鉄壁Ωの葛藤

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 全身が鉛のように重い。  ぼんやりと目を開けた慶は、次の瞬間弾かれたように飛び起きた。恐る恐る手のひらをうなじに持っていく。そこには滑らかな皮膚があるだけで、慶はホッと息を吐いた。 「あ……」  そんな慶をすっかり身支度をした清埜が椅子から見つめていた。  その顔はどこか不安げだ。  頭はスッキリとしている。あれだけ耐えきれなかった熱もすでにない。本当の発情であれば一週間は続くところだが、やはり突発的なものだったのだろう。 「清埜……悪かった……」  それは自然と口に出た。 「どうして慶さんが謝るんですか?」  命令に背いたのは自分のほうだと清埜がうなだれた。 「違う……そこじゃないんだ。僕は、ずっと自分の意思で決めてきたつもりだったのに、結局はオメガである自分から逃げてたみたいだ」  自分で決める。そう誓っていたはずなのに、決めているつもりで自分自身から逃げていた。だから、本能を突きつけられ恐怖に怯えた。 「清埜が言ってただろう? 本能に従うかを決めるのも自分だって」  あのときは、従うしかないから意味がないと思った。 「従わない選択もできるんだよな。僕は本当に嫌なら、自分にナイフを突き立てるくらいのことはできるってわかった」  それをしなかったのは、清埜になら本能のまま従ったっていいと思えたからだ。 「なぁ……僕は生まれて初めてアルファを好きになってしまったみたいだ」  全力で慶のことを守ろうとしてくれたアルファを――。 「君のことを口説いてもいいか?」  清埜がぽかんと口を開けている。こんな顔を見たのは初めてで、それがうれしくてつい笑ってしまう。 「慶さ、ん?」 「アルファだとかオメガだとかじゃなくて、清埜が好きだよ」  それと――。  まだ呆然としたままの清埜に手を伸ばした。両手で頬を挟んで引き寄せる。 「さっき、噛まないでいてくれてありがとう」  噛まれてもいい、そう思った。だけど。 「いつか、自分の意思で噛んでくれと言うよ」  清埜の呆気に取られた顔がくしゃりと歪む。その手が震えながら慶の頬に触れた。 「だったら先に……俺のこと、噛んでください」  そう言った清埜がぐっと俯く。筋張ったうなじが無防備に晒された。 「けど、(Ω)が噛んでも……」  なにも起こりやしない。ただ傷を付けるだけで、約束にさえならないのだ。 「俺が慶さんの番になれたって思いたいんです。俺は、俺が決めた運命に縛られたい」  運命は自分で決めるから。清埜の決意が慶の背筋を伸ばさせる。軽い気持ちじゃない、慶にもその覚悟があるのかと突きつけているみたいだ。  望むところだ――。  清埜を抱き寄せ、その硬いうなじに歯を立てる。腕の中の清埜が、慶を抱き締め返した。  全身が緊張と歓喜に痺れている。これはただの真似事だ。それなのに、まるで未来を誓ったかのように厳かな空気に包まれた。  口の中に酸味が広がる。清埜の一部が慶の中に流れ込んだ。 「……こんな男前なアルファは清埜くらいだ」  唇を離して、丸く抉られた傷跡を柔らかく舐めた。清埜が小さな深呼吸をして顔を上げた。 「清……の……?」  清埜の目から涙が流れていた。慌てる慶に泣きながら清埜が笑う。 「慶さんが好きです。こんな風になれるなんて思ってなかった……一目惚れで初恋だったんです。その瞬間に失恋したんですけど」 「え? いつ? 聞いてない!」  清埜と会った記憶なんてない。そう叫んだ慶に、清埜がいたずらっぽく笑う。こんなにも表情豊かな男だったのかと目を見張った。抑制剤の副作用を隠すために、無表情になっていただけだったのだ。 「内緒です。だって俺だけ覚えてるのは悔しいですから」 「だったら教えてくれてもいいだろう?」  そうせっついた慶を笑って誤魔化した清埜が、少し照れたようにキスをした。 「ん……」  甘い香りが身体中に満ちていく。  心の奥でどこか不安に思っていたものが、いつの間にかすっかりと消えていた。 「明日からの取材はビジネス以外の質問が多くなりそうだ」  パーティの途中で話題のオメガ経営者が同行のアルファと消えて戻ってこなかった。記者は、遠回しに清埜について質問をしてくるだろう。 「清埜は、表舞台は苦手?」  わずかに目を細めて問いかけた。清埜は数秒考えたのちに、ぽかんと唇が開いた。 「慶さん……それって……」  戸惑いを隠せない清埜が新鮮で、もっとその顔を見たいと思ってしまう。 「パートナーだと答えてもいいかっていうお伺いだよ」  目立つのが嫌ならやめておくけど。白々しく付け足したところで、清埜が慌てて首を横に振った。 「答えて……ください! その、まだ慶さんの横に並ぶには力不足ですが……必ず追いついて見せます。だから――」  清埜が真っ直ぐに慶を見た。 「慶さんの隣の場所を、俺にください」  一途な清埜が眩しかった。これほどまでに真っ直ぐ、慶だけを想っていてくれたことに胸が締め付けられる。 「清埜にやる。後悔なんてさせないから安心していいよ」  清埜がいるかぎり、もう迷うことはないだろう。  きっと拓実からは盛大にからかわれる。それも楽しみで仕方がない。 「……雇用契約延長してもいいか?」 「もちろんです」  またキスをする。  額をくっつけて、間近に顔を見つめ合う。  それから、耐えきれず笑い合った。
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