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 翌日、フェルミーナは台地へ続くロープを下りていた。今朝起きた出来事による興奮で、手が酷く震える。心臓は今にも口から飛び出してきそうだ。  うっかり落ちないよう、いつも以上に強くロープを握り、フェルミーナは台地に下り立った。  老人はいつものように背を向けて、地面の上に胡座をかいている。  何も言い出さないフェルミーナを不審に思ったのか、彼は肩越しに振り返った。 「どうした、ミナ。今日はなぜかダンマリだな」 「さっき、さっき、新たな聖獣が生まれたの!  んですって!」  今朝、王様からの言葉だと言って、城の遣いがやってきた。硬くてきっちりとした布地の洋服を着て、その手には大事そうに籠が抱えられている。  国からの使者は集まった村人をぐるりと見回すと、一人の少年に目を止めた。村長の息子でフェルミーナと同い年のアッサムである。  花開くように顔を綻ばせると、使者はアッサムの前で膝を折った。  そして籠の中から、一つの卵を取り出したのである。 『この国はもうすぐ寿命を迎えます。しかし、案ずることはありません。ここに新たな国の卵がある。そして新たな王も、ここにいる。新たな王と国の上、これからこの国の民は、新たな営みを築いて行くのです』  国からの使者はそう告げて、アッサムの両手に卵を託したのである。 「その後すぐに、卵がみんなの目の前で(かえ)ったの。噂されていたこの国の姿と同じ、蜥蜴(トカゲ)のような生き物が出てきたわ。あと、半日もすれば大きく成長して、新たな国と王様が誕生するんですって!」  この世界の言い伝えは本当だったのね。一息にそこまで話し切ると、フェルミーナは大きく息を吐いた。  果実のように紅潮した頬が、息がととのうにつれて色をなくしていく。 「なんだか、腑に落ちないという顔をしているな。実際に聖獣を目にできる人間は少ない。流れ星のように一瞬で流れる命の、それこそ一生に一度の幸運だと思うがな」  確かに幸運だ。聖獣の誕生という歴史的な場面に出くわすなんて。  しかし、いやだからこそ。フェルミーナは思ってしまうのだ。 「でも、まだまだ知りたいことはたくさんある……いいえ、むしろ増えたくらいなの。卵はどこから来たのかしら? 半日で国になるって、どんな力が働いているのかしら? それに、この国が蜥蜴なら他の国はどんな生き物の形をしているのかしら? こんなに、知りたいことがたくさんあるのに」  アッサムは真っ直ぐな少年だ。変わり者だと言われているフェルミーナにも親切で、何かと気遣ってくれる。きっと彼なら良い王になる。新しい国も良い国になるのだろう。  それなのにフェルミーナの胸は、この空と同じように(もや)がかかっていた。 「新しい国に行ってしまったら、また同じような生活が始まるかもしれない。また、何も知らずにこの空を見上げる生活に。そう思うと、胸がなんだか苦しくなるの……」  老人はため息と共に、腰を上げた。 「お前なら、そう言う気がしていたよ」  ゆっくりとした足取りでフェルミーナの元へ向かうと、うつむく彼女に声をかける。 「ミナ。両手を出してみろ」  不思議に思いつつも、彼女は両手を受け皿のように差し出した。  老人が彼女の両手のひらに何かを乗せる。ずっしりとした重みに驚きたたらを踏むも、慌てて姿勢を正す。  手の中にあるじんわりと温かい楕円形のそれは、。 「こ、これ……まさか……」  困惑する彼女に、老人が軽く笑う音が響いた。 「卵が一つと誰が言った? 王が一人と誰が決めた? 国とは人の集まりだ。時に分かれ、時に合わさり、時の流れによって変化していくこともあるさ」  老人は両手を高く掲げた。風にあおられて外套が音を立ててはためいている。  普段の皺がれた声とは違う、朗々とした響きで老人の声が響き渡った。 「さぁ、ミナ。