼ばれた男との距離の方が近い。心が、政さんの心が全くヴェールを纏っていないのだ、奴の前だと。
長身の二人が夢中になって食器を選んでいる姿を、ぼんやり眺めていたら、不意に天井がぐるぐると回り出した。
「京太郎君、これなんかどう……京太郎君! 」
ぐにゃりと、世界が歪んでしまった……。
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