少しずつ、一歩ずつでも――

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『……そう、だったんですね』  夜野(やの)さんの言葉に、些か驚きつつもどこか納得を覚える私。なんとも彼らしい考え方だと思ったから。 『……ですが、妊娠が判明してから二ヶ月ほど経過した頃――以前の結論から一転、堕胎したいと彼女は仰いました。その決断がいかに苦しいものであったか、あの時の彼女の表情から痛いほどに伝わりました。そんな彼女の苦痛に、一番近くにいながらどうして二ヶ月も気付かずにいたのか――本当に、今思い返しても情けない有り様です』 『……夜野さん』 『……ですが、私の愚かさはそこに留まりません。彼女の決断を聞いた私は、その瞬間――心の奥底で、そっと安堵を覚えたのです。助かった――そんな思いが込み上げてしまったのです。授かった命を大切に、などと綺麗事を申しておきながら……結局のところ、私は自分のことしか考えていなかったのです』  そう、自嘲するように淡く微笑みを浮かべ話す夜野さん。そして、すぐさま悟った――これが、最も深く彼の心に根を張っている苦痛なのだと。  
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