鉄壁のΩ

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鉄壁のΩ

『君はアルファです。これで未来は保証されたようなものだよ』  一人ずつ呼ばれた診察室で、にこやかな初老の医師が開口一番そう言った。  本来ならアルファと診断された子どもは喜ぶ場面なんだろう。なぜなら、目の前の不機嫌な子どもを見た医師は、戸惑ったような表情を浮かべたのだ。  未来は保証された――。  無性に腹が立った。それでも、なんとか適当なお辞儀だけをして診察室を後にする。 「アルファか。いいよな……勝ち組で」  ひとつ後ろで待っていた少年が、聞き耳を立てていたのか小さく吐き捨てた。睨んで口を開きかけたところで次を呼ぶ声がする。少年が立ち上がって診察室に消えた。  淡い色の頭をした最後の一人は、俯いて小説を読んでいる。アルファという単語にも微動だにせず、診察室横の空いた席を詰めようともしない。他人のバースには興味が無いのだろう。  保健施設の真っ白い廊下を歩きながら苛立ちの原因に気づいた。  これから自分が出す結果のすべては「アルファだから」という理由が付けられる。努力も苦労もその言葉によって、軽いものになってしまう。  だが、研究結果によってアルファ性は八割以上が他のバース性よりも、肉体的・精神的に高い能力を有することが証明されている。なにを言ったところで、アルファのくせにと、白い目を向けられることは確実だ。  駐輪場でリュックサックのポケットから鍵を出そうとして、目的物がないことに気づいた。 「あ、さっきの……」  診察室でリュックサックを置いたときに落ちたのかも知れない。自分の順番は後ろから三番目だった。今なら結果通知も終わったころだろう。  早足で診察室前まで戻ると、案の定、長椅子にはもう誰もいなかった。中待合に入り、ノックをしようとしたところで中の声が漏れ聞こえた。 『再検査の結果はオメガです……大変なことも多いと思うけど、オメガには仕方のないことだから気に病まないようにね』  どうやら本日最後の子どもはオメガ性だったようだ。 「かわいそ……」  オメガ性を持つ者は全人口の割合からすると最も少ない。ただし、高い妊娠能力を有し、容姿端麗な者が大半だ。モデルなどとして活躍する者も多いが、どうしてもその性質から見下されることがある。 『僕は、仕方がないとか、運命とか……そんな言い訳をするつもりはありません』  通りの良い声がハキハキとそう答えた。  呆然として、それから自分の情けなさ加減に消えたくなった。 『オメガだから、なんて言わせる気はないですから』  呆然としていたせいでその場から逃げるのが遅れた。  扉が開く。出てきたのは明らかに歳上に見える青年だった。再検査だと聞こえたから、これまでバース性が確定せずにいたのだろう。  陶器のような白い肌に、栗色をさらに淡くした髪。容姿もさることながら、その強い目に視線を奪われた。 「ごめん……聞くつもりは……」  謝ろうと近づいたところで、スッと身を躱(かわ)される。 「悪いけど近寄らないで」  細く長い指を真っ直ぐに伸ばした手のひらが目の前に壁を作った。 「君、アルファだろ? 僕は今日から一切アルファの側には行かないことにした」  綺麗な唇がハッキリと拒絶を宣言する。  言い訳をしない生き方。この人はまず自分を乱す可能性を持ったアルファ性の側から離れることを選んだのだ。 「俺、まだ後期二次性徴前だけど……」  アルファと診断はされたが、まだ発情期のオメガに影響されない。そう言い訳をすると、目の前の美しい顔がニッコリと笑った。 「僕が最も忌むべきものは「運命の番」という存在だよ。それがたとえ小数点以下の確率だとしてもリスクを回避したいほどにね。意思とは別に惹かれ合うなんてまっぴらごめんだ」  だから君とは二度とこの距離で話すことはない。断言してその人は背を向けた。真っ直ぐ伸びた背中が遠ざかって行く。無意識に叫んだ。 「……っ名前! 名前教えて!」  数メートル先で、真っ直ぐに伸びた背中が翻る。 「変なやつだな。僕の名前は慶だよ。中條(なかじょう)(けい)」 「なかじょう、けい……」  口の中で繰り返し、ぎゅっと拳を握りしめた。  アルファ性であることを言い訳になんかしない。その日、そう決心をした。  そして、一目惚れの初恋は、その瞬間に失恋となった。
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