お前は、どんな国を望む?」 「私は」  フェルミーナは喉を鳴らして顔を上げると、老人の瞳を真っ直ぐに見据えた。  稲穂色の瞳には、見たこともないほど強い光を湛えている。 「この世界の『本当の姿』が知りたい。だから、そうね。どこへでも自由に飛んでいける国が欲しい」  彼女の言葉に応えるように、手の中の卵が大きく脈打った。左右に揺れ始めたそれを落とさぬように、フェルミーナはしっかりと抱きしめる。  卵はひび割れ、卵殻がポロポロとこぼれ落ちた。  隙間から顔を出したのは、透き通るような白い翼を持つ一羽の小鳥だった。 「この子が『聖獣』……?」  生まれたばかりとは思えぬほどしっかりとした仕草で、小鳥は身を震わせ体についた卵殻を落とす。  円な瞳がフェルミーナを映した。何かを訴えるように一声鳴くと、小鳥の体は淡く黄金色の光をまとう。  見る見る内に白い小鳥は、フェルミーナよりも大きく成長した。  ちょうど彼女一人をその背に乗せて、飛び立てそうな大きさだ。 「その聖獣はお前の望みから生まれた国だ。世界の真実に向けて、お前の望むがまま、どこへでも飛んでいくさ」 「おじいさん、あなたは一体――きゃっ」  突然クチバシでワンピースを摘まれ、フェルミーナは悲鳴を上げる。聖獣はそのまま彼女をヒョイと持ち上げ、自分の背に乗せてしまった。  ふわりとした羽毛に受け止められ、フェルミーナは感嘆の溜息をつく。 「ふむ。前例のない聖獣だからな。まだ国と呼ぶには未熟だが……いずれお前のような変わり者にも出会うだろう。出会いのたびに国は成長し、これからどんどん国らしく成長していくことだろうさ」  あまりの出来事にフェルミーナは目を白黒させる。 「フェルミーナ」  敢えて愛称ではなく、老人が彼女の名を呼ぶ。  ギョロリとした蜥蜴のような瞳が、真っ直ぐフェルミーナに注がれた。 「――怖いか?」 「いいえ」  考えるよりも先に返事をしていた。  この胸の高鳴りは恐怖ではない。  だってフェルミーナは、確かにワクワクしていたのだから。  老人がしゃっくりのような笑い声を上げ、聖獣が大きく翼を広げた。 「え、もう行くの⁉︎ ちょ、ちょっと待って、まず家に帰って準備を――」 「せっかちなヤツだ。お前に似て、新たな世界に飛び立ちたくてうずうずしているんだろうよ」  とにかく聖獣を落ち着かせ、フェルミーナは老人に視線を向けた。小さな声でそっと問いかける。 「おじいさんは、私と一緒に行かないの?」 「老体に空の旅は敵わんよ。まぁ、どこかの空の下でお前さんの無事を祈ってるさ」  分かっていた言葉なのに、彼女の胸はグッと詰まった。母と別れた時と同じくらいに痛む胸を押さえて、それでも唇を必死で吊り上げる。 「おじいさん、ありがとう! 元気でね」 「ああ、ミナも息災でな」  フェルミーナは大きく片手を振った。ふわりと聖獣の体が空へ飛び立っていく。  見慣れた光景が小さく映る。  家に戻って、急いで準備をしなければ。  そうしたらこの先は、夢にまで見た未知の世界が待っている。  彼女は小さく喉を鳴らす。聖獣の背にしっかりとしがみつくと、真っ直ぐ空を見上げた。  一人の少女の旅立ちを見届け、老人は長く細い息を吐く。 「お前の国がどんな国になっていくのか、お前がどんな王になっていくのか」  呟く老人の体が次第に透けていき、光の粒に変わっていった。老人の体だった粒子は、やがて風にさらわれ綿毛のようにふわり空に舞う。 『儂の命はここで終わる。見届けられないのが少々残念だが――よい国になるよう、祈っている』  その声を最後に、ザルクールの風は止んだ。  やがてこの世界に、自由を掲げる大国が誕生する。その初代女王は世界を巡って世界の真実を知り、数多の国と人々をまとめ上げていくのだが。  それはまだまだ、先の物語。
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