7.デュオ

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7.デュオ

 和貴に指定された時間に大学の二台ピアノの練習室に行くと、既に和貴が楽器の蓋を開けてスタンバイしていた。だが、俺が座るであろう方のピアノに、どういうわけか別に人物が座っている。  小窓から中を覗いて固まっている俺に気がついた和貴が、例の御坊ちゃまスマイルで微笑み、ドアを開けて中へと俺の手を引いた。  ドアを背に並行に手前から2台並んでいるグランドピアノの、奥の窓側のピアノの前に、ショートボブの女の子が俯いて座っており、俺はチクリと心臓が痛むのを禁じ得なかった。  取られた……和貴を取られた、そんな子供じみた感情がブワッと湧き上がるのを抑えきれなかった。多分、相当に動揺をしている俺を、和貴はもう一台のピアノの前に座らせた。譜面台には……あの笠松の譜面が広げられている。 「え? 」  もう一度、俺はその女の子を凝視した。  顔を上げたのは、酷く怯えたような顔をした女の子……かと思いきや、 「笠松君だよ」  和貴が呆気なく種明かしをした。  思わず椅子から転げそうになって、俺は椅子の背にしがみついた。  こ、これが、あのむさ苦しい髭面の、中身なのか?  とんだパイナップルではないか!! 「今度ね、僕のCDの中で笠松君の曲をどうしても入れたくて、事務所と話してたんだけど、そしたら、髭を剃って取材用に小綺麗にしろって言われて……びっくりでしょ」 「ていうか……」  笠松は、一応男物の服は着ているのだが、元々小柄だからか、ちょっと男っぽい服が好きな女子学生に見えないこともない、いや、そう見えたのだ、小窓の外からは。  もしかして、元々ヤツは、女性的な部分を持っていて、人にバレないようにわざとむさ苦しい姿をして身を守っていたのかもしれない。  俺は、目の前にある譜面をなぞった。2台ピアノ用の小品。いつも感じることなのだが、笠松の作品は繊細で、心の中に沁み込んでいく柔らかさと優しさを持っている。あのむさ苦しい姿とはリンクしなくても、今の笠松の姿からは、この作品は生まれるべくして生まれてきたのだと、納得できる。  俺が何となくセカンドパートをなぞっていると、和貴が笠松と入れ替わるようにしてもう一台のピアノでファーストパートを重ねてきた。  水の波紋のような、和音の連鎖、それも柔らかく、透明感のある、奇を衒わない素直な響き……やがて和貴がメインテーマを歌い、俺のパートはオーストラのような厚みを持って、しかしながら繊細な音量の指定の元、テーマに彩りを添えていく。  譜面は5ページほど進んだところで突如として途切れてしまった。  それまでの余韻に浸るように音を体の中で反芻する俺の横で、和貴が笠松に、ね、と同意を求めていた。 「ホントだ、京さんだとこんなに色彩が豊かになるんだ」  京さんって、時代劇の殺し屋か、俺は……パッチリとした円らな瞳を広げて俺を凝視する笠松は、例のボロっちいトートバックの中から譜面の入ったクリアファイルを取り出して、書きかけの譜面を仕舞った。 「ごめん和貴、俺、続き書くよ」 「うん、楽しみにしてる」 「え、おい、ええ? 」  思考がまるでついていっていない俺を置き去りにして、笠松は脱兎のごとく練習室から出て行ってしまった。 「なぁ、和貴……」 「もう一回、いい? 」  ああ、と言われるがまま、俺はもう一度、別の笠松の曲を和貴と演奏した。 「うん……やっぱり思った通り」  弾き終えると、和貴は何度も何度も独り言を呟きながら頷いた。 「おいって」 「ああ、ごめんごめん……今度のCDね、癒しをテーマに曲を集めようと思って、笠松君の曲を事務所に紹介したんだ。初めは別のピアニストとのコラボ企画にするって言われたんだけど、イケイケ型のピアニストでさ、面白くも何ともないの。笠松君も、だったら出さなくてもぉなんてグズグズ言い出しちゃうし……京太郎、改めて、一緒にCDに入れる曲、弾いてもらえないかな」 「ああ、別に……ええっ、CDに、おまえのぉ?! 」 「そうだよ、他に誰のCDで弾くの」 「おま、おま、おまえなぁ、CDってのは、もっとこう、実力があって、華があって、テクニックがあるピアニストがだな……」 「だから、それって京太郎じゃん」 「おまえのファンに刺されんだろうがっ!! 」  ああ、と、和貴はまるで先日の光樹さんのような皮肉げな顔をした。 「それはこっちのセリフだけどねぇ。新宿では京太郎の方が僕なんかよりずっと人気ピアニストなんですケド」  そ、そんな訳あるか! と尚も反論しようと試みる俺に、和貴は自分のバックの中からどっちゃりと譜面を取り出して俺が座るピアノの譜面台にドーンと音を立てて置いた。 「殆どは学園祭とかでも一緒に弾いた曲だから、いけるよね。じゃ、アレンスキーから行くよ」  俺は何も承諾していないのだが……これだから末っ子根性丸出しの御坊ちゃまはと心の中で毒づきながらも、和貴のブレスを合図にしっかり弾きだす俺であった。
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